片田舎に男がいた。面構えは悪く、髪は中途半端に禿げ散らかし、毎日同じスウェットを着、喋るとなんか臭く、喋らなくてもそれはそれで臭く、横に無駄に広い図体でのそのそ動くのでどこにいても邪魔になり、たまに屁をこいた。見た目はそんなんだが人間性はどんなもんかと期待すれば、それはそれは過剰なナルシストであるうえに嫉妬の塊であり、とにかく自分の周りの麗しき乙女は自分のものになると勝手に決め付け、その周りに寄り添う男達を軽蔑し見下しもした。だが直接行動に出るほどの根性は持ち併せておらず、ただただ口だけの彼を若者言葉で形容すれば、ウザかった。
 そんな男には母がいた。というか、幼き頃から男には母しかいなかった。その母はパートをいくつも掛け持ち、男を世間から見れば過保護ともいえる程の愛情、具体的には金を注ぎこんで育てた。結果男は28を過ぎた今、金のかかるニートとしてすっかり実家になじんでいた。そんな男は、母の金も勿論そうだが、それを母が稼ぎ出す過程にきちんと愛情を感じていたから、自分に父親がいない理由なんて一切気にしたことが無かった。
 男の前で母は弱音を吐くことが無かったが、たった一度だけ「また明日もいつもと同じ明日が来るのね」とつぶやいて苦笑いをしたことがあった。思えば母は臭くは無いものの、いつも同じ服を着ている。男は人生で初めて後悔をした。いや、何に対しての感情か判然としていないため、正確にいえば後悔した気がしたのだった。
 それから男は母親のために服を作った。ミシンが家になったため主に手縫いだった。手先は器用ではないが裁縫だけは何故か異様に得意なのだ。母は息子の生まれて以来初めての自発的な行動に驚き喜び、服が出来上がれば当然着た。男は毎日縫って縫って縫いまくり、結果できあがった服はどんどん上等なものになっていった。
 丁度250着目の服を母が着たのは棺桶の中だった。男は今度こそ自分の今までの生き方に後悔し、一人の自立した人間として余生を過ごし、天国から見守ってくれているであろう母を安心させようと決心した。男はその後、磨きあげた裁縫スキルを方々に売り込み、ためた金を元手にオリジナルファッションブランドを立ち上げた。男は類稀なセンスと、母にささげた服のエピソード等で世間の注目を浴び、一躍巨万の富を得た。

 そんな男が出版した自叙伝のタイトルが「人生万事裁縫が上手い」であった。 
年を越したら今度は涙もろくなりました。なんだか色々心が落ちついて何見ても心がぎゅっとなります。本当にこんな日々は何年振りだろうか。後はバイトが見つかればいいなと思います。BARで働きたいです。
新年ぶちあけました!おめでとうございます!

今年はより一層萩原達郎、犬と串共々御贔屓願いたく存じます。

初日の出は見逃しましたが雑煮は既に今朝口にしました。おせちはあす以降口にするかもしれません。年賀状は今年も一通もきません。でもいいです。とにかく今は祝賀ムードに流されて酒をよく口にしております。
こんな時間の流れ方があるものなのかと、この時期はいつも思います。ゆったりとした時間は見て見ぬ振りをされて年末年始にぎゅっと強制収容されているんじゃないか。この時間は元は追いやられた時間たち、追いやられたゆったりした時間たちが両手両足ほっぽり出してゆったりしているから、この時期の時間の流れはいつにも増してゆったりしているんじゃないかと、そう思います。僕たちもそんな時間の無言の叫びを肌で感じて12月頭頃からそわそわしだし、年明けカウントダウンでは目ん玉血走ったり、なんかとりついたようになるのでしょう。そうでしょう。年が明けた時の懐かしさ及び安心感は、一度自分達が手放したものが懐に帰ってくる感覚なのではないでしょうか。
明日明後日辺りを過ぎると、急激に新春の空気が冷たさを取り戻し、べろんべろんに酔った頭が嫌でも対日常機能を取り戻そうとします。こうなるとまた、口惜しくも空しくも、ゆったりとした時間は2011年と2012年の隙間の方にぎゅっと詰め込まれていくのです。僕たちの手によって無自覚に。
以上の考えから、僕は一人でも旧友との戯れのように酒を飲むのです。