こんにちは。尼崎で心と体のトータルケアをしている『はな整体院』のはなです。
起立性調節障害で学校に行けない方のヒーリングをしましたが、自分も隠れ不登校であったと思います。
私の場合は高校時代が一番生き辛く、高3の時は結構休んでいたので、集合写真は右上の別枠にいます。
今思えば、たくさん挫折を味わった時代だったと思います。
ニキビだらけの顔になったのが初めの挫折かも
中学時代はツルツルのお肌で「お肌きれいだね~!」と言われていたのが密かに自慢でしたが、高校生になりニキビだらけの顔になったのがとても辛かったです。
当時は唯一自信が持てるものだと思っていたからな~。
思春期ってそんなもんですよね^^
特に辛かったのは授業中
授業中におなかが鳴るのが恐怖で、唾を飲み込むのすら怖かったです。
当時は、ヒステリー球症状(喉に何かが刺さる感覚で咳をしたくなる)もあり、授業中に限って出てくるんですよ。
涙しながら我慢することもしばしば。(咳を我慢すると涙が出てきます)
ちょっとむせようものなら、その後の授業は一人パニックで授業どころではない状態に。
あとは、おでこがずっとムズムズしてたり、明るいはずの教室が急に暗くなる視覚異常もしょっちゅうでした。
授業中はそんななのに、終われば忘れる。
忘れるから、楽しく過ごす。
相談する気もないし、そんな変なこと話せるはずもない。
授業が始まれば出てくる闇に1人で耐えるしかできなかったです。
高2の時から歯車が狂い出した
高2の時、部活(吹奏楽)の副部長に立候補してなったけど、自分の実力と役割りの重みに差を感じ、気持ちが切れていく。
部活が嫌で学校を休み始めたような気がします。
中学時代の部活がスパルタで、「がんばらない奴はクズ」みたいな空気だったので、がんばるのは当たり前。
気持ちが切れてしまった私には、居心地の悪い場所でしかなかったです。
今思えば、何でそんなに背負っちゃってたんだろう!?
もっと気楽に楽しめばよかったなーと思います^^
高3になって完全に切れた
高校時代は反抗期もあり、母とずっと口を利いてなかったので相談するなんてありえなかったし、行きたくない時は休んでいました。
学校に行くときは、ほぼ母に車で送ってもらっていて、車中でいつも怒られていたのを覚えています(笑)
それまでずっと成績はそこそこよかったけど、勉強する気にならず、高3で早々に浪人することを決意。
なので高3の夏休みは受験勉強を一切せず、気ままに過ごしていました。
今思い返しても、楽しい夏休みでした^^♪
一番楽しかった浪人時代
親に言われ一応受験したけど、もちろん受からず浪人。
でも、浪人時代が最高に楽しかった。
出会った同級生たちに恵まれ、勉強もすべてが楽しかった。
その1年ですべてが救われました。
そう言えば、授業中の苦しみも全くなかったなぁ。
今思えば、環境が変わったこと。
みんな浪人生なので、みんなが挫折を味わっていて、大学合格という同じ目的を持って集まった「仲間」であったことが大きかったのかもしれません。
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