視線恐怖をある程度克服した俺は、思い切ってタイミーでバイトを始めることにした。


タイミー自体は数ヶ月前から登録していた。このタイミーの登録のためにマイナンバーカードを作成していた。

マイナンバーカードの申請自体は役所へいかずともマイナンバーさえ分かれば郵送のみで完結するため、まだの方はおすすめだ。

ずっと一歩を踏み出せないでいたのだが、本格的に社会復帰を始めるために、思い切って初のバイトを申し込んだ。

あらかじめタイミーの登録という土台を作っておくことで、その時に一歩を踏み出せずとも、いざという時に一歩を踏み出せるのだなと、事前準備の大切さを思い知った。


人生初のバイト

初めに受けたバイトは3時間の新聞配達の仕事だった。歩いてポスティングするだけだと思い、これは簡単そうだと思って勢いで申し込んだ。

タイミーでの申し込みには面接も履歴書も一切必要なく、すぐに仕事が決まった。

しかし、蓋を空けてみると思ったような簡単な仕事ではなかった。


緊張はしたものの仕事前のやりとりはうまくいき、いざ仕事を始めようという時に、なんと電動自転車を支給された。要件にそんなことは書かれてなかったため困惑した。

困ったのが、その電動自転車がものすごく重い。脱引きこもりしたばかりということもあり、初めは倒さないように支えているだけで精一杯だった。それに、自転車なんてもう10年以上乗っていない。あきらめて重い電動自転車を押していった。


外はおそらく35℃くらいだっただろう。真夏の炎天下の中、ものすごく重い自転車を運びながら配達を開始。

しかし、あまりの重さと非力さゆえに何回か自転車を倒してしまった。初めは起こすことさえ難しく、コツをつかむのに時間がかかった。そのときは人通りがなかったためよかったが、今度は人通りが多い場所で倒してしまった。

驚くことに、道を通った人が声をかけてくれたり、おじいさんが倒れた自転車を起こすのを助けてくれたりしたのだ。「新聞を乗せたままだと重いから、まず新聞をどけて起こしたほうがいいよ」と手伝ってくれた。

俺は人の温かみを知った。俺はこれまで引きこもりでネットしか触れておらず、人の温かさなんて完全に忘れていたのだが、現実世界の人達の中には困っている人を助ける優しい人もいるんだ。人の温かみを知り心からありがたく思った。俺も困っている人たちを助けられるような人になりたいと心から思う。

再び倒してしまったときも、散らばった新聞紙を拾い集めるのを通りかかった少年が助けてくれた。自分の不甲斐なさに申し訳なくなりつつも、感謝でいっぱいだった。


ちょうどそこは交番の前で、急な坂道であったためもう限界だと思った。安全な場所へ停めて歩いていこうと思った。しかし自転車が思っていた方向へ曲がらず、坂道の真っ只中であったため、向きを変えようにも重すぎて変えることができない。

仕方なくすぐそこにあった交番へ入り、藁にも縋る思いで警察の人に助けを求めた。

中には2人の警察の人がおり、そのお二方が重い自転車を運び、交番の安全な場所に停めてくださった。

多大な迷惑をかけて申し訳なく思いながら、町の方々の優しさに胸がいっぱいになった。

そのまま炎天下の中歩いて新聞を配達していった。

しかし重い新聞を抱えながらの配達も思ったよりきつく、自分の体力のなさを思い知った。

助けてくださった方々のおかげで、なんとか時間になるまで配り続けることができた。

交番の方に改めてお礼を言い、再び重い電動自転車を動かす。

疲れてヘトヘトだったが最後の力を振り絞って動かした。すぐ横は車道で、ここで倒すわけにはいかない。

細心の注意を払いながらなんとか運び終え、仕事を終了することができた。

配達した量はノルマの4分の1にも満たなかったが、謝ると仕事の人は暑い中ご苦労さんと労ってくれた。


初めてのバイトだったが、想像以上に多くの経験を得ることができた。人は自分が考えているような恐ろしい存在ではなかったのだ。

人々は困っている俺に優しく手を差し伸べてくれた。

人は助け合い、支え合って生きていくんだ。

そして、もうひとつ学んだのが力仕事は想像以上に体力が必要であること。

これまで一切運動をしてこなかったので、重いものを運ぶのがとてもつらかった。しかし、やり切った後には清々しさと達成感があった。

初のバイト3時間で3600円もの給料を得た。


仕事を終えた俺はマックに行くも、熱中症なのか食欲がわかなかったため、そのままカラオケへ。初の仕事を終えたあとのカラオケは最高だった。

俺の初めてのバイト経験は、非常に濃密なものとなった。


二度目のバイト

それから3日後、食品工場のバイトに申し込んだ。

理由としては、力仕事は体力的にきつそうだと考え、食品工場ならいけるのではと考えたからだ。

時間は5時間で、業務内容はラインでの作業だ。

そこで働いている人の多くが外国人であった。最初に仕事の説明をしてくれたのも外国人だし、実際の作業内容やコツを教えてくれたのも外国人だった。

印象的だったのは、外国の人でもまじめで仕事熱心だったことだ。決してサボろうとしたりせず、自分の仕事に自信を持っているようだ。


体力は大して使わなかったものの、精神的な苦労が大部分を占めた。これは人間関係というわけではなく、作業内容にある。

ライン上に流れてくる商品にシールを貼ったり、麺を整えたり、容器に食べ物を詰めていったりした。

忙しなく流れるラインに遅れまいと、必死に作業をし続けた。少しでも遅れると他人にも迷惑がかかってしまうため、遅れてはならないという焦りは常にあった。ただ、要領を掴み始めると、次第にラインに余裕をもって追いつけるようになった。

「食品工場はやることが同じで時間が経つのが遅い」と噂では聞いていたのだが、この工場ではやることが時間によって変わり、飽きるというようなことは一切なかった。むしろ、飽きるどころか慣れるのに精一杯で、時間が過ぎるのがあっという間だった。

シールを貼るだけでも最初は手間取っていたが、外国人の人が優しくコツを教えてくれたおかげでなんとかラインに遅れることなく作業をこなすことができるようになった。

次の麺をならす作業がなかなか難しく、なかなか要領が掴めず常に集中状態で2時間があっという間に過ぎた。

そうこうしているうちに5時間の業務が終了した。

業務の時間割りというかスケジュールがなかなかわからず、休憩の時間でないのに休憩してしまったりとあたふたしてしまった一面もあったが、初めてということであまり怒られずに済んだのだろうと思う。

もう一度このバイトにチャレンジしてみてもいいな、そう感じる温かな職場だった。


5時間の業務にて、6000円もの給料を得た。夜の帰りに、ご褒美としてコンビニでスイカバーを買った。高校の頃よく買っていたのだが、引きこもり始めて以降コンビニに行くこともなく、当然スイカバーを食べる機会もなかった。久々に食ったスイカバーはものすごく美味しく、心に染み渡った。


これまでとこれから

こうして俺はバイトを始め、ついに脱ニートを果たした。

過去には当たり前でなかったことが、どんどん当たり前になっていく。

あれだけ恐れていた外出も、今では毎日のようにこなせている。

店員とのほんの数秒の会話すら怖かった俺が、簡単なやり取りくらいは恐れずこなせるようになった。

大事なのは大きな一歩だけではなく、日々のさりげない一歩一歩なのだと実感した。

例えばタイミーに登録するだけでも確実な一歩だし、カラオケで発声練習をするのも着実な一歩であるし、銀行口座がなければ自分で作成するというのも確かな一歩だ。

たとえどんな苦境にいようとも、自分のペースで、少しずつでいいから一歩一歩進んで行くのが何より大切なんだと感じた。


俺はこれから、タイミーでバイトを続けつつ、ハローワークへ行って求人登録をし、就職と一人暮らしを目指して進んでいこうと思う。


引きこもっていた2年は長くもあり、短くも感じられる。

しかし、決して無駄だったとは思わない。この2年がなければトラウマも解決できず、心を見つめる暇もないまま、複雑に絡まった恐怖はきっとそのままだっただろう。

「大卒」という肩書きは失ってしまった。「大学中退」という足枷も重い。

しかし今、第二の人生がようやく幕を開けた。これからどう挽回するか、どう這い上がるかは、親でも、親戚でも、国家でもない。他ならぬ自分次第なんだ。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。