いつもはむたろブログを読んでくださりありがとうございます。
前回記事から1ヶ月以上空きましたね。
皆さま、お元気でしたか?
今日はいつもの余計なプライベート報告は省略してエピソード紹介をしようかな(笑)
それでは今日も1エピソードお付き合いくださいませ。
突然ですが、患者さんからかけていただいた私の宝物の言葉を紹介します。
「あなたは入院したときに担当してくれた看護婦さんよね?ちゃんと覚えてるわよ^^」
「いつもありがとう。」
「今日は担当?よろしくね。」
「この前家族とあなたのことを話してたのよ。
あなたは誠実な人ねってうちの子どもが言っていたわ。」
「いつも助かっているよ。ありがとう。」
「今日はもう終わり?お疲れさま。気をつけて帰ってね。またお願いね。」
これぜーーーーんぶお一人の患者さんが私に掛けてくださった言葉です。
言ってくださる度にほっこりして、気持ちが温かくなって、またあるときは私に元気をくださった。
そんな方が今日の朝、お亡くなりになりました。
ちょうど引継ぎの時間。
連休明けの私は何も知らなかった。
その患者さんの状態が悪くなっていたことを。
今日担当ではなかったけど、担当でなくてもお会いする機会はあるので、いつも通りの笑顔に会い、私も笑顔で挨拶できると思っていた。
申し送り中だったので心電図モニターを時々見つめることしかできなかった。
波形が伸びていくのが悲しかった。
他の患者さんの対応があり、やっとAさんのお部屋に行けた時は静かに病棟を後にされるときだった。
私は、死後の処置が行われているとき、可能な限り、患者さんにお礼を言いに伺うようにしているのですが、今回、感謝の言葉を伝えられなかった。
あんなにもたくさんの温かいお言葉をいただいたのに。
いつも助かってるよと言ってくださっていたけれど、救われていたのは私の方だと思う。
お礼も言えないままになってしまった。
もうこんな思いはしたくないと思いました。
私はいつも日頃から何かできたかな。いつもできているかな。
結局辿り着くのは、目の前の方に対し、あったかい笑顔と視線。それにあったかい言葉にあったかい口調で関わること。心をその人に傾け話を聴かせていただくこと、その人の立場になった考え方で関わっていくこと。
それだけでは病院にいるただの人になっちゃうから、看護師として、この人に何が起こっているのか?予測されることは?優先すべきことは?私ができることは?を考えて行動することなどなど…なのかなぁ。
こんなことがあって思うのは、一瞬一瞬がもったいなく、愛しい時間。
患者さんが亡くなられて、気持ちが沈んじゃうときがあるけど、ナースコールが鳴れば、また別の患者さんのもとへ向かい、何もなかったかのように笑顔で対応しなきゃいけないこともある。
同様の職種はあるけど、看護師って酷な仕事…
それでもね、患者さんから教わったことに感謝し、忘れず、目の前の方やこれから出会う患者さんの対応に活かしていくこと、これが私ができる供養であり、その人が生きた証になるかな…と思うのです。
これはあくまで持論です。
後輩さん、いつかあなたの看護観聴かせてください。
はむたろより
今日も貴重なお時間を割いて読んでくださりありがとうございます