「顔色も良くなりましたな。体の重みも増したかと。調子は良いですか?」
「李先生に頂いた薬が効いたようです。最近では庭を歩くほどに復調しました。食欲もあります」
「それは良かった。それでは、そろそろ解毒の治療に入りましょう」
清の言葉を操るユノが、ジェジュンの代わりに李先生と話をしている。
李先生は、顎髭をしゃくり弟子の一人から、黒い丸薬を受け取った。
「これは、私が作った新薬です。効果は期待できますが、副作用も伴います。吐き気と高熱が予想されます。治まったらまた薬を飲む。それを繰り返さねばなりません」
「繰り返す…?いったい、どのぐらい…」
「少なくとも数回は繰り返す必要があります。辛い治療になります。どうか支えてあげてください」
「…そんなにつらい思いをして、本当に治るのですか?ジェジュンの耳は聞こえるようになるのですか?」
「新しい薬なだけに、確実だとは言えません。まだ誰も使った事が無いのですから。しかし今ある薬では完治の道は見えません。信じて頂くしか方法はありません」
ユノは険しい顔をして、李先生の言葉をジェジュンに手話で伝えた。
ジェジュンは一瞬強張った顔を見せたが、李氏の治療を信じると言った。
ジェジュンの治療が始まった。
ひどい眩暈と吐き気に襲われ、何を食べても飲んでも、みんな吐いてしまう。
食欲は失せ、高熱に浮かされながら、せっかく戻った体もみるみる痩せてしまった。
やっと熱が下がり、ユノはジェジュンに向かって声を掛ける。
「ジェジュン、聞こえるか?」
しかし、ジェジュンは俯いて首を横に振った。
固唾を飲んでジェジュンを見守っていたシンドンから、落胆のため息が聞こえた。
少なくとも数回は繰り返さなくてはならないと聞いていたが、ユノの落胆も隠せなかった。
解毒の治療が始まった。
聞いていたとはいえ、猛烈な眩暈、止まらない吐き気、苦しい高熱に、逃げ出したくなる。
子供の頃、毒による高熱や吐き気に苦しめられた日々を思い出す。
もう嫌だ、こんな治療したくない、耳なんか聞こえなくていい…!
そんな時、冷たい手拭いが額に乗せられる。
辛い背中を、優しく摩ってくれる分厚い手。
何時間でも体を摩り、汗をぬぐい、吐いた汚物を片付けてくれる。
目を開けると、必ず傍にいてくれるシンドンは、子供の頃と同じだ。
だが、今はその傍にユノもいる。
横になるのも辛い時は、ユノが後ろから抱きかかえるように座り、少しでも楽になるよう支えてくれる。
自分も辛いが、二人が一緒に乗り越えようと支えてくれる。
俺は、一人じゃない……。
吐き気や高熱が続く治療を続けても、ジェジュンは聞こえるようにならなかった。
やっと熱が下がり、体力の回復を待ち、ようやく痩せた身体が元に戻った頃、また辛い治療が始まる。
だが、ジェジュンは一度も「もうやめたい」とは言わなかった。
俺だったら、一度目の治療で音を上げていたかもしれない。
ジェジュンの辛抱強さは、目を見張るものがあり、李先生も驚いていた。
「さすがは、世子様であったお方ですな。こんなに辛抱強いお方は、初めて見ました」
「それはそうだろう。どれだけ辛い幼少期を過ごしてきたか。そんな事より、まだ聞こえるようにならぬのか!」
つい声を荒げてしまうユノだったが、どれだけ騒いでも何も変わらない。
自分が出来る事は、ジェジュンの傍にいる事だけなのだ。
そんな時、事件が起こった。
屋敷に、皇帝の部下が押し掛けたのだ。
「なっ!なんですか!あなた達は!」
「皇帝がお呼びだ。この家の主人は誰だ?」
「皇帝が?何故?私達は何もしていないっ!」
「話は皇帝に聞け。さぁ私達と一緒に来るのだ!」
「お待ちください、この家の主人は病人です。私が代わりに参ります」
床に臥せっているジェジュンに代わり、ユノが皇帝の元に引き立てられた。
清の王宮を見て、ユノは驚愕した。
大きい。
何もかもが朝鮮とは比べ物にならない大きさであり、全てが絢爛豪華だった。
門から王宮は見えないほどの広大な敷地、見上げる高い塀、目の前には天まで届きそうな高い階段があった。
それは、清国の権力の大きさそのものだった。
清国の皇帝は、髭を蓄えた初老の男だが、その体は大きく眼光は鋭く、強烈な威圧感だった。
地獄の閻魔様がいるならば、きっとこんな風貌だろうと思った。
「お前か、怪しげな手業を行うという者は」
どうやら手話の事を指しているようだ。
ユノは震える体を抑え込み、落ち着いて答えた。
「恐れながら。それは手話というものです。私達の主人は耳が聞こえません。だから声の代わりに手を使って会話するのです」
「ほう…。声の代わりに手で会話する、か…」
聞けば、皇帝の末娘の子が、生まれつき耳が聞こえず対話や交流が出来ず困っているという。
「それは、子供でも出来るのか?」
「お子様なら、手遊びの様にやるがよろしいかと。きっと楽しんで覚えてくれるでしょう。しかし、周りの人間も手話を覚えなければ、会話は出来ません。そして、これは朝鮮の言葉で作った手話です。清国は清国の言葉で造らなくてはいけません」
「なるほど…分かった。お前、清国の言葉を使えるな?お前が清の手話を作れ。さもなければ、お前の主人の命はないと思え」
「お言葉ですが、私の主人はジェジュン様お一人。私は、私の主人以外、誰の命令も聞けませぬ」
皇帝はギロリとユノを睨んだ。
「皇帝である私の言葉を無下にするというのか!えぇい!許さぬ!」
「何と言われても、私は主人の耳を治すためにこの国に来たのです。李泰然先生の治療を受けるために」
「な、何…?治るのか?そんな馬鹿な!王宮の医師たちが誰も治せなかったのに?李泰然?それは誰だっ!」
皇帝に部下が耳打ちすると、皇帝は真っ赤になって怒った。
「そんな怪しげな治療を行うものに、我が孫を預けるわけにはいかぬわ!笑わせるな!」
「何が怪しいというのです。確かに清国の医療は進んでいる。しかし西洋の医療はもっと進んでいるのです。西洋医学、東洋医学、そのどちらも理解している李先生の言葉を私は信じます」
「なに?西洋医学が清の医学より進んでいるだと?そんなわけはない!我が清国は最高の医学を持っている!」
「恐れながら、清国ともあろう大国が、何を恐れる必要がありましょう。西洋の良い所があれば、それを受け入れればよいのです。さすれば、清国はもっと大国になるでしょう」
皇帝は顔を赤くして怒ったが、同時に思った。
皇帝である私を全く恐れないどころか、何より清の皇帝より自分の主を優先するその忠誠心に魅せられた。
欲しい。
この忠義溢れる若者は、きっと私の手足になり、良い働きをするだろう。
「おい、お前、名を何と申す」
「私はチョンユンホと申します」
「お前の主人の名は?」
「キムジェジュン様でございます」
「キムジェジュン…だと?もしや朝鮮の世子であったキムジェジュンか?」
「さようでございます」
なるほど…朝鮮の世子であったキムジェジュンは、とても利発で肝の座った男だと聞いた。
確か、病気のために世子を退いたが、それがなければ良い王になっただろう。
皇帝より忠義を尽くすのは、朝鮮の王になるべき男だったという事か。
…この男は、主の為なら今すぐにでも命を投げ出すだろう。
皇帝は、主従関係を超えたユノとジェジュンの関係を羨ましく思うと共に、これほどまでに忠誠を誓われるキムジェジュンにも興味が沸いた。
「分かった。主の療養に力を尽くせ。その合間で良いから、清の手話を作ってくれ。頼む」
ユノは、皇帝が自分に頭を下げた事に驚いていた。
そしてそれは、数いる皇帝の臣下たちの驚きでもあり、もう誰もユノ達に手出しは出来なくなった。
皇帝はジェジュンを王宮で療養させよといったが、ユノは丁寧に断った。
山間の静かな屋敷はジェジュンも気に入っているし、二人の時間を誰にも邪魔されたくなかった。
その代わり、ユノが通いで手話を作る事にし、数名の兵を借り、屋敷に常駐させることにした。
※※※
辛い治療が始まりました。でもユノが傍にいるよ。
ガンバレジェジュン!
ジェジュンを守るため皇帝をも恐れないユノ。
そんなジェジュンとユノに、皇帝は興味津々です。
邪魔しないでよねー!