バスの窓から、懐かしい景色が見えてきた。
たった6年しか過ぎていないのに、随分懐かしい気がした。
バスを降り病院に着くと、ジェジュンは緊張しながら中へ入った。
「爺ちゃん、ジェジュンが来てくれたよ」
じーちゃんは頬がこけるほど痩せこけ、土色の顔色をしており、素人ながらもう長くないんだと分かった。
ジェジュンに気が付くと、ベッドを起こし、にっこりと笑ってジェジュンの手を取った。
「よく来たな…。死ぬ前に会えてよかったよ」
「じーちゃん、ごめんなさい。僕知らなくて…。お見舞いにも来ないで…」
「そんな事はいい。ジェジュン、お前に話しておきたい事がある。お前のバーさんに頼まれていたんだ。自分に何かあったら、お前に話して欲しいと」
「うん…。僕の両親の事?」
「あぁそうだ…。わしもいつまで生きるか分からん。お前には話しておきたい」
「うん。僕も知りたかった。教えて、僕の両親の事を…」
ジーちゃんは辛そうではあるが、しっかりとした口調で話し始めた。
「お前を産んだ人は…イファといって、バーさんの息子だ。イファは、とても美しい男のオメガだった。ジェジュン、お前はイファそっくりだ…」
イファは、誰もが振り返るような、美しい男の子で、村でも評判だった。
父を早くに亡くしたイファは、母と一緒にチルソクを盛り立てていたが、貧乏なのは変わらなかった。
それでもイファは毎日笑顔で店に立ち、村中の人に愛されていた。
イファには、仲が良い幼馴染のムオンがいた。
ムオンも男のオメガだったが、いつも一緒にいるイファとムオンが恋仲だったのは、みんなが知っていた。
だが、イファとムオンが結婚する事は、あり得ないとされていた。
何故なら、今よりもっとオメガが迫害されていた時代、わざわざオメガの子供を作り、自分と同じ目に合わせたくないと思うオメガが大半だったから。
アルファかベータと番になる事が、今の生活から抜け出す方法、それこそがオメガの幸せだと考えられていた時代だった。
「イファの美しさの評判を聞きつけて、年頃になったイファに妾の話が来たんだ。相手は全羅道の富豪ムン家でな、みんないい話だと喜んだ」
当時は、今のように「オメガ保護法」などはなく、貧富の差が今よりも激しかった。
結婚はアルファ同士でするが、子供を作るためにオメガを妾にするのは、どこの金持ちでもやっている事だった。
だが妾とはいえ、跡継ぎを産んでくれるオメガを、どこの家も大切にした。
特に跡継ぎを産んだりしたら、本人はもちろんオメガの実家まで手厚く世話をし、死ぬまでいい生活が約束された。
オメガの実家も、妾に出すことに抵抗はなく、むしろ「いい話」として受け止められていた。
恋仲だったムオンも、イファの幸せの為、自分の感情をひた隠し、イファを送り出した。
「バーさんも、ムオンも、村の人達もみんなイファの幸せを疑わなかった。妾に貰われて2年後、イファが跡継ぎ(アルファ)を産んだと聞いて、みんなで喜んだ。イファはさぞかし幸せな毎日を送っているんだろう、そう思っていた」
「…違ったの?」
ジーさんは、グッと唇を噛み、悔しそうに言った。
「ムン家はイファがアルファを産んで喜んだ。そして「アルファが産めるオメガ」として…親戚中をたらいまわしにしたんだ…!」
「え…?ど、どういう、事…?」
「イファの許可なく…親戚中の男と子供を作るために…順番に…」
「ひどい…!なんで?なんでそんなことが出来るの?」
「…イファは最初の子を含めて3人のアルファを産み落とした。だが、文字通り「産む道具」にされたイファは体を壊し、最後の子を産んだがその子はオメガだった。怒ったムン家は、病気のイファと生まれたばかりの子供を放り出したんだ…」
ジェジュンは言葉を失った。
自分には記憶の無い母親だが、自分を産んでくれた大切な人。
なのにそんなひどい話があっていいのだろうか。
知らない間に、涙が零れていた。
「病気の体に生まれたばかりの子供を抱え、イファは途方にくれた。だが、イファが仲良くしていた下働きのオメガの女がいてな。その人が生まれたばかりの子を預かってくれたらしい。イファは元気になったら迎えに行くと…そう言って、命からがら実家に戻った」
「バーさんも、村の人間もイファの話を聞いて絶句した。幸せに暮らしているとばかり思っていたからな…」
痩せ細り、艶の無くなった髪、青白い顔をしたイファを見て、村中の人間は怒りに震えた。
あの美しく、可愛かったイファを、こんな風にしたムン家やアルファという存在に怒りが止まらなかった。
ジェジュンの祖母は、あまりのショックで数日寝込んでしまった。
だが、どうしようもなかった。
相手は全羅道の富豪のムン家だ、警察も、村の誰も文句を言えなかった。
「特にムオンの悲しみは大きかった。イファが幸せになるために自分の気持ちを押し殺したのに、こんな結果になったと…自分を責めた。ムオンはイファを守るために、病気のイファと結婚した。最初は断っていたイファだったが、ムオンの優しさにほだされ二人は一緒になり、村中で祝福した。ワシらが出来る事は、それぐらいしかなかった」
涙が止まらないジェジュンを慰めるように、ジョンフンが優しく肩を抱いていた。
「あの頃が、イファにとって初めて幸せな時間だったのかもしれん。優しいムオンのおかげで、イファも元気を取り戻してきた。そして、二人の間に子供が出来た。それがお前だ、ジェジュン」
病気の体を押しての出産に、最初はムオンも反対した。
だが、イファは聞かなかった。
どうしても自分の子供が産みたいと、ムオンに訴えた。
今までの子供は、ムン家に取られてしまったから…。
「お前が生まれた時…イファそっくりのお前を、村中の人が喜んで抱き上げた。ムオンもイファも、幸せそうに笑っていた。バーさんも最高の笑顔を見せた。お前は…幸せの象徴だったんだよ…ジェジュン」
だが現実は残酷だった。
無理をしてジェジュンを産んだイファは、結局ジェジュンの一歳の誕生日を迎える前に他界した。
ムオンの悲しみは、想像以上だった。
だが、イファの死ぬ前に残した言葉が、ムオンを奮い立たせた。
「イファは死ぬ前にジェジュンの事を頼むと言い残した。そして自分が産み、預かってもらっているオメガの子供を探して欲しいと…その子とジェジュン二人を育てて欲しいと…」
ムオンは必死にその子を探したが、下働きの女も辞めていて消息がつかめなかった。
ジェジュンを育てながら、その子を探す日々。
無理をし過ぎたムオンは、深夜事故に遭い、そのまま帰らぬ人となった…。
「ひどい話だろう?だが、こんな話は当時いくらでもあった。決して珍しい話ではなかった。これがオメガの暗い歴史だ。バーさんは、そんな話をお前に聞かせたくなかったんだろう。だが、お前の親の事だ。お前が知らないのはいかんと思った。ワシが話さなきゃならんと、思ったんだ…」
「うっうっ…じーちゃん、僕…」
ジェジュンは、ベッドの前に座り込み、しわだらけの爺さんの手を握った。
爺さんは、優しくジェジュンの頭を撫でた。
ジョンフンは怒りが抑えられずに言った。
「なんなんだよ、そのムン家って!最悪じゃねーか!」
「イファが妾に入ったのはムン家の分家だ。そして本家の長女が嫁いだのは、あの大財閥チョン家だ。長女がスーパーαを産んだ事で、ムン家はますます力をつけたらしい」
ジェジュンは、ガバッと顔を上げて言った。
「え…?それは、もしかして…チョンユンホの母親の実家が…ムン家ってこと?」
「そうだ。だからジェジュンがチョン家に引き取られたと聞いて、ワシはバーさんの所に反対しに行ったんだ。だが、バーさんは言わないで欲しいと…うっ!ゴホッゴホッ…ぅぅ…!」
「爺ちゃん!ジェジュン、ナースコールを!爺ちゃん!しっかりして!」
すぐに看護師数人と医者が病室に入って来て、ジェジュンは追い出された。
ジェジュンは廊下の壁に背を付けたまま、ずるずると崩れ落ちた。
結局じーちゃんは、そのまま昏睡状態になり、ジェジュンは一旦病院を出る事にした。
病院を出るともう日が傾いており、強烈な夕焼けが、病院の前の小さなベンチを赤く染めていた。
ジェジュンはそこに座り、大きなため息をつくと、一気に脱力してしまった。
…なんて話だろう……。
ばーちゃんから、両親は事故で死んだと聞かされていて、疑った事も無かった。
早くに死んでしまい可哀想だ、ぐらいに思っていたのに、そんな悲しい過去があったなんて。
そんな時代だったで済まされる話だろうか、これはあまりにひどい、ひどすぎる!
オメガを何だと思っているんだ!オメガは産む道具なんかじゃない!
アルファがそんなに偉いのか?同じ人間じゃないか!なのに、どうしてそんなひどい事が出来るんだ。
しかも…それが、ユノの母親の実家だったなんて…!
ユノの母親…僕に暴言を吐き、ばーちゃんを侮辱した…あの女の人だ!
許せない!許せない!
抵抗できずに死を受け入れるしかなかった、僕の両親が、あまりに可哀そうだ。
ジェジュンはずっと思っていた。
なぜオメガだけが、こんな目に遭うのか。
なぜオメガだけが、こんな思いをしなければならないのか。
ユノやユチョン、チャンミンはそんなひどい人たちじゃないと、頭では分かっている。
だけど、彼らはアルファだ。
オメガの僕の想いなんて…きっと彼らには一生分からない…!
なぜオメガだけが…
※※※
ひどい話です。ムン家はオメガの事を搾取して当り前だと考えています。
そしてそのムン家はユノの母親の実家でした。
ジェジュンが怒り、悲しむのも無理はありません。
この物語最大のテーマ。
「なぜオメガだけがこんな目に遭うのか、こんな思いをしなければならないのか」
女性である皆様には、ジェジュンの想いがきっと届くと思い書いています。