Peach航空のSALEで、仙台便が安かったので
行ったことがなかった東北への2泊3日の旅を決めたのは、今年の1月のこと。

去年の11月から会員になった「ADDress」で
仙台近くの宿を探す。

石巻のゲストハウスに泊まることにした。


私も、パートナーのたけチャンも

行ったことないから、行ってみたい!

それだけの理由で、
その他のことは、まったくのノープラン。

私の東北へのイメージとしては、

‘’紅葉がとても綺麗なところ‘’

でも、行くのは、7月。

都市の名前や地方の名前
地理的なことも
ほとんど知識がなくて

関西人の私からは、とても遠くて知らない所

宮城県の位置さえも、福島県と混同してしまうほど。。。


日本三景の
広島の宮島 京都の天橋立 宮城の松島

この松島が、仙台近くであることを
出発前日に知った^^

ここは、是非行ってみなくちゃ!


そんな感じで、仙台へむかった。




日本三景のひとつ 松島へ

少し曇っているけど。。。


平日だったけど
すごい観光客!!
さすが、観光名所という感じ音譜

写真は、西行戻しの松公園の展望台から。。。

松島のさかな市場で、ごはんを食べました。


伊達政宗ゆかりの
国宝 瑞巌寺 へ。

国宝になってるだけあって、
素晴らしかった。
伊達藩の繁栄が感じられる。
伊達政宗の人間性みたいなものが、垣間見れる気がした。
繁栄のウラには、人間のひととなり
愛や優しさみたいな、人として大切なものが
そんなものが、土地とその建造物から
感じられたような気がする。


松島をあとにして

石巻のゲストハウスへ

石巻のゲストハウスは、
東日本大震災で全壊区域にもかかわらず残った家を利用されていて、
震災後、思いもかけない「ゲストハウスをしたら」という支援者の声をきっかけに、ゲストハウスを始められて
被災経験の語り部をされていたという「お母さん」がおひとりで、されてるところだった。


お家は、とってもきれいに感じたけど。

でも、お母さんは、「傷だらけのお家よ」

「全部なおしてたら、すごくお金がかかるから、そのまま使ってるの」と、

おっしゃってました。


一階は、全部お水に浸かって、何もかも流された って。


リビングの大きな掃き出しにカーテンがかかってたけど

「このカーテンも泥水のなか、持って帰ってきて、川で洗ったのよ」と。


震災の時のお話を、いっぱいお聞きした。


ホントに、何もかもなくなっちゃったらしい。


パンツ1枚なくて。


2日ぐらい、ほとんど何も食べなかった

食べるものが、なかった と、、、


想像しても、


想像しきれない。


14年も経って、お母さんは笑いながら、アッケラカンと話されるけど、、、


「好きなことをやりなさいね」

「やりたいことをやってね」

「目の前に何か起きたら、何とかしていくだけ」



本当に、ゼロから立ち上がり、乗りこえてこられた人の言葉。


大切なことは、何なのか
生きる って、どういうことなのか


漠然と、石巻は被災地 という感覚だけで
ここにきてしまって

いろんな想いが、かけめぐる。。。



次の日の朝、

お母さんが、用意してくれた朝ごはん。

水産会社をやっていたというお母さん。
ホタテ貝とホタテ貝のヒモのバター焼きが、美味しかった。


そして、

震災遺構として残されている「大川小学校」へ行った。

2011.3.11 の震災のあと
なぜ、避難できなかったのか とか
いろいろ問題になって、マスメディアでとりあげられていたんだと思う。

だけど、当時、関西にいた私にとって
どこか、人ごとでしかなく
おきてることの大きさ、その傷みなど
微塵も感じとれていなかったと思う。

その場所に行ってみないと、わからないこと。

遺構として残されている 大川小学校、
そして、どんなところに大川小学校があったのか、

突然、終わってしまった生活

想いを馳せると、胸がいたんだ。

写真も撮れなかった。
撮る気持ちにならなかった。


石巻を車で走る。
海に面した町なのに
海岸沿いを走っても、まったく海が見えない。

そびえ立つ防潮堤。

海の様子がまったくわからない。

海の色
波の様子

何にもわからない。


防潮堤については、反対運動など
いろいろ意見があったそうだけど、、、

人間も自然の一部だし
自然とともに、生きていく。生きていきたい。

と、思う私を含め、そう思う人たちにとって、

違和感を感じざるを得ない防潮堤だった。




少し、高い所に行かないと、海が見えない。。
石巻の海は、きれいなのに。






この日、ウロウロしたのは、
「雄勝」という地域。

地元の人に出会って、

「へぇー、奈良から!」
「遠いところを、ノープランで来て、よくまぁ、この何もない雄勝に来ましたねー笑」

と、言われた。

そんなことない、硯の産地 だと知った。


白銀崎の白銀神社に行った












そして、大須埼灯台






3日目

ゲストハウス近くの
「サン・ファン館&サン・ファンパーク」
に行った。

ここは、伊達政宗が、スペインと貿易をするために、支倉常長を使節として
サン・ファン・バウティスタ号を建造し、
ヨーロッパをめざして、太平洋を渡った
慶長遺欧使節の勇気と知恵を伝えるところだった。当時の日本は鎖国中。

考えてみれば、

石巻 って、太平洋にバーンと面してる!

伊達政宗が、長崎などより、我らの方が異国に近い。

と言ってたみたいやけど、そうやな〜と思う。

太平洋を見て、壮大な想いを馳せた伊達政宗

その命を受けて、海を渡った支倉常長

サン・ファン・バウティスタ号 の実物大のものが、震災前には見ることができたそうだ。

400年以上も前に、どうやって、あんな大きな木造船を造ったのか。

ネジクギまでも、いちからつくる!ってことやし、ホンマにすごい!!

支倉常長の気持ちを想像してみたり、

ホントに勇気と知恵の結晶キラキラ

人間としての、気持ちの強さ

勇気と希望 ロマン  なんかとても感動したドキドキドキドキドキドキ







それから、大川小学校ともうひとつの遺構
門脇小学校に行った。





ここでは、少し写真を撮ることができた。
中を見学する時間がなくて、外から見ただけ。

ただ、小学校の周りは、

大川小学校の周りもそうだったけど、

ホントに広い広い何もない土地が広がってる。

震災前は、人々が暮らしていた町だったところ。

芝生だったり、公園のようにだだっ広く整備されてる。

流されたあとなんだと。。。
あまりにも、きれいさっぱり片づけられた感じに悲しくなる。

建ってる家も、きれいな新しい家が多くて、震災後に建ったものが多いからだそう。


石巻を離れる前に
石巻元気市場で、ごはんを食べて

仙台に向けて出発。

途中、私は、胃腸の調子が悪くなってえーん

最後に仙台で 牛タン を食べる予定だったけど 食べられずガーン煽りオエー大泣き

飛行機に乗る前には、少し胃腸も快復して

仙台空港をあとにした。


今回の旅は、ノープランというものの

何か、「生きる」ということに

焦点があたっていたような

感じたこと、思ったこと、人との出会い

大切なもの、これから、どんなところで、どう生きるのか



2025年の夏至が過ぎて

7/5の直前、

7/1〜7/3に仙台〜石巻に行ったことは、

何がそうさせたのかは、わからないけど

とっても意味あったような気がする。


おわり   Thanks