2024年もそろそろ終わり。

今年もいろいろありましたが、

11月21日、父が他界しました。

91歳。大往生です。


10月下旬に入院先の主治医から、「できる治療はやり尽くした。会いたい人に会わせておいた方がいい」と宣告されてから1ヶ月。

『生きる力』を見せてくれた父でした。


小学校からの友人が贈ってくれたお花



とにかく真面目で誠実だった父。

お酒が飲めないこともあり、仕事の後は真っ直ぐに帰宅。家族5人で毎日夕食を共にするのが当たり前でした。


私が学生の頃までは、優しいというより厳しかったかなぁ。

父の言葉で1番心に残っているのは

頑張り〜

これは博多弁で「頑張れ〜」の意味。

幼い頃、父の転勤で3年間福岡県に住んでいたのですが、なぜか父はこの博多弁だけは抜けず、私を励ます時にはよく「頑張り〜」と言っていました。


勤続40数年の会社を定年退職してからは、知的障害者施設でボランティア活動に励み、それも17年間!

厚生労働大臣から2度の表彰を受けたのは家族の誇りでした。


数年前からは軽い認知症になり、昨年秋には特養に入所しました。

晩年は、私の名前も忘れてしまったのか、

いつしか「陽子」と呼んでもらえることもなくなりました。


それでも父に教わったことがあります。それは

感謝の心

特養に面会に行くと、職員さんがこう教えて下さいました。

「お父さん、いつも食器の片付けを手伝って下さったり、床に落ちているゴミを拾ってくれるんですよー。」


ある日面会に行った時には、共用スペースのソファーで、施設で洗濯された食事用のエプロンを何枚も畳んでいました。


振り返れば、特養に入所して間もないある日、面会に行くと父がこんなことを言っていました。

「ここの生活は快適だけど、どうしてここにいるのかわからない。ただ生きているだけという感じ。」


家では庭の手入れをしたり、母とコーヒーやお菓子を楽しむ時間が大好きだったのに、なぜ自分がここにいるのかわからない。家に帰っても家族に迷惑をかけるだけとわかっているけど・・・


それでも周囲への感謝が体と心に染み付いていたのでしょう。

施設でも役に立つことがあれば、自然と体が動いていたに違いありません。


面会に行けば

「よく来たねー。ありがとね

と言ってくれましたが、父の体力が少しずつ弱くなっていくと、

「最近、お父さんの「ありがとねー!」が聞けなくなっちゃったんですよ」

と職員さんがポツリ。


最期を迎えた療養施設でも、話すことがままならなくなりながらも、面会に行けば両手を会わせて感謝の気持ちを伝えてくれました。


旅立つ間際まで、感謝の気持ちを忘れなかった父との別れの時、棺に『感謝』の笑い文字を収めました。



葬儀から1ヶ月。別れの覚悟はしていたつもりでしたが、やはり心にはポッカリと穴があくもので。

でも前に進まなくてはいけませんね。

頑張り〜

父の声が聞こえる気がします。


これからは感謝の心を忘れずに、新しい毎日を過ごしていきます。


最後までお読み下さり、ありがとうございました。