これまで父の破天荒ぶりを書いてきましたが、少しは父の良いところも書いておきます(笑)
様々な事をしでかしてきた父ですが、普段は子供とも遊び日曜日に料理を作ったり、至って「よいお父さん」ぶりでした
例えば、ブランコや卓球台を作ってくれたり、野球を見に連れて行ってくれたり、釣りを教えてくれたり、夏の夜に灯りをつけて庭でバーベキューやスイカ割りをしたり‥

酒さえ入ってなければ、大人しい婿養子そのもので、
くだをまいて暴れるなんて、誰も想像もつかない
‥‥
仕事は、建物の基礎を造る会社を自分で始めましたが、そういう背負った責任もどこへやら、飲んだくれたり女遊びは相変わらずでしたね
(終)
母のこともすこし‥
父のしでかす事の後始末をしつつ祖父母の介護もこなし、物事をキッパリと決められない父と違い、判断を下し号令をかけるのは母。例えば年末の買い物

みんなで出掛け、子供は映画館に・父はパチンコ屋に放り込み、母はリスト片手にデパートと百貨店をまわる。
映画の終わり時間が集合 母が皆に荷物を割り当て、それを手分けして持って帰る‥‥こんな具合
それはあざやかで、あんな父を持った私達が、迷いなく悲観的にもならずに生きて来られたのは、母のお陰にほかなりません。父は、自分は歌謡曲や演歌が大好きなくせに、子供達にはクラシック音楽を聞かせたがり、欲しかったアニメのレコードも買ってくれませんでした。母はナベサダ、マルタ、T-スクエアが好きな人。一味違っていた。
私は、中高生になると洋楽と浜田省吾に夢中で、父の心配お構いなしに隣県までは、当たり前にコンサートに出かけていきました(笑)
追っかけです

心配性の父とは違い、母はおおらかな性格でいつも『行けば?』と、許してくれました
それには、母のある想いがあったからなのですが、それを知ったのはずっと後の事でした。