「じゃあな、一樹」
「おう」
学校が終わってさっさと教室から出て行くクラスメート達。一樹は帰宅する生徒の流れに逆らって生徒会室に向かう。
「うぃーっす」
「あら、一樹。おはよう」
「おはよう。月見里(やまなし)」
生徒会室には既に生徒会長である月見里がいた。いつも一樹より早く到着している。鍵を持ってるのは月見里だから、先に着いていないと困るのだが、何故いつもそんなに早いのかは分からない。
「今日も雑務が多いけど、よろしく頼むわね」
「はあ、少なかった試しがないじゃないか。りょーかい、頑張るよ」
「ええ、さっさと片付けてしまって、今日こそは早く帰りましょう」
そういって月見里は『持ち越し』フラグを立てた。どう考えても終わらない量の仕事を前にして、月見里は毎日早く帰ろうという。その度にフラグが立ち、今日の業務が次の日に持ち越される。持ち越された分の作業が増えるため、次の日の作業が減ることは無い。最初に比べると一樹の手際もよくなっているのだが、何故か全体の仕事量も増えているため結局連日学校から追い出されるまで作業をする日々が続いている。
(またか……)
毎日のように立つ『持ち越し』フラグに対して、一樹はその都度手を伸ばし折るために力を込めるのだが。
(やっぱり無理か……)
一樹が手を戻しても、そこには変わらずフラグが存在する。何故だか分からないが、月見里が立てたフラグに対して一樹は何もできず、月見里に対してフラグを立てることもできなかった。
「一樹、何してるんだ? さっさと業務を始めるぞ?」
「ああ、わかった。今行く」
月見里に呼ばれ、業務の準備をしながら一樹は初めて出会った時の事を思い返した。
一樹が初めて月見里と出会ったのは入学式の時だった。当時2年ですでに生徒会長を務めていた月見里が新入生歓迎の言葉を述べるために一樹の目の前に現れた。その時、一樹はすでに長く続いた好調の話で疲れ果てていた。そのため、現れた生徒会長のフラグを操作して話をさっさと切り上げようとしたのだが、一切のフラグの操作ができなかった。まさか能力がなくなったのかと焦った一樹だったが、他の人のフラグは問題なく操作できた。しかし、何故か生徒会長にだけ能力が効かなかった。
一樹は必然的に生徒会長に興味を覚え、近付いて行った。しかし、生徒会長である月見里はとにかく忙しく、自由に接触することは難しかった。そのため生徒会に所属したのだが、これが失敗だった。
「まさか生徒会が会長一人だなんてな」
一樹が所属するまで、生徒会には生徒会長である月見里一人しかいなかった。
「なんだ、まだその事を言ってるのか?」
一樹の呟きが聞こえていたのか、月見里が振り返ってため息をつきながら言い聞かせるように話す。
「いいか? そもそも我が校の生徒会は完全に教師が選出する。これは生徒会に振られる仕事が多いからだ。教師側が責任感の強い業務のこなせる人間だと認めた学生が生徒会に勧誘される。一樹だってそうだろ?」
「まぁ、一応は……」
一樹はフラグを立てることで無理やり生徒会に入ったので、そういった細かい規則は知らなかった。
「で、私が言うのもなんだが私は優秀だ。それこそ一人で生徒会の業務がほとんど出来るくらいには」
「それは認めるけど……」
月見里の処理能力は一樹とは比べ物にならないくらい高い。事実、一樹が生徒会に所属するまでは一人でほぼ全ての業務をこなしてたのだから。僅かに処理しきれない分だけが次の日へと持ち越されていたがそれも極僅かだった。
「つまり、業務がこなされている以上、生徒会を増員する必要性はあまり無かったんだ。能力的に該当する人物が見つからないという理由も有ったらしいが」
「でも今は仕事が終わってないよな?」
元々こなせていたはずの仕事が少なくとも一樹が所属してからは次の日に持ち越すことが多くなっている。
「教師側から任せられる仕事の量が増えたからね。一人でもあれだけできていたんだから、二人になればこれくらい軽いだろうとのことだ」
一樹が所属したことで、より多くの仕事をこなせるようになったと思われ、仕事の総量が増えた。しかし、一樹の能力はそれほど高くないため、手が回らなくなり、次の日に持ち越すことが増えてきている。
「人が増えたからっていきなり仕事増やすなんてな。さっさと働きますか……」
愚痴っていても仕事は減らない。さっさとやらなければ結局後で困るのは一樹自身だ。
2人で黙々と作業をしていると、唐突に月見里が口を開いた。
「すまないな、一樹」
「ん? 何がだ?」
「最近ずっと帰りが遅いだろう。大変なら私が代わりにやるから帰っていいぞ?」
月見里自身はいわゆる良い人で、善意で一樹の業務まで変わってくれようとする。
「いや、大丈夫だ。ちゃんと自分でやるよ。ただでさえ、月見里より大分少ない量しか担当してないんだし」
一樹の目的は何故月見里のフラグを操作できないのかを調べることだった。しかし、月見里の優しさ
昔から一樹にとって相手からの善意は、自分でフラグを操作して受け取るものだった。自分でやらせてるのだから、当然のようにそれを受け取ることができた。だから、一樹にとってこちらが何もしていないのに勝手に優しさを見せる月見里は今まで出会ったことのない人種だったのだ。
「いや、月見里がそんだけやってんだし、俺もこれくらいやるよ。どうせ終わる時間は同じくらいだろ?」
「そうか? なら残り少しだ、お互いに頑張ろう」
月見里と一樹は黙々と業務をこなしていった。
「ふむ、今日の仕事はだいたい終わったな。お疲れさま、一樹。残りはまた明日片付けよう」
「月見里は俺が入る前はずっと一人だったんだよな? 大変じゃなかったのか?」
「いや、一人なら一人で誰に気兼ねする必要もないからな。意外とのんびりやっていたよ」
「へぇ、そんなもんか」
一日の業務が終わった後、月見里と一樹は二人で帰路につく。他愛も無い話をしながら二人で歩くこの時間を一樹は気に入っていた。
「あの、さ。一樹、聞きたいことがあるんだが……」
「ん? なんだ?」
月見里が一樹に何か聞きにくそうに話しかけてきた。一樹はわざわざそんな事を聞く月見里の態度を不思議に思う。まるで本当に効いていいのかどうか迷っているようで。
「あの……、そ、そういえば、この前貸した本はどうだった?」
「あ、ああ、普段読むジャンルとは違うけど、結構面白かったよ」
「そうか、それは良かった。同じ作者の本が他にもあるんだがどうする?」
「ん、良ければ貸してくれるか?」
「わかった」
「……」
「……」
明らかに聞きたい内容は別にあります、といった月見里の質問に一樹はどうしていいか分からなかった。一樹にはこういう時の対応の仕方が分からない。今までの人生で経験が無いからだ。
一樹にとって会話とはただの情報収集だった。相手の気持ちを考える必要も無く、相手が不快な感情を持ったとしてもフラグによりそれを消すことができる。そのため、相手の気持ちを慮った会話をする必要は無かった。今までは。
月見里にはフラグが効かない。月見里との会話は、一樹にとって初めての経験だった。初めは自分の能力の効かない月見里のことを探るのが目的だったはずだが、今の一樹は月見里との会話を楽しんでいた。だからこそ、今この瞬間、一樹は不安を感じている。月見里が言いよどむ何か、それが月見里との関係を壊してしまうかもしれないから。
「それじゃあ、また明日な」
歩いているうちに交差点にたどり着いていた。ここからはそれぞれ別の道で帰宅する。別れる事で決心がついたのか、月見里が意を決したように話しかけてきた。その声にいつものような元気は感じられない。
「……一樹」
「……なんだよ?」
「……今日聞いたんだが、涼子と別れたんだって?」
ためらいながら放たれた言葉だったが、一樹には何のことか分からなかった。
「涼子? 誰それ」
「覚えてないわけないだろう。今日の昼休みに別れたって聞いたぞ」
一樹がごまかそうとしていると思ったのだろう。月見里が問い詰めるように言葉を発する。今日の昼休みと言われて一樹の頭に一人の女が浮かんだ。名前は全く浮かんでこないが。
「彼女、涼子って言うんだ?」
「……もしかして、本当に覚えてないのか?」
「んー、人の名前覚えるの苦手でさ、ほとんど名字で呼んでたし」
信じられない、と顔に出ている月見里の言葉に一樹は咄嗟に嘘をついていた。
「……で、その涼子さんがどうかした? 確かに別れたけど?」
「涼子が別れたことに対して何も感じていないようなんだ。怒りも悲しみも。……そんなのっておかしくないか?」
普通に別れたのなら相手に対して不満や怒りがあるだろう。別れるような出来事があったはずだから。しかし、一樹と涼子にはそのような感情を抱くイベントが無い。興味がなくなったから別れたのだ。取り立てて言うような不満などそこには残らない。
「そう? お互い納得して別れたならそれでいいんじゃないかな。俺も納得してるし、彼女も納得してる。なら問題ないだろ?」
まだ納得のいかなさそうな顔をしている月見里だったが、こちらがほんとに何とも思ってないことがわかったのかそれ以上は何も聞いてこなかった。一樹だけならともかく、涼子も同じように何も思っていない以上、部外者の月見里にいえる事はないと思えた。
「そう、か……」
「ああ、そうさ」
ただその後は何か話す空気にはならず、一樹と月見里は何も話すことなくお互いの家に向かって帰っていった。