どうも、はむばねです。
平凡なサラリーマンとは何なのか(哲学
いや、ふと思ったんですけどね。
何かと物語の主人公って、(あくまで表面上は)「平凡」にされがちじゃないですか。
高校生だったら「俺はどこにでもいる平凡あ高校生だ、やれやれ厄介事に巻き込まないでくれよ」、社会人だったら「俺はどこにでもいる平凡なサラリーマンだ、はぁまた一週間が始まる」。
もう、例を挙げれば枚挙にいとまがないとはこのことか。
#なお、社会人の方に悲壮感が漂っているのは主に私の恣意的なイメージ操作の結果である。
一見すると両方、「なるほど特別な設定のない普通の人間なんだな(特別な設定がないとは言っていない)」と納得できます。
というか、恐らく作者サイドからするとそれだけの意味でしかない。
なんだったら「人間です」という紹介と大差ないケースも多いでしょう。
そして、読者サイドからしてもそのような認識で受け取ることが大半だと思います。
いわばお約束、「むかしむかしあるところに」を「西暦何年の緯度経度何度の場所での出来事だよ」と突っ込まないのと最早同じレベルであると言えましょう。
私も、別に本気で「平凡なサラリーマン」という設定に対して何かモノ申したいわけではありません。
しかし今日はほんの少しだけ、この「平凡なサラリーマン」という文言に足を踏み入れてみようかと思います。
そうだね、なぜなら特にネタがないからだね。
えーまぁそんなわけで。
「平凡な高校生」、これをもう少し細かい設定に落とすのは実にたやすい。
例えば、偏差値50の普通科高校に通う帰宅部。
実に平凡である。
何ら引っかかることはない。
上記のような自己紹介をされても「お、おぅ。そうですか」としか言いようがない。
しかし、これがサラリーマンだとどうだろうか。
例えば、従業員数200人のメーカーに務める研究職。
例えば、平均年収350万円のIT企業に務める技術職。
例えば、店舗数100の地方銀行に務める営業職。
「平凡でない」と言えるものは一つもなかろう。
まぁまぁ、平凡と言って差し支えない。
しかし、「まったくもって平凡以外の何者でもない」と言い切れるものもまたないのではなかろうか。
少なくとも上記のような自己紹介をされた時、一つ二つは興味のある質問も生まれて来よう。
彼らの生活について、想像の及ばない点がいくつも浮かんでくる。
たとえ、(私にとって)同剛種であるIT企業の方であってしてもだ。
例えば「工学部に通う大学生」「情報理工学部に通う大学生」「経営学部に通う大学生」なら(特に他の付与情報がない限り)平凡であると断定できるのに、これが「業種」になると途端に平凡であると断定できなくなる。
もっともこれはあくまで私の感覚であり、もしかすると一般的にはよほど特殊な業種じゃない限り「平凡」と断定されるのかもしれませんが。
実際、物語において「平凡なサラリーマン」というのは「よほど特殊でない何かしらの業種に努めているサラリーマン」を指すのでしょう。
ところで話は変わるようで変わらないのですが。
私はまぁ夢らしき夢を持たない子供でして、物覚え付いた頃には自分の将来を「サラリーマン」であると漠然と定めておりました。
そんな私が結局今現在その「サラリーマン」でなくなっているというのはある意味皮肉な話ですが、まぁそれはともかく。
これは多くの方にとってそうでしょうが、大きくなるにつれてそれが如何に曖昧なものであったかを知る事になって行くのです。
なぜならば、「サラリーマン」などという職種も業種も存在しないのだから。
まぁつまるところですね。
「平凡な学生」に比べて、「平凡なサラリーマン」っていうのが多種多様すぎる気がするんですよね。
学生だとまぁ大体は学校通って授業受けて所属してるなら部活してって感じになると思いますけれど。
サラリーマンだと内勤か外回りかとか、日勤だとか夜勤だとか、技術職か事務職かだとかで、全然内容が変わってきますからね。
まぁその辺り含めて、いやむしろだからこそ、「(その辺りの諸々は当物語においては関係ないのでここではこう称する)平凡なサラリーマン」という表記になるのでしょうが。
下手に業種や職種まで書くと、物語に関係あるのかな? と思われそうですしね。
……えー、と。
なんつーか、本記事の着地点を見失ってだいぶ久しいわけですが。
まぁ何が言いたいかっつーとですね。
「平凡なサラリーマン」を続けるっつーのも、なかなか大変なことなんだぜ!
ってことですね。
続けられなかった私が言うんだから間違いない。
※そんな話はしていなかった。
平凡なサラリーマンとは何なのか(哲学
いや、ふと思ったんですけどね。
何かと物語の主人公って、(あくまで表面上は)「平凡」にされがちじゃないですか。
高校生だったら「俺はどこにでもいる平凡あ高校生だ、やれやれ厄介事に巻き込まないでくれよ」、社会人だったら「俺はどこにでもいる平凡なサラリーマンだ、はぁまた一週間が始まる」。
もう、例を挙げれば枚挙にいとまがないとはこのことか。
#なお、社会人の方に悲壮感が漂っているのは主に私の恣意的なイメージ操作の結果である。
一見すると両方、「なるほど特別な設定のない普通の人間なんだな(特別な設定がないとは言っていない)」と納得できます。
というか、恐らく作者サイドからするとそれだけの意味でしかない。
なんだったら「人間です」という紹介と大差ないケースも多いでしょう。
そして、読者サイドからしてもそのような認識で受け取ることが大半だと思います。
いわばお約束、「むかしむかしあるところに」を「西暦何年の緯度経度何度の場所での出来事だよ」と突っ込まないのと最早同じレベルであると言えましょう。
私も、別に本気で「平凡なサラリーマン」という設定に対して何かモノ申したいわけではありません。
しかし今日はほんの少しだけ、この「平凡なサラリーマン」という文言に足を踏み入れてみようかと思います。
そうだね、なぜなら特にネタがないからだね。
えーまぁそんなわけで。
「平凡な高校生」、これをもう少し細かい設定に落とすのは実にたやすい。
例えば、偏差値50の普通科高校に通う帰宅部。
実に平凡である。
何ら引っかかることはない。
上記のような自己紹介をされても「お、おぅ。そうですか」としか言いようがない。
しかし、これがサラリーマンだとどうだろうか。
例えば、従業員数200人のメーカーに務める研究職。
例えば、平均年収350万円のIT企業に務める技術職。
例えば、店舗数100の地方銀行に務める営業職。
「平凡でない」と言えるものは一つもなかろう。
まぁまぁ、平凡と言って差し支えない。
しかし、「まったくもって平凡以外の何者でもない」と言い切れるものもまたないのではなかろうか。
少なくとも上記のような自己紹介をされた時、一つ二つは興味のある質問も生まれて来よう。
彼らの生活について、想像の及ばない点がいくつも浮かんでくる。
たとえ、(私にとって)同剛種であるIT企業の方であってしてもだ。
例えば「工学部に通う大学生」「情報理工学部に通う大学生」「経営学部に通う大学生」なら(特に他の付与情報がない限り)平凡であると断定できるのに、これが「業種」になると途端に平凡であると断定できなくなる。
もっともこれはあくまで私の感覚であり、もしかすると一般的にはよほど特殊な業種じゃない限り「平凡」と断定されるのかもしれませんが。
実際、物語において「平凡なサラリーマン」というのは「よほど特殊でない何かしらの業種に努めているサラリーマン」を指すのでしょう。
ところで話は変わるようで変わらないのですが。
私はまぁ夢らしき夢を持たない子供でして、物覚え付いた頃には自分の将来を「サラリーマン」であると漠然と定めておりました。
そんな私が結局今現在その「サラリーマン」でなくなっているというのはある意味皮肉な話ですが、まぁそれはともかく。
これは多くの方にとってそうでしょうが、大きくなるにつれてそれが如何に曖昧なものであったかを知る事になって行くのです。
なぜならば、「サラリーマン」などという職種も業種も存在しないのだから。
まぁつまるところですね。
「平凡な学生」に比べて、「平凡なサラリーマン」っていうのが多種多様すぎる気がするんですよね。
学生だとまぁ大体は学校通って授業受けて所属してるなら部活してって感じになると思いますけれど。
サラリーマンだと内勤か外回りかとか、日勤だとか夜勤だとか、技術職か事務職かだとかで、全然内容が変わってきますからね。
まぁその辺り含めて、いやむしろだからこそ、「(その辺りの諸々は当物語においては関係ないのでここではこう称する)平凡なサラリーマン」という表記になるのでしょうが。
下手に業種や職種まで書くと、物語に関係あるのかな? と思われそうですしね。
……えー、と。
なんつーか、本記事の着地点を見失ってだいぶ久しいわけですが。
まぁ何が言いたいかっつーとですね。
「平凡なサラリーマン」を続けるっつーのも、なかなか大変なことなんだぜ!
ってことですね。
続けられなかった私が言うんだから間違いない。
※そんな話はしていなかった。