先日、本棚を整理していたら

私が小学4年生の頃に書いていた

日記が出てきました📕


4年生といえば、今の次男と同じ学年


なんだか不思議な気持ちになって

久しぶりに開いてみました


そして、最初に思ったこと


「字が、めちゃくちゃ汚い……あせる


そして、もうひとつ


……愚痴ばっかり
「〇〇の練習が大変だった」
「友達に〇〇と言われて嫌だった」
「お手伝いが嫌だったー」


そんなことが、次から次へと

書いてありました滝汗


もちろん、楽しかったことも

書いてあります音譜


でも、思っていた以上に

多かったのが、弱音や愚痴でした



私の中では、小学生の頃の自分は

活発で、 何でも頑張っていて、

 それなりに楽しく過ごしていた


そんなイメージでした


でも、日記に残っていた私は

思っていたよりずっと
「大変だった」

 「嫌だった」

 「もう嫌だー」
と、いろんなことを感じていたようです


表面では頑張っていたけれど、

心の中では、ちゃんと愚痴を言っていました


それを見て、少し笑ってしまいました

「あぁ、私もこうだったんだなニヤニヤ」と


そして同時に、ちょっと安心もしました


嫌なことがあっても

 弱音を吐いても

愚痴を言っても 

それでも毎日を過ごしていたんだな、と


大人になった今の私は

 嫌なことがあっても
「我慢しないと」 

「周りに合わせないと」 

「こんなことで嫌だと思う自分が悪いのかも」


と、自分の気持ちを飲み込んで

しまうことがよくあります悲しい



子どもの頃よりうまく

我慢できるようになった


周りに合わせられるようになった


でも、それは本当に

「強くなった」

ということなのでしょうか…はてなマーク


表面でも頑張って

 心の中でも頑張って

嫌なことも「大丈夫」と

飲み込んでしまったら…


いつか自分の中に

抱えきれなくなってしまうショボーン


そんなこともあるんじゃないかな

と思います


そう考えると、あの頃の日記は

 私にとって小さな「逃げ場」

だったのかもしれません


誰かに言うわけでもなく

 誰かに迷惑をかけるわけでもなく


「大変だった」 

「嫌だった」 

「やりたくなかった」


と、自分の本音を書いていた


ちゃんと自分の気持ちを吐き出して

 心のバランスを取っていたのかもしれません


そして今、4年生の次男を見ていると

 ふと思うことがあります


子どもが言う
「嫌だ」

 「やりたくない」 

「疲れた」 

「今日は無理」
という言葉も


すぐに解決しようとするのではなく


「そう思ったんだね」

 「嫌だったんだね」 

「大変だったね」


と、まず受け止めてあげても

いいんじゃないかな


昔の自分の日記を読んで

 そんなことを改めて思いました


子どもの頃の私は、 

自分の本音をちゃんと

日記に書いていました


今の私はどうだろう…


嫌だったことを

「たいしたことない」と片付けたり

 「私が悪いんだ」と自分を納得

させたりしていないだろうか…


心当たりが多々あります



子どもの気持ちを

大切にしたいと思うなら


 まずは自分自身の気持ちも

「そんなふうに感じたんだね」

と 認めてあげたいです


頑張ることも大切です
我慢することが必要な場面もあります


でも、ずっと頑張り続けなくてもいい


嫌なものは嫌

 疲れたら疲れた

 しんどいときは、しんどい


そんな本音を無視しないこと


それは、子どもに対してだけじゃなく

大人になった自分自身にも

必要なことなのかもしれません


小学4年生の私が書いた、たくさんの愚痴
「よく書いてたな、私。」
と、ちょっと笑ってしまいました


でもあの日記のおかげで、

昔の自分がどんなことを

感じていたのかを知ることができました


そして、今の自分にも言ってあげたいです
「そう思ったんだね。」
それだけでも、少し心が軽くなる気がします⭐️