どうも、はむばねです。
家に放置していただけなはずの傘が、今日使ったら半分くらい骨から布が外れてた件について。
2週間前くらいに使った時は全部無事だった気がするのですが……。
どうしてこうなった……。
ていうか、あれですね。
傘って、半分くらい骨と布が乖離してるとほとんどただのひらひらした布と化しますね。
傘は骨と布同士が支えあって形勢されとるんや……。
全滅しなくても、一部がなくなっただけでそれはもう傘とは呼べん代物になるんや……。
人間も同じですね。
………………。
…………。
……。
という譬え話をしようかと思ったけど、特にいい譬えが思い浮かばなかったのでそのくだりは省略しますね^^

さて、それはそうと。
何度も書いてますし、私の著書を読んでいただければ大体わかると思うのですが。
私の創作は、漫才に多大なる影響を受け、またそれなりに意識してもいます。
が、ブチ切れの感想をエゴサしていた時に、「コントのようだ」という感想を書いてくださった方がいらっしゃってですね。
それを見た時、自分でも意外だったのですが、その発想はなかったわって思ったわ。
いや冷静に考えると、出力された物語なんて(漫才ではなく)コントそのものなんですけどね。
正確な定義は知りませんが(というかない気がしますが)私の中で、漫才とコントの違いは「設定の中にいるか外にいるか」的な部分だと思っているので。
そういう意味では、漫才の中でコントに移るスタイルでも、例えばフットボールアワーなんかは漫才寄りで、アンタッチャブルとかはコント寄りだと思っています。
ていうかアンタッチャブルとか、最早開始と終了が漫才なだけでほぼコントじゃねーか! というネタが多いですしね。

閑話休題。
そういう意味で、設定の外にいることなどありえない小説なぞコントでしかありえないのですが。
しかし、それでも私はそれを漫才(を意識したもの)のつもりで書いてきた。
まぁ、じゃあだからといってどちらを意識するかによって両者に違いが生じるのかというと、正直大した違いはないと思うのですけれど。
例えば漫才になくてコントにある要素として舞台装置の利用などがあると思うのですが、その類のボケもスタンプとかではそれなりに出てきましたしね。
いやしかしそう考えると、スタンプの頃より今の方がより漫才スタイルに近いものがある気もしますけれど。
特に会話のテンポとかは、以前より漫才寄りになってきてるんじゃねーかと。
まぁぶっちゃけ以前書いたもんなんてそんな細かいところまで覚えてねーので、印象だけの可能性もありますけれど。

うん、なんか話が取っ散らかってきましたが。
何が言いたいのかというと、まぁ別に言いたいことなどないわけなのですが、あえて言うならコントに着目することで何か新しい発想も生まれるかもしれねーなって話。
それこそ漫才を意識した会話テンポがあるように、コントを意識することでより面白くなる要素もあるかもしれませんよね。
今後は、コントも積極的に観ていってそういうのを探してみるのもいいかもしれませんね。
まぁ、元々別に漫才に比べてコントを観る機会が極端に少ないかっつーとそんなこともないのですけれど。
あと、ぶっちゃけ別に漫才もそういう視点で観てるわけでもないのですけれど。

いやー、しかしあれですね。
笑いに関してはこれだけ何度も話題に出しているのに、シリアスに関する話題がほとんど出ないのは何でなんでしょうね。
まぁ、前から私はシリアスな場面一切無しのコメディーオンリーな阿智太郎先生的な作品に憧れてるところはあるからな……。
なお、上手くいけばブチ切れ3巻はそんな感じの一冊になりそうな模様。