もう振り回されない|めんどくさい職場/家族人間関係から静かに抜け出す45才からの再起動サポート

もう振り回されない|めんどくさい職場/家族人間関係から静かに抜け出す45才からの再起動サポート

職場の人間関係に悩む40代女性が、自分らしさを取り戻し、安心して人とつながれる心の整え方をお届け。









50代で転職。



やっと決まった職場での初出勤の日は、
期待不安でいっぱいではないでしょうか。

そして、
出社してみたら上司は息子さんより
少し年上の、年下の上司だった。


そんな場面は今の時代、
決して珍しくありません。

緊張しているのは、あなただけじゃない


新しい環境で緊張するのは
もちろんあなただけではありません。


実は、年下の上司も同じように感じています。

「人生経験が豊富な部下に、どう接すればいいんだろう…」

「指示を出しても聞いてくれるかな…」


あなたを見ながら、
きっといろんなことを考えています。


お互いが探り合っている。

最初は、それが自然な状態です。



そこで、
ひとつ『気をつけて欲しいこと』を

カウンセラーとして
強くお伝えしたいのは…

「母親目線」で接しないことです。


初日は、
こんなふうに思うかもしれません。


「若いのに、しっかりしているな」
「うちの子と同じくらいかも」


これは自然な感情です。


ただ、
慣れてくるにつれて
つい母親のような気持ちが
顔を出すことがあります。


(忙しそうだけど大丈夫?)


長く人生を歩んできた方ほど、
そう思ってしまうものです。

それは優しさであり、
あなたの素敵な部分でもありますキラキラ


…
けれど、職場ではその気遣いが相手にとって
プレッシャーになることがあります。


「上司として見られていないのかな」
「頼りないと思われているのかな」

そう、感じさせてしまうこともあるのです。



職場でのあなたの立場は、
母ではなく同僚です。


心配する気持ちは、
心の中にそっとしまっておく。


その代わりに、
仕事の場面でできることを
大切にしてみてください。


 ✔️報告・連絡・相談を丁寧にする

 ✔️指示には、まず「はい」と受け止める

 ✔️経験からくる提案は、押しつけずに
「こういう方法もありますよ」、と伝える。



経験は、武器に。
態度は、フラットに。



この姿勢が、
上司にとっても安心につながり
結果的にあなた自身も働きやすくなります。



年齢差は、悪いことばかりじゃない



年下の上司との関係は、
実はお互いに学べることが
たくさんあります。



あなたには、
これまで積み重ねてきた経験や
人を見る目があります。


上司には、新しい視点や
今の時代の仕事の進め方があります。



どちらが上、どちらが下ではなく  
補い合える関係を目指していけたら素敵ですねグッ



最後に

年下の上司との関わりで、
迷ったことや工夫していることはありますか?

新しい一歩を踏み出したあなたを、
心から応援しています。





人間関係で悩む理由は人それぞれ


自分の“心のクセ”を知ることが

同じ悩みを繰り返さない第一歩。

 

 

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【プロフィール】


人間関係改善 × しなやかマインドサポーター
はぎわら裕子(BA-BA)

 

 

30年近く営業職に携わる中で、
人間関係のストレスをきっかけに体調を崩した経験から、
“心と関係性を整える方法” を探究。

 

 

現在は、エナジーコントロールⓇと心理学を組み合わせた
「Wアプローチ」で40〜50代女性をサポート。

 

 

「職場でストレスMAXだったのに落ち着けた」など
多くのクライアント様の声をいただいています。

 

 

 

右差し  詳細はこちらから

 

 

 

 

 

 

 

 

60歳を過ぎた頃、

 


昔のことを思い出しては
「ああすればよかった」
「なんであんなことしたんだろう」


って、後悔ばかりしていた時期があったネガティブ

 

 

 

でも今になって、ふと思う。

 

 

後悔って、
「選んだことへの後悔」と
「その結果への後悔」は
違うんじゃないかって。

 

 

 

結果だけを見れば、
違う道もあったのかもしれない。

 

 

でも、あの時の私は
あの時の私なりに考えて、選んで、生きていた。

 

 

そう思えるようになったら、
過去の自分を全部否定しなくてもいいんだと思えて、
少しずつ自分を取り戻すことができた(笑)

 

 

結果を悔やむことはあっても、
あの時の私まで否定しなくていい。

 

 

そう考えたら、
過去も未来も
少し違って見えるようになった。

 

 

……

 

……なんてね(笑)

(和久さん風)

 

 

 

 

 

自分を知り、自分を活かし

しなやかに生きる

 

 

まずは自分を知ることからはじめませんか照れ

 

 

 

 

 

 



最近感じること。


 軽い相談かと思いきや、

蓋を開けるとかなり複雑で重い。

そんなご縁が増えました。


「もう少し早く、
吐き出すだけでも来てくれたら…」
と思うことも。 



AIで言葉や思考を整理できる時代。


ありがたい!私もよく使います笑 爆笑


でも、AIの頼りすぎで
「言葉では納得したのに、何も変わらない」
「一人で考えすぎて、むしろ苦しくなった」
となることもある。



 …とは言え 
結局、一番難しいのは


誰かを頼ることよりも、

「自分は今、弱っているんだ」と
自分自身が認めて、受け入れること 
なのかもしれないうーん


そう思うはぎわらです。





 

 

 

 

若い頃の私は、

「私、満たされてないな」

 

なんて考えたことは
たぶんなかったと思います。

 

 

 

仕事も頑張りたい。

お金だって欲しい。

人から認められたら嬉しい。

 

 

そんなの、

みんな同じようなものだろうって
思っていました。

 

 

私は

長く販売の仕事をしていたので

 

頑張ったことが
「結果」として見えやすい環境でもありました。

 

 

売れれば数字になる。

 

結果が出れば
お給料にもつながる音符

 

 

 

だから、

 

もっとできるようになりたくて
勉強もしました。

 

 

 

 

仕事も頑張る。

 

お金も欲しい。

 

人からも認められたい。

 

人間関係だって

うまくやっていきたい。

 

 

その頃の私は、

それを欲張りだとも、

 

頑張りすぎだとも、

思っていなかったんですよね。

 

 

 

それが私にとっては
ごく普通のことでしたから。

 

 

 

 

 

でも50代になり

その頃から

 

これまでの自分を
こうして振り返るようになって

 

 

少し違う見え方をする私がいました。

 

 

 

私は何かひとつを
必死に追いかけていたというより

 

 

いろんなものを抱えることで、
自分を満たそうとしていたのかもしれない。

 

 

そんなふうに思うんです。

 

 

 

もちろん

 

仕事を頑張ったことも、

 

お金が欲しかったことも、

 

人から認められたかったことも、

 

それ自体が悪かったとは
今も思っていません。

 

 

そのおかげで身についたものも
たくさんあります照れ乙女のトキメキ

 

 

 

ただ、

 

欲しいものを手に入れたら

 

「よし、これで大丈夫飛び出すハート」

となったかというと……

 

 

そんな記憶は
あまりないんですよねうーん

 

 

 

何かが足りないと
思っていたわけでもない。

 

満たされていないと
自覚していたわけでもない。

 

 

それでも私は

 

いろんなものを
自分の中に抱えようとしていた。

 

 

 

だから今になって、

ふと思います。

 

 

『私、何をそんなに
満たそうとしていたんだろう』

 

 

 

昔なら、

こんなことを考えるより先に
また何かをやっていたと思います爆  笑爆  笑

 

 

 

 

でも今は、

すぐに答えを出さなくてもいいのかなと。

 

 

 

「あの頃の私は、
何を求めていたんだろう」

 

そんなふうに、

 

昔の自分を眺めてみる時間も
悪くないなと思っていますむらさき音符

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「こんなこと頼んだら、嫌だろうな」
「きっと面倒だよね」 
「だったら私がやればいいか」 



以前の私は、 
相手に聞く前から
そんなふうに考えることがよくありました。 

そして結局、
頼まずに自分でやる。 


言いたいことがあっても、 
「これを言ったら嫌がるかな」
と思えば、言わない。 

でも当時の私は、
自分が我慢しているなんて
あまり思っていなかったんです。 


むしろ、 

相手に負担をかけたくない!
嫌な思いをさせたくない!

そんな気遣いのつもりでした。




どうしてそうなったのか。

振り返ると、
ひとつ思い当たることがあります。


あの頃の私は、
自分自身が無理をして
いろいろなことをやっていましたキョロキョロ


だから、

「私だったら、
こんなこと頼まれたら嫌だなネガティブ」

と思うと、

「きっと相手だって嫌に決まってる」と、

いつの間にか
相手の気持ちまで決めていたんですよね。


それに、

実際に何かをお願いして、
「えっ、無理えー」
と言われたこともあります。


一度そういう経験をすると、
「やっぱり頼まない方がいい」
と思うようにもなったんですよね
┐(´д`)┌




でもね、

これも当時は、
「私は自分の本音を我慢している」
なんて全然思ってもいなかったんです。



私の中では、
相手のことを考えているだけ。
相手に迷惑をかけないようにしているだけ。


だから、
自分が我慢していることにも
気づきにくかったんだと思います。


それなのに、
そんなことが積み重なっていくと

ふとしたときに、
「なんで私ばっかり……」
と思う。


とはいえ、

誰かに
「あなたが全部やって」
と言われたわけではない。


ここに気づいたとき、
最初はちょっと複雑でした。


「じゃあ、自分で勝手にやって
勝手にしんどくなってただけ?」
って(笑)。



でも今は、
そういうことでもないと思っています。




相手が嫌がるかもしれない。

相手に負担をかけたくない。


そう考えられるのは、
私なりの優しさでもあったと思うから。


だから、
そんな自分を全部やめる必要はない。

ただ、
ひとつ抜けていたものがあったんです。



それが、
「私はどうしたい?」
でした。


 
相手は嫌かな?
相手はどう思うかな?
を考える前に、


私は頼みたいのか。
私はやりたくないのか。
私は何を伝えたいのか。



それを
まず、自分にも聞いてみる。



そして今は、 

相手がどう答えるかは
相手が決めること。


でも、
自分がどうしたいかを
伝えるところまでは
自分で選べる。
  
そう思うようになりました照れ




もちろん、
お願いしたら断られることだってあります。


自分の意見を言ったら、
相手と違うことだってある。


それでも、
言う前から相手の答えを決めて、
自分の気持ちまで引っ込めなくてもいい。



相手への気遣いを
なくす必要はない。


ただ、その気遣いの中に、
自分のことも
入れてあげればいい。



50代からは、
相手を大切にするのと同じように、
自分の気持ちも大切にしていきたい。


そんなふうに思っています。


あなたは、どうでしょう!?






 

 

 

 
誰かの表情が曇っている・・・

いつもより口数が少ない・・・

声のトーンが少し違う・・・

 

 

 

そんな時、私は

「何か悪いこと言ったかな?」

「私、何かした?」

と、すぐに自分の中に原因を探していました。

 

 

 

実際には、
私とはまったく関係のないことで
その人が機嫌を悪くしていることもある。

 

頭ではわかっているんです。

 

それでも、なんとなく落ち着かない。

相手の表情や声が気になってしまう。

 

 

もっと不思議だったのは、

私に向けられた不機嫌でなくても
身体が反応していたこと滝汗

 

 

例えば

誰かが別の人への愚痴を話している。

 

 

私のことを言われているわけではないのに、

まるで自分が責められているような感覚になる。

 

 

身体が緊張して、
その場の空気が気になって仕方がない驚き

 

 

今振り返ると、

「どうしてそこまで反応していたんだろう?」

と思います。

 

 

でも、その理由をたどっていくと、
子供の頃の自分につながりました。

 

 

 

 

父が再婚して
新しい母との生活が始まってから

 

私は家の中の空気に
とても敏感になっていました。

 

 

と言うのも、その頃の継母は

 

機嫌が悪くなると、
言葉より先に物に当たることがありました。

 

 

窓や戸が大きな音を立てて閉まる。

 

 

その音を聞くと

身体を固くして


息をこらえるようにして、

ただ嵐がおさまるのを待っていた。

 

 

 

そんな記憶があります。

 

 

もちろん子供の私は、

 

「この経験によって、
私は人の不機嫌に敏感になっているネガティブ」

 

ナンテ考えるはずもありません。

 

 

ただ、

誰かが機嫌を悪くしている。

 

 

それだけで、

「何か起こるかもしれない」

と身体が覚えていったのかもしれません。

 

 

 

 

そして、その反応は


大人になったからといって
突然なくなるわけではありませんでした。

 

 

誰かの機嫌が悪い。

 

すると、無意識に

「私、何かした?」

と考える。

 

 

機嫌を直してもらおうとしたり、

相手が喜びそうなことを考えたり、

その場の空気を明るくしようとしたり。

 

 

時には自分をネタにして、
笑わせることもありました。

 

 

 

今思えば、

不機嫌な空気の中にいること自体が
苦手だったんですよね。

 

だから、なんとかしたくなるダッシュ

 

 

 

・・・

 

でも大人になった今、

少しずつわかるようになったことがあります。

 

 

 

 

 

誰かの表情の変化に気づくことと

 

その人の機嫌の責任まで
自分が背負うことは

 

違う。

 

 

相手が不機嫌だからといって、

必ずしも私が何かしたわけではない。

 

 

そして、

たとえ私の言動がきっかけだったとしても

 

相手がどう感じて、
どう自分の感情を扱うのかまで

 

私が全部なんとかすることはできません。

 

 

 

……とはいえ(笑)

 

長年やってきたことだから、

今でも反応することはあります。

 

 

誰かの機嫌が悪いと、

「あれ?」

と気になる私もいますよおいで

 

 

 

でも以前と違うのは、

 

そこで、

「あ、また私のせいだと思ってる」

と気づけるようになったこと。

 

 

そして、

「この人の機嫌まで、
私がなんとかしなくていいんだ」

 

と思えることが
少しずつ増えてきました。

 

 

 

 

子どもの頃に身につけたものを、

 

「こんな自分はダメ」

と否定しなくてもいい。

 

 

あの頃の私には、
そうする理由があったのだから。

 

 

でもね!!

 

あの頃と今では
私がいる場所も、年齢も、
選べることもすべて違います。

 

 

 

50代からの生き方って、

ずっと無意識にやってきたことに

 

「あれ? 今もこれ、必要かな!?」

 

 

と気づくところから
変わっていくのかもしれません

 

 

 

 

あなたは、どう思いますか照れ

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 
 
子供の頃から
私は人の顔色をよく見ていました。
 
 
「今日は大丈夫かな」
「機嫌、悪くないかな」
「これは言わない方がいいかな」
 
 
 
今振り返ると、
そんなことを考えるのが
当たり前の毎日だったように思います。
 
 
もちろん当時の私は、
「人の顔色を見ている」
なんて意識していたわけではありません。
 
 
ただ、自然にそうしていました。
 
 
 
 
 
・・・というのも
 
 
両親が離婚した後
私は(当時5歳)
父や祖母たち家族と暮らしていました。
 
 
その後、父が再婚し、
新しい母との生活が始まりました。
 
 
 
でも、その関係がうまくいかない時代が
とても長く
 
家にいるときは、
相手の機嫌や空気の変化に敏感でしたショボーン
 
 
 
だから、
「今は大丈夫かな」
「これは言わない方がいいかな」
 
と、相手の反応を先に読む。
 
 
 
それは当時の私にとって、
安心してそこにいるために
必要なことだったのかもしれません。
 
 
そして、この習慣は
大人になってからも残りました。
 
 
 
相手の表情や声のトーンや
ちょっとした言葉の変化から
 
「今、どう思っているんだろう」
「次はどうしたらいいかな」
と、自然と相手の反応を読む。
 
 
 
でも不思議なことに
この「人を見る力」は
 
私を苦しくさせることもあれば、
私の強みとして
役に立つこともありました。
 
 
 
 
たとえば、
長くやっていた販売の仕事。
 
 
お客様の表情や反応を見ながら
 
「この話にはあまり興味がなさそう」
「こっちには反応してくださった」
 
と感じたら、
話す内容や伝え方を変えていく。
 
 
 
相手をよく見て、
その人に合わせてコミュニケーションをとる。
 
これは私にとって、
間違いなく仕事で役に立った力でした。
 
 
 
人の顔色を見ること…
相手の反応を読むこと…
 
それ自体が
悪かったわけではないんですよね。
 
 
 
 
でも同じ力が、
自分を苦しくさせる方に
働くこともありました。
 
 
 
たとえば、
「これを言ったら
機嫌が悪くなるかもしれない…」
「きっと嫌な顔をするだろうな…」
 
 
まだ相手は何も言っていないのに、
この先の反応まで想像する。
 
 
 
そして、
 
言いたかったことを言わない。
頼みたかったことを頼まない。
相手が喜びそうな方を選ぶ。
 
 
 
そうやって気づかないうちに、
相手の反応を基準にして
自分の「行動」を決めていました。
 
 
 
 
 

ここが、私には長い間
見えていなかったところでした。

 

人を見ることと、

 

人に合わせて
自分を変えること。

 

似ているようで、
同じではなかったんですよね。


 

『人を見る力』は、
今でも私の中にあります。

 

 

・・・

というより

これからもなくしたいとは思っていません。

 

 

 

 

だって、それも
これまでの人生で身につけてきた
私の強みだから。

 

 

 

ただ

その力を使って
自分まで引っ込める必要はない。

 

 

 

 

 

 

子どもの頃には必要だったことが、

大人になった今も
そのまま必要とは限りませんおいで

 

 

 

だから最近は、私

 

(また先読みしてるな)

と思った時、

 

少しだけ立ち止まるようにしています。

 

 

 

「まだ何も言われていないのに

もう自分を引っ込めてない?」

 

 

 

相手がどう思うかを考える私もいる。

 

 

でも、

「私はどうしたい???」

も、一緒に考えていいニヤリ音符

 

 

 

 

これまで身につけてきたものを


全部捨てなくても、

使い方はこれからどれくらいでも

 

『選び直せるキラキラ』

 

 

 

50代からの生き方って

 

案外そんな小さなところから
変わっていくのかもしれません乙女のトキメキウインク

 

 

 

あなたは、どうでしょう!?

 

 

 

 

 


「本音を出すと周囲の攻撃が強くなる」
と感じるあなた。 ​

もし毎回同じパターンなら 
相手を責める前に 

「自分の感情と行動パターン」に 

ちょっと疑問を持ってみると
いいかもしれません照れ


無意識の癖に気づくことが、
人間関係をガラリと変える第一歩です🌼





 
 

 

 

私はずっと
頑張ることって”良いことだ”と思っていました
 
 
・・・というより
今でもそう思っています。
 
 
 
だって、
頑張ったからこそ
得られるものがたくさんあったから。
 

 

 

仕事では「結果」を出すことができたし、

役職にも就きました。

 

お給料も、同年代の人より

多くいただけるようにもなりました。

 

 

 

だから、

「頑張ってきたことが間違いだった」

とは、どうしても思えないんです。

 

 

 

 

――

 

でも、そういいながらも

 

 

若い頃の私は

「ここではもう結果を出せないかもしれない・・・」

「頑張っても認めてもらえないかもしれない・・・」

 

 

そう《自分の力の限界》を感じた途端ガーン

 

それまでの自分はどこに行ったのはてなマークと

思うくらい

 

やる気をなくすことが有りました。

 

 

実際、

それで仕事を辞めた経験もあります滝汗

 

 

 

また、

私は自分の『身体からの声(訴え)』を

ずいぶんと無視してきましたタラー

 

 

 

目標ができると、全力疾走🏃

走れるところまで走って

エネルギーが切れたら

・・・バタッと倒れる

 

そして、少し元気になると

また全力疾走🏃🏃🏃

 

そんなことを何度も繰り返してきました。

 

 

 

 

だから、以前の私は

「がんばりすぎる自分がいけないんだ」

と思っていたんです。

 

 

 

もっと力を抜かなきゃ。

無理をしちゃいけない。

頑張りすぎないようにしなきゃ!

って。

 

 

 

 

でも最近

それも少し違うんじゃないかと

思うようになりました。

 

 

 

 

なぜなら、

私は、頑張ることが嫌いじゃないから♡

 

 

何かに夢中になったり

目標に向かって動いたり・・・

 

「やってみよう♪」と思っている時の私は

結構楽しいんです爆  笑

 

 

 

だったら

頑張ることそのものを

やめる必要はないんじゃないか気づき気づき

 

 

 

 

変えたかったのは、

「頑張ること」ではなく、
「何のために頑張るのか」

だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

中学の頃の私は

頑張って成績が上がると、
周りの反応が変わることを知りました。

 

 

認めてもらえる。

自分の【居場所】ができたように感じる。

 

 

それが嬉しくて、
もっともっと頑張ろうと思いました。

 

 

 

そして、その頑張り方は
大人になってからも私の中にずっと残っていたんです。

 

 

 

でも、

ここで大切にしたいのは
 

「あの頃の自分は間違っていた」

という話ではありません。

 

 

 

あの頑張り方があったからこそ、
得られたものもたくさんありますし、

 

今の私につながっているものだって
きっとたくさんあるわけですよ

 

 

 

だから私は、

これまでの自分を否定して
別の人になりたいわけではありません。

 

 

 

ただ、

 

昔の自分には『必要だった生き方』が、
さて、今の自分にも必要なのか。

 

 

そこは、ときどき立ち止まって
考えてみてもいいのかなと思っています。

 

 

 

今でも私は頑張っています音符

 

 

夢中になると、
つい走りすぎることだってあります笑笑

 

 

でも以前と違うのは、

「あ、また走りすぎてるなー」

と気づけるようになったこと。

 

 

 

そして、

「私は今、何のために頑張ってる?」

と、自分に聞けるようになったことです。

 

 

 

すぐに

全部が変わるわけではありません。

 

だって、その時の私を守るために

長い間続けてきた生き方ですからニヤリ

 

 

 

 

それでも、

これまでの人生を否定しなくても、
これからの生き方は選び直せる。

 

 

 

60代になった今、

私はそんなふうに思っています。

 

 

 

もしあなたにも、

「これが私だから」

と、ずっと当たり前に思ってきたことがあるなら、

 

 

その中にも、

これからの自分のために
選び直せるものがあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 


40代後半くらいから 

人間関係の問題が表面化してきて



フトこれまでの人生に 

疑問を感じ始めたあなたがいたら

 

それは、 

人生後半(人生の午後)のステージに 

レールが変わり、


生きるテーマが変わった 

タイミングが来ています。



そして この時期の過ごし方で 

あなたの人生は二極化します。




でもね…


これは「40代で気づかなければ遅い」 

という話ではありません。



50代でも、60代でも、もっと先でも。



「あれ?私、このままでいいのかな」


そう思ったその時が、 


その人にとっての

人生の午後の始まりです。



人生のレールを変えるのに 

「もう遅い」はない。


気づいたところから、 

後半の人生は始められるから。



~少し先に歩く先輩より~