すれ違う人全員に嫌われている
笑い声、話し声が自分への嫌がらせだと思い込む
下を向いていても、目をつぶっていても感じる嫌悪の視線
走行中の車からも、家に停まっている車からさえも嫌悪の視線が飛んでくる
まっすぐ前を見ることができない
今回はこれらの視線恐怖、妄想をどのように克服することができたのかを語っていこうと思う。
きっかけ
視線恐怖を治すためにネット上の情報を漁りまくった。どうすれば治せるのだろうか。
そこで目についた発言がこれだ。
「すれ違う人を一瞬だけチラッと見てみるといい。見ても大丈夫なんだという経験が大事」
といったような書き込みだった。
俺は早速、一瞬だけチラ見する戦法を取ってみた。
見る人間、見ない人間
実践してみて、あることに気づいた。世の中には見る人間と見ない人間、二種類いる。
この気付きは大きかった。
「見ない人間がいる」ということはつまり、「俺を嫌っていない人がいる」という事実でもあり、「すれ違う人全員に嫌われている」という思考が確実に妄想であることが明らかになったのだ。
実際にはチラ見したり横目でぼんやり見る人、ガッツリガン見する人など、もっと細かく分類できるわけだが、見ない人間もいるのだという気付きは大きかった。
事実を元に感情を再評価する
それから、さらに視線と妄想について研究を続けた。
ネット上の情報を読み漁ったり、著名人に質問のメールを送ってみたり、AIと対話してみたりした。
そこでたどり着いたのが「事実を元に感情、認知を再評価する」というものだ。
どのようなものかというと、例えばすれ違った際に「嫌われている」という認知が出たとする。
そこで、事実を確認してみる。
「本当に嫌われたのか?その根拠は?」と問う。
ここで、根拠に過去や妄想を使用してはいけない。確実な事実のみを使用しなければならない。
根拠を探してみても、「自分は下を向いていたので見当たらない」という場合は確実に妄想であるので、まずこれは妄想であると知覚すること。
では、根拠を「目つきが怖かった」と仮定しよう。
目つきが怖いのは自分のせいなのか?相手がたまたま機嫌が悪いだけの可能性は?何か嫌なことがあったのでは?ホルモンバランスの乱れでは?
などと問いを続けてみる。「嫌われた」という感情は、曖昧な根拠による早とちりであったことがわかるはずだ。
物事を一面的でなく、二面的、多面的に評価するということがなにより重要になる。
視線に大した意味なんてない。もし仮にあるとしても、その答えはその人の胸中にしかなく、歩行中にたった数秒程度すれ違っただけの自分にわかるはずがないし、考えるべきでもない。
もし仮に目を見ただけで嫌われている、見下されているなどという感情が出てきた場合、それは確実に自分の過去の経験などのフィルターを通した「自分の中の他人」の視線を見ての結果である。なぜならたった数秒目を見た程度で他人の心情、背景、人物などを見透かすことなど不可能だから。
このように、突発的な負の感情や認知をそのままで終わらせることなく、これは本当にそうなのだろうか?そうである根拠は?その根拠で十分だろうか?別の視点で考えるとどうだろうか?
といった感じで、認知を再評価していく。
これを妄想や不安が起こるたびに何度も何度も繰り返していくうちに、次第に認知の再構成が行われる。
俺はこれを実践することで、すれ違う度に飛んでくる嫌悪の視線は消え去った。
後ほど、この考え方が認知行動療法の「認知再構成法」に類似していることを知った。
1. 自動思考に気づく
2. 事実と解釈を分ける
3. 根拠を検討する
4. 別の可能性を考える
5. 判断を保留する
6. 繰り返すことで認知が変わる
俺は怖くて人の顔が一切見れず下を向き、なのに嫌われているに違いないと思い込んでいた。
過去のトラウマや経験などを通して形成された「自分の中の他人」の視線に苦しめられていたのだ。
実際にチラ見してみると、見る人見ない人様々いる。
大事なのは「自分の中の他人」を見るのでなく、実際の他人、事実、現実を恐れずに直視することだったのだ。
自己視線恐怖の解決
先ほど述べたのは他者視線恐怖についてだが、まだ自己視線恐怖の問題が残っていた。
ほんの一瞬のチラ見はできても、まっすぐ前は見れない
信号待ちのときに前を見れない
走行中の車を見ることができない
人がいる方向に視線を向けることができない
そんな問題があったが、これについても思考を重ね、完全にではないものの、歩行中の自己視線についてはある程度解決することができた。
まず、他人に見られたくない、目を合わせたくない人は目を合わせないように下を向いているはずだ。
そして、車、バイク、自転車などに乗る人は常に前方に注意を払う必要があり、他人の視線など慣れている。
要するに、俺がまっすぐ顔を上げて前を見ながら歩いて傷つく人間なんていないんだ。歩行中すれ違う人の顔を見ても、傷つく人なんていないんだ。なぜなら目を合わせるのが嫌な、かつての俺のような人は下を向いているから。
この思考をもとに、まず人通りの少ない深夜にまっすぐ前を見て歩いてみた。
初めはとてつもなく緊張したが、無事に誰からも危害を加えられることなく安全に終わった。信号待ちの際も、まっすぐ前を見て待機することができた。対面に人がいたときも、その人もまっすぐ前を見ており、仮に視線が嫌なのであれば下を向くはずなので、俺の視線で傷つくことはないと安心できた。
何度か試し、次に昼にまっすぐ前を見る訓練をした。前回の記事に書いた通り、やはり自分の目つきがきつくなってないか、睨んでいないかなどが気になる。いくら前を見る人でも、睨まれたら何か思うに違いない。
そこで、目つきの練習をした。瞼が重い時はだいたい睨んでしまっているなと自覚できるため、そういう日は鏡を見て目を大きく見開いてみる。口角を少しだけ上げてみる。
そうすることで怒っている、睨んでいるような表情ではなくなった。
気づいたのが、もしかすると目つきが悪くなるのは眠気からではないかな、ということ。原因はまだ確実にはわかっていないが、コーヒーを飲んでみると少し瞼が軽くなる気がする。
このような努力の結果、ついに太陽が高く登る昼にもまっすぐ前を見て外出できるようになったのだ!
治り始めたのは今年の4月あたりからだった。
4/9の日記
「マイナンバーカード関連のために市役所に行ってきて、多くの人とすれ違ったが視線恐怖はかなりマシになっていた。
信号待ちのときもまっすぐ前を見れるようになり、車からの視線もあまり感じなくなった。
きっかけは現実を直視し始めてからだと思う。下を向いても目を瞑っても感じる攻撃の視線は、全て妄想だった。
人の視線に大した意味などなかったのだ。見る人間は俺でなくても見るし、見ない人間は見ない。」
ただし、問題はまだある。電車内や待合室などで座っているときの目のやり所だ。
個人的には歩行中の際は問題ないものの、座っているときはグッと他人を見るハードルが上がってしまう。
スマホを上げると対面の人が怖がるのではないかとか、じっと見てると変に思われるのではないか…などと不安になってしまう。なので寝たフリをしたり、ずっと下を向いて首を痛めたりしてきた。将来的にはこの解決策や思考法も探していこうと思う。確かに手応えがあるものを発見できれば、またブログに投稿しようと思う。
ついに脱引きこもりへ
本格的な脱引きこもりができたのはつい2週間前からだ。
先程のような思考実験、実践もとてつもなく効果が大きかったのだが、脱引きこもりのきっかけはこれだけではない。
他にも様々な要素が混ざり合い克服できたのだと思う。
まず、本気で脱引きこもりを目指すため、今年の7/13、7/20に、引きこもり初年に心療内科初診の際にもらった漢方、ツムラの「抑肝散加陳皮半夏」を飲んだ。
飲んだのはこの2回だけだが、もしかしたらこれが効果を発揮したのかもしれない。
しかし、視線恐怖自体は今年4月時点から少しずつ解消していったので、やはり思考実験の影響が大きい。
それに、祖父、祖母の影響もある。
祖父、祖母から嫌われているという思い込みも残念ながら現実となり、監視、嫌がらせを受けるようになった。
それに耐えかねて家を飛び出したという節もある。
そして最近朝早くから家を出ていると勘づくや否や、祖父がなんと朝5時代から毎朝庭に出て草刈りをし始めた!
何時間も外に居座るのでなかなか外に出るタイミングがない。
うちは防音性がゼロのためハサミをカチカチカチカチする音が鳴り響き寝ることもできない。
寝ていてもその音で起こされる。
祖父が家に入った隙にすかさず外へ出て夜遅くに帰宅している。
おかげで一人暮らし、自立へのモチベーションはマックスだ。正直、もう我慢ならない。
感謝もしつつ、恨みもありつつ、申し訳なさもある。2年もの期間に生まれた溝はそう容易に埋まることはないだろう…
きっかけはまだある。快活CLUBでの一人カラオケだ。
視線恐怖が治り始めた4月頃に、思い切って2度目の快活カラオケへ行った。
実は声にコンプレックスがあったのだが、今日に渡り10回ほどのカラオケを経験して、自分の声に少しずつ自信を持てるようになった。
今では腹式呼吸も習得でき、俺の数少ない趣味になっている。入店時には店員に声をかける必要があるものの、帰りはセルフレジで会計できるので気が楽だ。ほんとに快活CLUBには感謝しかない。
フラッシュバックの解消
最近驚いたのは、いつの間にか食事中のフラッシュバックがなくなっていたことだ。
自分に自信がついたからなのか、視線恐怖の解決によるものなのか、嫌な記憶を忘れたからなのかは定かではない。
しかしこの大きな苦しみが解決されたのはとても嬉しい。
今では、そこそこ緊張はするもののマクドナルドやすき家などで外食することができるようになった。
引きこもり時代に夢見た外食、外出。それらが現実となった。
当たり前にできることは、実は当たり前ではなかったんだな。当たり前に感謝して、過去の苦しみの時代を忘れることなく当たり前を噛み締めていきたい。
書き忘れていたが、引きこもり中の散髪はどうしていたかというと、初めは美容院に行っていたものの視線恐怖のストレスと、大学を中退したこともあり親に切ってもらうように。次第に1000円カットへ行くようになった。ただ当時はまだ視線恐怖が直っておらず、2度目でリタイアした。当時の緊張とストレスを想像するだけで今でもハサミに関する少々エグい妄想(侵入思考)が浮かんでしまう。それからはパナソニックのバリカン「ER-GF82-S」を買い、セルフカットに勤しんでいる。
↓バリカン選びの際に情報をまとめた記事↓
セルフカットにもそこそこ慣れてきて悪くはないのだが、いつしか再び1000円カットにもチャレンジしたい。
次回
ここまで、引きこもり中の体験談、脱引きこもりまでの経緯を語ってきた。
次は、タイミーで初のバイトへ行き脱ニートに成功した件について語っていこうと思う。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。