ムンスミンは、報告書をギリギリと握りしめ、秘書に向かって投げつけた。
「ユノがオメガを旅行に連れて行って、家に住まわせてるですって?!まさか、もう番にしたんじゃないでしょうねっ!」
「いえ、それはありません」
「でも本気って事よね。まったく勝手な事を!あなた達、今まで何をしてたの!」
「申し訳ありません。思いのほか情報が漏れてこず…」
「シムチャンミンの仕業ね。まったく忌々しい…シム家の長男が!」
「あと…申し上げにくいのですが、青瓦台の方からの派遣も続いておりまして、最近は帰さず、応対しているようで…」
「はぁ?何よ!今まで抱きもせず帰していたくせに!どういう心境の変化?」
「分かりませんが…。青瓦台の要請は断れなくなったのかもしれません」
スミンはチッ!と大きく舌打ちをした。
「まずは、家にいるオメガよ!それで?そのオメガはどこにいるの?」
「今は学校に。もうすぐ帰宅します」
「行くわよ!アンタ達に任せていられないわ!さっさと出て行かせるのよ!」
ジェジュンが学校から帰ると、知らない女の人がリビングで、足を組んで座っていた。
40代ぐらいの、上から下まで高級品に身を包み、濃いメイクの冷たそうな人。
隣にはスーツを着た部下らしき男が、黙って立っていた。
「貴方ね?キムジェジュンって言うオメガは」
「は、はい。あの…どちら様で…」
「私はユンホの母親です。あなた、私の顔も知らないくせにここに住むってどういう事なのかしら」
「す、すみませんっ。僕は…」
「いいわ、調べはついてる。まさか、とは思うけど…あなた、ユンホと番う気じゃないでしょうね」
長く赤い爪が、いら立ちを隠せないように組んだ腕をコツコツと叩いている。
「知っての通りユンホはこの国唯一のスーパーαで、チョン家の長男です。ユンホの番は私が見つけます。ユンホもそれを承知しているわ。然るべき家柄のお嬢さんと縁談を進めている所よ。ただでさえ青瓦台からもユンホと子供を作るために、たくさんの人が派遣されていて頭が痛いんだから、イライラさせないでちょうだい!」
「え…縁談?青瓦台からの…派遣?」
「聞いてない?聞いてないでしょうね。あなたの事は遊びなんだから。知らないのね。ユンホは青瓦台から派遣されたアルファやオメガを何人も抱いているわ。それともオメガのいやらしいフェロモンでたらし込んだの?そんな獣じみた約束で、ユンホの将来を潰す気なの?」
「そ、そんな…」
「調べたらアナタ、両親共オメガの子供じゃないの。それに両親共亡くなってオメガの祖母に育てられたとか。呆れた…。そんな下賤なオメガがチョン家の屋敷に入り込むだなんて…あなたの祖母はよっぽど身の程を知らない無学な人間なのでしょうね」
下賤なオメガ?身の程を知らぬ無学な人間?
ジェジュンはフルフル震えながら、何とか口を開いた。
「あまりに…言葉が過ぎます。僕の事は何を言ってもいい。でも祖母は…優しくて道理をわきまえた、正しい人でした!」
「なぁにが正しい人間よ!オメガの分際でアルファの私に口答えするなんて!道理をわきまえた人間なら、さっさと出て行きなさいっ!!」
スミンが顎をしゃくると、後ろから大柄な秘書がジェジュンの首根っこを掴み、そのまま持ち上げた。
「は、離してくださいっ!」
秘書は、上着も靴も履かせないまま、ジェジュンを車に放り込むと車を走らせた。
30分ほど走った工場跡に車を停め、ジェジュンを強引に放り出した。
バシャッ!!
水たまりに放り出され、制服のズボンが黒く汚れ、冷たくて震えあがる。
車は無情にも、そのまま無言で走り去ってしまった。
「うっ…うっ…」
秋の風が身に沁み、泥だらけになった足元から容赦なく体温が奪われる。
スマホも小銭もなく、ここがどこかも分からない。
まるで冷たい水を浴びせられるように、酷い言葉を投げつけられた。
殴られた方がマシだ…。なんてひどい…。
僕の事はまだしも、バーちゃんの事をあんな酷い言葉で侮辱するなんて…。
それに…ユノは本当に…派遣された人たちを抱いたの…?縁談があるなんて聞いてない…。
悔しくて、悲しくて、溢れる涙が止まらない。
立ち上がる気力も無くてしばらくそこで泣いていたが、もう日が落ちそうだ。
とにかく…人がいる所に行かなきゃ…。
仕事をしていたチャンミンのスマホに、珍しくユンホ自宅の家政婦長から電話があった。
「はい、何かありましたか?」
「あ、あの。先ほどユノ様のお母様がいらして、ジェジュンを…」
チャンミンは、ユノの執務室に駆け込んだ。
「ユノ兄!大変です!」
「な、なんだ?びっくりさせんな!」
チャンミンから話を聞いたユノは、みるみる鬼の形相になり、チィッ!と舌打ちをした。
すぐさまスマホを開き、何かのアプリを起動させた。
「あ、もしかして…GPSですか?」
「あぁ。ジェジュンの特別性チョーカーに仕込んである」
「コワ!でも緊急事態だ、でかしたユノ兄!」←偉そう
すぐ位置情報を割り出すと、ユノは上着を掴んで立ち上がった。
「ジェジュンは上着も靴も履いてないそうです。部下も向かわせます、先に行って!」
「あぁ、頼むぞ!」
チャンミンに投げられた車のキーを掴むと、ユノは風のように車に乗り込み、速度を上げた。
ジェジュンは人気のない工場跡をとぼとぼ歩き、そこを抜けるといくつかの店や民家が見えてきた。
落書きに汚れた壁、ゴミと水たまりだらけのでこぼこ道、垂れ下がった電線、据えた匂い。
古い街灯がぼんやりと照らす、治安の悪い場所であることは一目瞭然だ。
靴を履いていないから、ガラスで切ったのか足が痛い。
寒さと痛みと、鉛のように重くなった心で、足が進まない。
さっきから…誰かに見られているような気がする…。
「あれ~?いい匂いがする~。可愛いオメガちゃん、み~つけたぁ」
ドサッと肩が重くなり、見ればタトゥ―だらけの腕が肩に乗っていた。
「あらら~足ケガしてるよ?靴は?」
ニヤニヤと笑いながら、3人の男達がジェジュンを取り囲んだ。
「離してください」
「そんなつれない事言うなよぉ~。ホント可愛いなぁ。男だけど全然ヤれるわ」
ケラケラと笑いながら、まるで小動物をいたぶるようにジェジュンに纏わりつく。
「離してっ!」
ドンと男を突き放すと、返す手でバチンと頬を叩かれ、そのまま片手で首を絞められた
「ひゃ~ほっせぇ首!女みてぇに白い肌だねぇ~」
「グッ…ゲホッ!」
「は~い、いらっしゃ~い」
男達はそのままジェジュンを捕まえて、目の前の小屋のような店に連れ込んだ。
汚れたソファに押し倒され、両手を掴まれ引き上げられる。
無遠慮に体をまさぐられ、痛い程股間を掴まれる。
シャツを勢いよく引っ張られ、ボタンが飛び散った。
「やだ!やめて!」
「わぁ~可愛いびーちく。まっぴんくだぁ」
近寄って来る男の頭から体をひねって逃げると、ドカッと顔を殴られた。
どれだけ必死に体を動かそうとしても、強い力に押さえ込まれ、びくとも動かない。
体を押さえつけ、ジェジュン自体を好き勝手にしようとする暴力に、心から恐怖を覚えた。
嫌だ…いやだ!ユノ、助けて!!
声にならない叫びは涙になって零れ落ちる。
口を塞がれた手に涙が落ちた時、後ろで大きな音がした。
必死に顔を向けると、そこにはドアをけ破り、長い脚を上げているユノがいた。
「はぁっはぁっ…ジェジュンッ!!」
両手を押さえられ、ジェジュンに男が馬乗りになり、シャツがはだけている。
唇から血が出て、ユノを見て涙をポロポロ零すジェジュンの姿を見て、ユノの中で何かがプツンと切れた。
ユノの目が、カッと怒りに燃える。
それは一瞬の出来事だった。
ジェジュンに馬乗りになった男をぶん殴れば、重いパンチに壁に激突し口から泡を吹き、手を押さえつけていた男を蹴り上げれば、店の隅まで吹っ飛び一瞬で再起不能に。
焦ってジェジュンを人質にナイフを出した男は、手首を折られ嫌な音がした。
「ジェジュン!ケガはないか?大丈夫か?」
「う…ゆ、の…」
抱きついてきたジェジュンを抱き留めると、ユノは上着を羽織らせ、口の端の血をそっと拭いた。
そのままジェジュンを横抱きにし歩き出したが、ジェジュンの涙を見て、怒りが収まらなかったユノは、倒れた男達にもう一発ずつ蹴りを入れ込んでから、車に帰った。
ユノは車のドアを開けジェジュンを座らせ、ジェジュンを抱きしめた。
ジェジュンよりもはるかに大きなユノの体が震えている。
「ジェジュン…!間に合わないかと思った…!」
心を傷つけられ、体を奪われそうになって、怖くて怖くて、心の中で必死にユノを呼んだ。
恐怖に飲み込まれ、自分を見失いそうだったけれど、ユノが来てくれた。
こんなに大きな体を震わせて、僕を壊れ物のように大切に抱きしめてくれる。
番とか、スーパーαとか知らない。
僕は…ユノだけを信じたい…!
許さん…!
※※※
ユノよくやった!GPSも許そう。
スーパーαのユノは頭もいいですが、めちゃくちゃ強いです。カッコイイ!
ユノの母スミンは、オメガを徹底的に下に見る差別主義者。こういう人は何処にでもいますね。
そのせいで、オメガが酷い境遇に追いやられています。