『朱麗さん人生相談所』。
 そう書かれた文字に、彗の目は釘付けとなった。
 『朱麗さん人生相談所』。何度目をこすって見てもそう書いてある。
 ひらがなにするとたぶん『あかりさんじんせいそうだんじょ』。
 いつまでもそうして看板を見つめていても仕方がない。
 去ろうかどうかその場でうろうろしながら迷い、ついに彗は『OPEN』と書かれた札が下がった扉に手をかけた。
「いらっしゃい……あぁ、なんだ彗君か」
 内装は、黒。
 黒黒黒、とにかく黒。
 暗幕に閉ざされ、ご丁寧に壁まで真っ黒に染められている。
 本来ならば真っ暗闇の空間に灯りを灯すのは蝋燭。
 蝋燭が置いてあるのは部屋の中央にある机だ。
 そして、その机の前に座る人……いや、死神。
「……あんた、何やってんだ」
 入り口のところで立ったまま、彗は頭痛を感じながらそう言った。
「ん? 看板を見て入ってきたのではないのか? 私はここで人生相談所を開いているんだ」
「内装を見る限り、人生相談を受けてくれるような雰囲気じゃないんだが……」
「人生相談所に内装など関係ないだろう」
「だったらわざわざ改装すんなよ! てかなんでこんなことやってんだ!」
「まぁ、死神というのは比較的暇なものなのでね」
「暇つぶしで人生の相談に乗るなよ!」
「安心していい、無料だ」
「当たり前だ! 暇つぶしの上金までとられてたまるか!」
「ついでだ、彗君も何か私に相談するといい。何か悩みくらいあるだろ?」
「いいよ別に……」
 くるりと回れ右で、彗は入ってきた扉をくぐろうとする。
 が、一歩踏み出す前に首筋に冷たい感触。
「そう遠慮するな。悩み事の一つくらいあるだろう」
「……あえて言うなら、なんか知らんが勝手に保健室改造して人生相談所を開いている死神から逃げようと思ったら鎌を首に突きつけられていること、かな」
「失礼だな。ちゃんと学校側の許可はえているぞ」
「なんでもかんでも許可するなよウチの学校!」
 実は申請書類の内容を読まずに全部判を押しているのではないだろうか、という気さえする。
「まぁ、とにかく座れ」
 朱麗に(鎌で)導かれ、彗は結局朱麗の前の椅子に座ることになった。
「さぁ、話してみよう。私がズバリ解決策を提示してあげよう」
 心なしかウキウキした様子で朱麗が催促する。
「あ~……じゃあ……」
 どうやら何か相談しないと帰してもらえないと察した彗は、無理矢理に悩みを探してみる。
「あぁ、アレだ。ウチの大飯食らいが鍋をご所望なんだが、何鍋にしようか悩んでいる」
「ふむ」
 朱麗は顎に指を当てる。
 だが、その考える仕草はほんの一瞬。
「なら、石狩鍋にすればいい」
 結局は即答だった。
「……なんで?」
「おいしいから」
 これまた即答。
「完全にあんたの好みか!」
 しかし。
 とにもかくにも、悩みを相談し、解決策をもらったわけで。
「え~と……あぁ、うん。ありがとう解決した。今日は石狩鍋にすることにするわ」
 とりあえず礼を言っておく。
 実際、彗が今日のメニューを石狩鍋に決めたのも事実である。
「じゃ、俺はこれで」
 椅子から立ち、出口に向かう。
 今度は鎌を首元に突きつけられることはなかった。
「あぁ、またいつでも来るがいい」
 二度と来ねぇよ、と心の中で思いつつ。
 扉をくぐる直前、彗はふと思いついてその思いつきをそのまま口に出してみた。
「あんたも食べに来るか?」
「む……石狩鍋か?」
「あぁ」
 別段、深い意味はない。
 今日の昇神家のメニューは石狩鍋に決定で。
 それが好きな者がいるならば、せっかくなんだから呼んでもいいんじゃないかと思っただけ。
「……いいのかい?」
「別に。鍋だし、今更一人分くらい増えたって変わらねぇし」
 と、そこでふと。
「……あんたは、一人分でいいんだったよな?」
「む? 普通、一人が食べるのは一人分だろう」
「そうか、確かに普通そうだよな」
 『普通』でない存在が、とても身近にいるわけだが。
「で、どうする?」
 扉に手をかけたまま、彗が問う。
 蝋燭の明かりを頼りにしなければならない部屋に、扉からは燦々と光が降り注いでいる。
 それを、朱麗は眩しそうに眺め。
「……そうだな。せっかくだから、いただこうか」
「そうか。んじゃ、一人分多くしとくから。晩飯時になったら来てくれ」
「はは。彗君、それではいつ行ったらいいかわからないだろう」
「む、確かにそうだな。じゃあ……」
「いや、いい」
「ん?」
 椅子を立ち、朱麗は彗の隣に並ぶ。
「およばれするんだ。買い物くらいは手伝うよ」
「人生相談所はいいのか?」
「どうせ暇つぶしだからな」
「適当だな!」
 『OPEN』の札を裏返し、『CLOSED』に。
「ところで彗君。君、20年くらい前に私に会ったことはないか?」
「普通に生まれてねぇよ」
「そうか……20年ほど前にも、似たような感覚を感じた覚えがある気がするんだがね」
「?」
 疑問符を浮かべる彗の肩に、朱麗はポンと手を置く。
「まぁ、気のせいだろうね」
「だろうな。なんせまだ生まれてねぇし。てか、あんたに会ったのこの前が初めてだし」
「うむ、確かにそうだ」
 そう。
 それは確かに気のせいで、錯覚だったけれど。
 その錯覚の理由を朱麗が知るのは、もう少し先の話である。




 ちなみに、石狩鍋は円花にも大層喜ばれたそうな。
 円花と朱麗の間で壮絶な鮭争奪戦が行われたりもしたが、それはまた別のお話。