一生、言葉を喋らないかもしれない。

それは、私にはすごく重いことだった。


コミュニケーションが取りたい。

この子と、意思疎通がしたい。


いつかできるようになると信じて疑わなかった。

今はまだ無理でも、いつかは。


まさか、遺伝的に、無理かもしれないなんて夢にも思わなかった。


生まれてから、

快・不快しか教えてくれない娘。

嫌なら泣く。

嬉しかったら笑う。

それしか、意思疎通できない。


外国の保護者団体に入ってみたら、いろんな症状の子達がいるとわかった。

うちの子、めちゃくちゃ軽いわ…と思ったけれど、

症例少なすぎて、将来の姿は全く想像がつかなかった。

この病気の子が、ミツバチほど軽度であるのがそもそも奇跡なんだな、と思った。


遺伝子検査翌日、

病院で先生に貰った論文や、保護者会の英語の情報をざっと和訳して療育園に提出した。

私はやっぱり、笑っていたと思う。

先生たちが、どこまで踏み込んでいいのか、と気遣ってくれているのを感じていた。



そして突然、

字が読めなくなった。


あれ?と思ったのは、多分遺伝子検査の結果を知って数日後。


英語が全く入ってこない。

日本語も、数行読んだら眩暈がする。

Twitterに思い浮かんだことをただ書いた。

酸素が薄くて、

その日何をして過ごしたか思い出せない。


やらなきゃいけないこと、

考えるべきことはたくさんあるのに、


あれ?私どうやって1日過ごしてた?

ベビーサークルの真ん中でぼんやりしてたら夜が来た。

みつばちのご飯は作った。それだけ。

療育園にいって、他のお友達に会うのも怖くて、

欠席連絡もメールで。

誰にも会いたくない、と初めて思った。


まだずり這いも難しかったみつばちは、呆然と座っている私の涙をぺろぺろ舐めて、

私の周りにおもちゃを並べて、投げつけて遊んでいた。

私の膝の上には、彼女の大好きな絵本の山ができていて、

みつばちは、無反応なママに体をくっつけて、いつの間にか眠っていた。