ジェジュンの意識が戻らぬまま、チャンミンの世子柵封の儀式は行われた。
勤政殿には、ずらりと正装した重臣たちが並び、晴れやかな天気の中、儀式はつつがなく終了した。
王妃は、立派な我が子の姿を見て、幸せの絶頂のような、晴れ晴れとした顔をしていた。
その時、並んで立っていた領議政が、王様の御前に立ち、静かに頭を下げた。
「王様、世子柵封おめでとうございます。しかし、是非王様のお耳に入れたいことがございます」
「なんだ?」
領議政が後ろに顔を向けると、ある尚宮が引きずられて王様の前にやってきた。
それは、キム尚宮だった。
自分の手の駒だったキム尚宮を見て、ぎょっとした王妃の顔色がみるみる青くなった。
「王様、先日ジェジュン様がお倒れになったのは、毒のせいでございます」
王妃はキム尚宮をギリギリと睨んでいたが、キム尚宮は王妃を見なかった。
「この女が薬湯に毒を入れたと証言しました」
「なっ!何?本当かっ?!本当に世子に毒入りの薬湯を飲ませたのか?」
「は、はい…。私が毒入りの薬湯をお持ちしました」
「王様、この尚宮が一人でそんな事をするはずがありません。必ず命令した人間がいるはずです。誰に命令されたか、王様に言うのだ!」
キム尚宮が口を開こうとした時、王妃が先に口を開いた。
「王様!今日は晴れやかな世子柵封の日!そのような事は後日改めて…」
「いいや!ならんっ!早く申せ!誰に命令されたのだっ!」
王様は立ち上がり、唾を飛ばして激高していた。
キム尚宮は、髪を掴み上げられ絞り出すような声で言った。
「それは…っ王妃様です…!」
王妃は青ざめた顔で立ち上がり、手を振り上げて叫んだ。
「な、何を申すかっ!王様!私はこのような尚宮は知りませぬっ!領議政が私を貶めようとして…!」
「王様!調べましたところ、この尚宮は、15年以上前から、王妃の元で影として働いていた尚宮です。この者は特別な毒を操ります。そして、先の王妃が亡くなった時も、この尚宮は王妃の元で働いておりました!」
「な…な、にぃ…?」
王様が、ゆっくりと王妃を睨んだ。
体は怒りで震え、目が血走り、まるで鬼のような形相をした王様に、王妃は震えあがった。
普段、聖君と呼ばれ、いつ何時でも冷静で優しい王の顔は、そこにはなかった。
「王妃…おぬし、まさか…」
「王様!先の王妃の死には不明な点が多くございます。この際もう一度お調べになってはいかがでございましょう」
「お、王様…!違いますっ!私ではありませんっ!信じてくださいっ王様!」」
王はもう王妃を見なかった。
「領議政!先の王妃が死んだ理由を、もう一度調べ直せ!必ず真実を突き止めよ!」
「ははーっ!王命を承りました!」
領議政は深々とお辞儀しながらニヤリとほくそ笑んだ。
王妃は、ギリリと領議政を睨んだが、もう何も言えなかった。
チャンミンは、東宮に帰ると体中の力が抜けてしまった。
まさか…母上が兄上に毒を?
そして、兄上のお母上にも毒を……?
まさか、まさか、信じられない。
いくら僕を世子にしたかったと言え、母上がそんな事をするはずはないっ!
「世子様、お召替えを」
「…少し、一人にしてくれ」
考えたくない、見たくない、聞きたくない。
どれだけ耳を塞いでも、頭の中は兄上の事で一杯だ。
ふと、兄上の言葉が蘇る。
『人は自分に都合の悪い事を認めたくないものさ。だが現実はそれをあっさりと裏切る。それでもその現実から目を逸らしてはいけない。それを受け止める度量を持つんだ』
…まさか……兄上は、最初から知っていらっしゃった?
私の母が自分の母上に毒を盛った事を知りながら、兄上は私を弟として可愛がってくださったのか?
私だけが何も知らず、嬉しそうに兄上に纏わりついていたのか?
一体…どんなお気持ちで、母や僕を見つめておられたのか……。
兄上の母である先の王妃は、王様のご寵愛を一身に受けておられたとか。
それを見つめる嫉妬に狂った母の顔が想像できた。
…母は、本当に毒を盛ったのか…?
いや、毒を盛ったのだろう。
全ては自分が王妃になるために…!
そして、この王宮で権力を握るために、私を世子にしたかった。
領議政や他の重臣と密談を重ね、影の実権を握ろうとしたんだ。
あぁ、なんて事!なんて恐れ多い事を!
チャンミンは立ち上がると、王妃の元へ走った。
「世子様!誰も通すなと…」
「ええい!うるさいっ!さっさと開けろ!」
扉が開くと、チャンミンはどかどかと足音を立てながら王妃に近づいた。
王妃は項垂れたまま、チャンミンを見ようとしなかった。
「母上!本当なのですか?!本当に母上が、兄上に毒を…」
すると王妃は無表情のまま言った。
「世子様、私がそんな事をするわけがないでしょう。すべては領議政が仕組んだこと。私は嵌められたのです!」
「母上!どうか、どうか本当の事を…」
「私の言葉を信じないのですかっ!母である私の言葉より、あのような奸臣の言葉を信じるのですかっ!」
チャンミンはグッと俯くと、体をわなわなと震わせた。
痩せ細り陽炎のような兄上の後姿、それでも笑顔で僕を迎えて下さった優しい笑顔が蘇る。
噛みしめた唇からは、血が滲んでいた。
涙が零れる。
後から、後から…涙が止まらなかった。
「信じられないのです!母上、あなたの言葉が信じられない!あなたは兄上にも、先の王妃様にも毒を盛った。全ては自分が王妃になるため。権力を握るために…!」
「兄上の耳を聞こえなくしたのも母上だ!そしてすべての罪を大妃にかぶせようと噂を流し、王様と大妃媽媽との仲を引き裂いたのも母上だ…っ!私は…世子になどならなくて良かった!今のまま、兄上をお支えすることが出来れば、それでよかったのに…っ!!」
息子に信じられないと言われ、思わず黙り込んだ王妃。
涙ながらに訴える息子チャンミンに、もう嘘は通用しないと思った。
それは、全てを肯定したと同じ事だった。
「うわぁぁぁぁっ!!!」
チャンミンはそこにあった棚も机もなぎ倒し、湯飲み茶椀を壁に投げつけた。
茶碗はバリ―ンと音を立て、木っ端みじんに砕け散った。
「チャンミン…!」
初めて見たチャンミンの怒りに、王妃は身を縮こまらせ震えていた。
「何という事を…!母上に人の心は無いのですか?もう、僕は終わりです…!僕は聖君になどなれない…!」
「何を言うのですチャンミン!あなたは、世子です!胸を張って堂々と…」
「どうやって堂々とすればよいのですか!僕が座る玉座は、血塗られて腐った憎悪の塊だ!その上に、どうやって座れというのか!僕は…もう…消えてしまいたい…」
「チャンミン!」
両手で顔を覆ったチャンミンの頬から、涙が落ち続ける。
「僕はっ…一人息子として母を愛してきました。だが今は、あなたの息子であることが……心から恥ずかしい…!」
「チャンミン……」
あなたの息子であることが心から恥ずかしい…!
※※※
チャンミンの怒り、そして絶望。
いつも優しかった愛する息子からの言葉に、王妃は絶句してしまいます。
息子に「あなたの子供であることが恥ずかしい」と罪を咎められた王妃。
これ以上の罰は無いのかもしれません。