【サイコだけど大丈夫】のシナリオ本を読んでいると

書かれた台詞の上をいくガンテ・サンテ兄弟の名演が随所にみられます。

 

私はこのドラマの最終話が大好きで何度も見返すのですが

たとえば

OK精神病院・野外庭園でのオ・ジョンセさんの涙。

 

 

 

 
シナリオにはこう書かれています。
 
母さんの木の前に並んで立っているガンテ、サンテ、ムニョン。
サンテが持ってきた童話本を木に一生懸命見せながら自慢している。
 
ガンテ
「(自慢をしている兄の後ろ姿を微笑みながら見ている)」
 
ムニョン
「(そんな兄弟を見つめている)」
 
ガンテ
「(兄の横に並んでしゃがむ)兄さん、この童話本、どんな内容か母さんもとても気になっていると思うよ......読んであげたら?」
 
サンテ
「題名......〈本当の顔を探して〉
(本をめくりながら読み始める)」
 
ガンテ、サンテ、ムニョンの姿.....
 
木の枝にかかった家族写真などの上にサンテの明るい声が......
 
 
たったこれだけです。

 

でも実際のオジョンセさんの演技はこうです!

 

この動画は最終話のメイキングですが

3分過ぎにそのシーンがあります。

 

 

 

 

いかがでしたか?

 

シナリオには、涙を流すとひと言も書いてないのに

感情が高まり、「幸せなのになぜか涙が出る」

と、泣きながらお母さんの木に向かって話していますね。

 

 

 

スヒョン君もただ見守っているだけのはずが

たまらずサンテを抱きしめ一緒に涙しています。

 

 

 

 

 

そしてカットがかかった瞬間

「どうしてこんなふうに作ったの?」

と、これまた泣きながらオジョンセさんに言っているのです。

リハーサルではこうでなかったことが窺えます。

 

自然に溢れ出たあの涙はオジョンセさんがサンテになり切っていたからこそだし、スヒョン君もガンテそのものだったからこそ、サンテが愛おしくてたまらなくなって流れた美しい涙だったのですよね。

 

何度観ても何度聴いても泣いてしまう名場面中の名場面だと思います。 

 

 

 

 

撮影を終えたオジョンセさんはインタビューの中で

こんな話をしています。

 

これまで見てきたおなじみの自閉人を描くか
または新しい自閉症の人を描くか
この一つををたくさん悩みました。

基本的に一緒にいたいと思いました。 
作品を見てサンテのような人物に道で会った時
サンテのような人を手伝ってあげたいではなく
あの人と一緒にいたいという情緒を作りたいと思いました。 

出会いでその多くは満たされたと思います。 
準備して行った感情ではなく
違う感情が出もしています。 

頭の中で'このような感情だと準備して
撮影に入るんですが、急に全く違う感情が出た時
俳優として喜びを感じます。


どんな場面でしたか?

最後に『お母さん、僕作家になった』
というセリフは台本にこんなに深い感情では書かれていなかったです。 

ところが本に絵・ムンサンテと書いているのを見た瞬間
胸が熱くなりました、 私だけ感じました。 

数日後、その状況を撮影するときに

その感情が浮上し、台本よりも少し濃く出たりもしていました。

 『私の弟が兄を殺した』というセリフを言う時も
準備して行ったのはそんなに嗚咽する場面ではなかったです。 

スヒョン(キム・スヒョン)に感謝するのですが
その友達を見ると胸が熱くなり 
それで演技するのが楽だったと思います。

 

 
 
本に《絵・ムンサンテ》と書いてあるのを見た瞬間に胸が熱くなったというオジョンセさん!
誰よりもお母さんに見てほしくて、褒めてほしかったサンテ!
そのサンテの気持ちに、スヒョン君も
『うん、よく頑張ったね』って、台本にない台詞と温かい涙で応えてあげてましたね。
 
 
オジョンセさんとスヒョン君
素晴らしい演技者二人が
シナリオの上をいく最高の演技をしてみせてくれたからこそ
数々の名場面が生まれたのだと思います。
 
 
同じ最終話で
ちょっぴり笑える私が大好きなこんなシーンもありました。
 
シナリオはこうです。
 
お城の書斎にて
サンテとムニョンが机に並んで座り仕事をしている場面
 
ガンテ
「(入って来て)おやつ食べて(と皿を置きながら絵を覗き込む)」
 
サンテ
「(すぐに絵を隠して)ダメだ。見るな!」
 
ムニョン
「(ガンテの背中を押すように)出ていって!
ここは、部外者は立ち入り禁止よ!」
 
ガンテ
「(推されるのを抵抗しながら)なんで俺が部外者なんだよ!」
 
ムニョン
「(押す)家族だけど部外者よ!」
 
ガンテ
「暇だし、横にただいるだけだからいさせて」
 
ムニョン
「絶対ダメ!早く出ていって!」
 
書斎の外に押し出されると、ガンテを置いてさっさと中に入ろうとするムニョンをつかむガンテ。
 
ガンテ
「おい......何も言わずに行くのか?」
 
ムニョン
「そうだけど?」
 
ガンテ
「わざと俺を押し出したんじゃないのか......?」
 
ムニョン
「だから、何だっていうのよ?」
 
ガンテ「(たじたじと)い、いや......入って仕事しろよ」
 
ムニョン
「(鼻先で勢いよくバタン!とドアが閉まる)」
 
ガンテ
「(チェッ......)」
 
 
これを読むと何ということはない
ただ邪魔者扱いされて拗ねながら
「チェッ!」という感じで去っていくガンテが浮かびますよね。
 
でも実際には違います。
 
台詞はほとんど変えていませんが
途中で「兄さん、助けて!」
と、サンテに助けを求めながら押し出され
(ムニョンは背中を押したわけではなく、正面から顔を見て押し出しています。
そのほうが愛を感じる!)
 
部屋の外に出たあと、ドアに隠れながら(サンテに聞こえないように)
 
ガンテ
「行っちゃうのか?」
 
ムニョン
「なぜ?」
 
ガンテ
「わざと僕を隅に?」
 
ムニョン
「違うわ」
 
というやり取りがありますが
この場面、スヒョン君は表情や態度、仕草、声に
何とも言えない男の色気を醸し出しているんです。
 
両手でムニョンの肩に触れながら
『キスくらいさせてくれても...』みたいな。(←私の想像です)
 
冷たくあしらわれ、ムニョンに触れた両手の形のまま佇む姿が
少し滑稽で可愛くもあり、またとてもいいんです。
 
小さな場面なんだけれど
スヒョン君らしい感情表現、繊細な演技だと思いました。
 
このシーンもそうですが
シナリオ本で、ガンテは自分のことを『俺』と言う箇所が目立ちます。
もちろん相手によっては『僕』になる時もありますが...
 
お気づきのように、Netflixでは『僕』で統一されています。
ガンテは裕福な育ちではないけど、スヒョン君は凛とした品をもって演じています。
やはり『俺』ではなく、『僕』のほうが似合う気がするのですがどうでしょう。
 
 
字幕翻訳というのはそのドラマや映画を良くも悪くもしますが
ある翻訳者の方がこんなことを言っています。
 
 
「私が捉えている字幕翻訳は、翻訳をしているというよりも、登場人物の心を訳しているという感覚です。
そのため、セリフからだけではなく、画面を通して伝わってくる表情なども大切な情報です。
また、字幕は吹替と違って字数制限があり、実際のセリフの3割程度しか入らないといわれています。
でも、それは元のセリフから7割を削って3割だけ残すということではなく、何か違う言葉を使ってセリフの内容全部を短く表現して3割の長さにすることだと思うのです。
そこが字幕翻訳者のテクニックであり、どれだけ言葉や表現を知っているか、場面に応じて工夫をできるかが重要だと思います。」
 
 
『登場人物の心を訳している』
 
素敵な言葉です。
サイコだけど大丈夫のNetflixでの翻訳は
物語が持つ格調高さをよく表現していたし
登場人物の心がとてもよく伝わってきて素晴らしかったと、個人的には感じます。
 
 
さあ、いよいよ新しい作品に向かうスヒョン君です!
今度はこちらもステキなチャ・スンウォンさんとの共演!
どんなブロマンスを魅せてくれるでしょうか?
 
これまでの作品と同じように
みんなの心に深く残る最高の演技で
私たちの信頼に応えてくれるはずです。
 
楽しみに待っています、スヒョン君!!