最近私のいる部署では、人の出入りが激しい。
一ヶ月前、新入社員が2人来たと思ったら、
今日更にもう1人、そのうえ副部長が今月末で
退職ということを知った。

私は派遣社員なためかそう言ったことは
誰も何も教えてはくれないので、
後から知る事になる。

副部長の退職はショックだった。
仲良いわけでも何でもない。
ただ、部署の中で唯一、人の気持ちに寄り添って
コミュニケーションを取ってくれる人だったからだ。



私と副部長はほぼ同期で、しかもまだ10ヶ月程
しか経っていない。

うちの部署は基本個人プレー。
相手からあれこれ親切に教えてくれない。
困っていても、多分それは気がついていても、
「助けて下さい。困ってます。」
と自分から発信しない限り、手を差し伸べる
ことはしてはくれない。
ドライなのだ。


副部長がきたとき、引き継ぎらしきことも
なさそうで、放置状態だったように記憶している。
そんな中自分で調べあげ、コミュニケーションを
積極的に取り、堂々と、でも偉そうぶらずな
姿勢に、私はすごいなあーと思っていた。

でもわずか10ヶ月足らずで退職。
理由はわからない。
だけどかなりしんどかったのかもしれない。
かなり無理をしていたのかも。
という想像が頭をよぎった。



今地球はアセンションに向かってまっしぐら。
9月からその勢いはましていくらしい。
そして、自分が本当にやりたいことしか
できない、動けない。
ありのままの自分になって素っ裸で
勝負するという流れになっているらしい。


副部長はきっと、自分の心に従ったんだな。
そう感じた。



私はどうする?さあ、何をやる?
そんなことは決まっているし決めている。
それでも、アセンションに向かう波に翻弄され、
急降下で自分が落ちてしまいそうな日もある。


焦り、不安、無虚、恐れ、なす術がない、
もっと強くあれたら、もっと力があったらと。


けれど、誰もが嫌うであろうそれも、しっかりと
抱きしめてあたためるのだ。

私の内側にはいつも、
真っ暗闇の中1つの星が輝いてる。
どれだけ絶望的でもその星だけはずっとそこにいて、
「これだけは絶対に離さない!」
と幾度も幾度も泣きながら握りしめてきた。
だから光を失ったことは一度もない。
その星がこれからも私を導いてくれる。


怖いまま進もう。
たとえ今どんな状況にいようとも


私は私を絶対にあきらめない。


めっぽう弱い朝。
必死の思いでぎりぎりで起床し身支度を
整えて家を出る。


最寄り駅で市の広報誌みたいなものを
配っていた。
慌ただしくカバンの中の財布をゴソゴソと
探している私の斜め前に広報誌が差し出された。


作り笑顔もせず目も合わさず、軽い会釈を
して通り過ぎた。
後ろから「通勤途中にご覧下さーい。」
と言っているのが聞こえた。


「あの人は東京の通勤ラッシュに
乗ったことがないのか?広報誌を広げる
隙間なんかあるわけない。はあ。」

と心の中でぼやく私。



少し小走りで改札を抜け、いつもの電車に
無理やり乗り込む。



変な体勢で我慢。
ベストな位置に足すら置けない日もしょっちゅう。
腰痛持ちには本当に辛い。
皆目が死んでいるように私にはみえる。
時折動画をみながらニコニコとしている人もいる。
お気に入りなものを見ているのだから当然なのに、
ニコニコしている人の方が異様にみえた。



途中、電車の速度が落ちてきた。
「○○駅で急病のお客様の介護を行なったため
この電車は約5分ほど遅れております。」
というアナウンス。
アナウンスは続く。まだ遅れる可能性がありますと。


「そんなにしんどいなら休めばいいのに」
とぼやく。


次の停車駅でまた人がどんどん乗り込んでくる。
電車が遅れているおかげで、あぶれた人が
通常時より更に強引に乗ってくる。


「もう無理無理!乗られへんやろ!」
と3回目のぼやきがでた。が、無理ではなかった。
その時、



「無理そうでも結構乗れるもんやな」
という私。
ここで何か変換(??)が起こったようだ。


目の前に新聞を小さくも広げて読み出す人がみえた。



「あ、広報誌広げる隙間あったわ。」


そして謝る。広報誌を配ってたおじちゃん、
ごめんと。



「こんな中なら途中から体調も悪くなるわな。
でもって、しんどくても休めない事情や、
休むと言いにくいような人間関係な
職場も山ほどあるよな。」

そしてまた謝る。
どこのどなたか存じませんが、ごめんなさい。



この辺りでやっとこさ気づく。
自分がとても疲れているということに。


愛想笑いなんかする必要はないが、
こちらに向けられた視線に笑顔で挨拶する余裕も
ない。世界を一方向からしか見られず。
あかんあかん。
こーやって人は自分自身を見失い、
真実を歪め簡単に人や環境などのせいにする。



疲れたらいつもやることの一つは瞑想だ。
と言っても、やり方は自己流で自分が心地よいなら
オッケーとしている。
電車の中など、周りがうるさかったり集中
出きなさそうな環境の方が、私は逆に
集中できたりする。



目を瞑り、内側へ入る。
胸の中心に意識をやると、宇宙とつながる
入り口があるのだ。
身体が在るのは認識できる。体感覚もある。
だか、身体と世界の境界線が間もなくすると
消えていく。



ただエネルギーそのものになり、全てと
溶け合うという表現が一番しっくりくる。
その状態でしばらくいると、自分の
光が力強く更に輝きを増し、大きくなっていく。
その光とも溶け合うと、本来の自分が取り戻せる。


下車し会社へ向かう。
自分を取り戻せた後は、同じ場所なのに
違っている。世界の明度は上がり輪郭がはっきりする。
モノクロの景色に彩りが現れる。



全ては自分の責任で在り、全て自分が創っている。
だからこそ、全て自分が望む世界を創ることが
できる。

だから毎日しつこく、そして飽きもせずに問う。

自分の感情の責任を誰かや何かのせいにしていない
だろうか。
私は自分に嘘をついていないだろうか。
そこに愛は在るのかと。




私が常々変態並みに意識して気をつけて
いることがある。
それは「いつも本当のことを話す」ということ。


人が腹にある思いと違うことを言っていると、
それが透けてみえて、身体が反応する。
なんか気持ち悪い。違和感がするのだ。
だから私自身も同じ。
本当の思いを隠して違うことを言う。
取り繕う。
そんなことをしたら、吐き気がしてくる。



就活での辛い思い出がある。

一番嫌いな作業。

そう、志望動機を書くこと。


その日に仕上げなきゃいけないのに、
夜中になっても結局書けなかった。
何故か。答えは簡単。本当のことを
書けないからだ。

本当の動機はこうだ。
「給料や職種、通勤距離などの条件が
良かったので志望しました。」

こんなのは志望動機の不正解の
見本みたいなものである。


友人は皆「真剣にいちいち見られないから
適当に書けばいいやん」という励ましと
エールをくれた。


そーやんな!そーするわ!と言い、
皆のエールに答えよう!よし書くぞ!
とやるのだか。


結局書けなくて、泣いた。
そして逆ギレしていた。
「会社の魅力とか入ってみなわからんやんか!
てか、大概条件で選ぶやろ皆!志望動機とか
書かせてなんか意味あんのか!!」と。



何故こんな自分なのかわからない。
これでは「真面目すぎる」と言われても仕方ない。
でも、今思えば書けなくて当然なのだ。
だって溢れるおもいがないのだから。




好きなこと。
興味があること。
愛してやまないこと。

これらを語るとき、人はものすごいパワー
が溢れ、その人らしさが爆発している
感じがする。
私はその爆発している時間を共に
過ごしたいと思うのだ。


でも、人は自分の好きなことを語るのに
躊躇することがあるようだ。
それが好きであればあるほど。


そんなことが好きって変なやつと
思われないかなとか、その年でいつまで
そんなこと言ってるねんとか、
そういう声が耳元で囁くのだろう。



私の前で、好きなことを心置きなく語って
もらい、その人の本質が爆発する瞬間を
見させてもらうにはどうすればよいか。


「あなたになら話しても大丈夫」と
いう私を目指そう。


だから私から好きなことを語ろう。
相手が引く寸前まで語ってやろう。
そしていつも本当の気持ちを伝えよう。


嘘偽り、取り繕り。そういうのはやった本人を
じわりじわりと痛め付けている。


いつも人を癒やしてくれるのは、
真実のみ。