こんにちは。

 

今回気になったのは訃報です。

 

王貞治氏、荒川氏の死を悼む

「今の僕があるのは荒川さんの情熱があったから」

 

 

「一本足打法」の指導受け868本塁打、「決して一人ではできませんでした」

 ソフトバンクの王貞治球団会長が、4日午後に86歳で死去した荒川博氏の訃報を受け、コメントを発表した。

 

 巨人時代に、荒川氏から「一本足打法」の指導を受けた王氏。球団を通じて「荒川さんの訃報に接し大変残念でなりません。今の僕があるのは荒川さんの指導者としての並々ならぬ情熱があったからこそです。決して一人ではできませんでした。今は感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りします」とコメントした。

王氏は「一本足打法」を武器に通算868本塁打の世界記録を樹立した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161204-00010013-fullcount-base

 

“一本足打法生みの親”荒川博氏急死

昼食後倒れ搬送…王さん最期みとり涙

 

 

「世界の王」を育てた元巨人の打撃コーチ、荒川博(あらかわ・ひろし)氏が4日午後、心不全のために東京都内の病院で死去した。86歳だった。葬儀・告別式の日取りは未定。早実から早大を経て、毎日(現ロッテ)に入団。巨人のコーチ時代に伸び悩んでいた王貞治氏(76=現ソフトバンク球団会長)に「一本足打法」を指導し、日本刀を使い、素振り部屋の畳が擦り切れるほどの猛練習は「荒川道場」と呼ばれた。晩年まで指導に情熱を注いだ名伯楽がこの世を去った。

「世界の王」を世に生み出した荒川氏が突然、天国へと旅立った。この日、昼にそばを食べた後に「胸が痛い」と言って倒れ、救急車で東京都港区の病院へ搬送された。すぐに王氏も病院へ駆けつけた。ほとんど意識はなかったが、王氏は「まだ頑張れる」とずっと声を掛け続けていた。最期をみとると、涙を流したという。

王氏は、荒川氏も出席予定だった巨人のOB会総会に出た後、再び病院へ。「今の僕があるのは荒川さんの指導者としての並々ならぬ情熱があったから。一人ではなかなか行けない境地を教えてもらった。今は感謝の気持ちしかありません。私も幸せだったが、荒川さんも幸せだったと思う」と亡き恩師をしのんだ。

都内の自宅で対応した弟の富男さん(77)は「けさも元気だったんです。毎週日曜は自宅に行って一緒に食事していたから“今夜はお寿司かな”なんて話していたくらい。王さんが最後に来てくれて、兄も凄く喜んだと思う。自慢の教え子でしたから」と話した。荒川氏は数年前から心臓を患い、入退院を繰り返していた。医師から人工透析も勧められたが、受けなかった。常々「俺は死ぬ時は心不全だ。ぽっくりと逝きたい」と話していたという。

王氏との出会いは1954年秋。毎日の選手だった荒川氏が散歩中に東京・隅田公園の野球場で試合をしている当時中学2年生だった王少年を見かけた。左投げの投手だが打席では右打ちでパッとしない。ぎごちなさを感じた荒川氏が左で打つことを勧めると、鋭い二塁打を放った。高校生だと思っていた少年が中学生だったことに驚き、荒川氏は母校の早実へ進学を勧め、王氏はエースとして57年春に同校初の甲子園優勝を果たした。

61年に現役を引退し、巨人の打撃コーチに就任。運命は2人を引き寄せた。荒川氏は「王は打つ時に手が動く欠点がありバランスも悪い。片足で立てば動けない」との理論から一本足打法が生まれた。荒川家、遠征先の宿舎の畳は血でにじみ、擦り切らして何枚も駄目にした。全てがプロ野球記録の868本塁打を積み上げる礎となった。

王氏の前には、今年野球殿堂入りした榎本喜八氏を育て、後には黒江透修氏や末次利光氏らが「荒川道場」に通い、巨人のV9戦士となった。昨年8月には早実の後輩にあたる清宮について「生きていて良かった。清宮を見られた。長生きをしたくなった」と話していた。最近まで神宮外苑の軟式打撃練習場で子供たちを教えていた。荒川氏は最後まで指導者だった。

◆荒川 博(あらかわ・ひろし)1930年(昭5)8月6日、東京都生まれ。早実では3年時のセンバツにエースとして甲子園に出場した。早大で外野手に転向し、53年毎日(現ロッテ)に入団。同年のオールスター戦出場を果たした。通算9年間で803試合に出場し、打率・251、16本塁打、172打点。引退後の62年から巨人の打撃コーチを9年間務めた。73年にヤクルトの打撃コーチに就任。翌74年からヤクルトの監督を務め、3シーズン目の76年5月に辞任した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161205-00000059-spnannex-base

 

世界の王誕生の舞台裏…

広岡氏が荒川さん推薦「この人なら間違いない」

 

3カ月ほど前、荒川さんから珍しく電話がかかってきて「巨人がだらしないから一緒に練習を見に行って文句を言ってやろう」と誘われた。あいにく、私は小脳の調子がよくなく「もうちょっと元気になったら行きましょう」と話したのだが、まさかそれが荒川さんと交わす最後の言葉になるとは…。

荒川さんは早大の1級上の先輩で、ボールを叩きつけてライト前にヒットする独特のバッティングをする人だった。プロは荒川さんが毎日、私が巨人と、違うチームになったが、同じ先生に合気道を習っていた。私が兼任コーチの時、監督の川上さんから「王がなかなか育ってこない。どこかにいいコーチはおらんか?」と聞かれ、「この人なら間違いありません」と推薦したのが現役を引退したばかりの荒川さんだった。

巨人のコーチになった荒川さんは心身統一合氣道の創設者、藤平光一師の勧めで一本足打法を取り入れ、「世界の王」を育て上げた。足一本ではバランスが崩れると立っていられない。反動をつけるためではなく、バランスを良くするための一本足打法。体に覚え込ませるために、とことん練習させた。王が飲んでどんなに遅く帰ってきても「じゃあやるか」と言ってバットを振らせる。あんな熱心な人は少ない。

86歳。まだまだ…、せめて90歳までは生きていてほしかった。 (談=巨人OB)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161205-00000081-spnannex-base

 

荒川博氏が急死

“道場”で日本刀素振り、世界の王へ

 

 元巨人打撃コーチで王貞治氏(76)を指導した荒川博氏が4日午後、心不全のため都内の病院で死去した。86歳だった。荒川氏は1953年(昭28)に早大から毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団。現役時代は巧打の左打者として活躍し、61年に現役を引退。翌62年から70年までは巨人打撃コーチを務め、王氏に「1本足打法」を授けた。「世界の王」を生み出した名伯楽が逝った。

 

 突然の訃報だった。荒川氏はこの日、外出先で昼食のソバを食べた後、胸の痛みを訴えた。都内の病院に運ばれ、治療を受けたものの、心不全のため亡くなった。86歳だった。葬儀、告別式の日取りは未定という。

王氏を「世界の王」へと導いた名コーチだった。巨人の打撃コーチに就任した62年、「王は打つ時に手が動く欠点があり、バランスも悪い。片足で立てば動けないのでは」との判断から、「1本足で打て」と指示した。7月1日の大洋(現DeNA)戦だった。王氏は右足を高く上げた新打法で本塁打を放った。その後、荒川氏が得意の合気道と日本刀を利用して王氏に命じた素振りは、遠征先の宿舎の畳をすり切らして何枚も駄目にした。

二人三脚で「1本足打法」を磨き上げ、62年に本塁打王へと導いた。ここから「王時代」の幕が上がった。王氏との鍛錬の日々を「ホームランだけでなく3冠王のために1本足で打たせたんだ」と回想していた。

指導を受けた王氏は、73、74年には3冠王。13年連続で本塁打王を獲得するなど通算868本塁打を放つ「世界の王」を生み出した。王氏は酒宴に参加しても、その後に荒川氏のもとに戻って素振りを繰り返したのは語り草になっている。王氏の前には榎本喜八氏を育て、後には黒江透修氏や末次民夫氏が「荒川道場」に通い、巨人のV9に貢献した。

出会いは王氏が中学生のころだった。毎日(現ロッテ)の選手だった荒川氏が散歩中に東京・隅田公園の野球場で試合をしている王少年を見かけた。試合後、高校生だと思っていた少年が中学生だったことに、荒川氏は驚いた。王氏は荒川氏の母校、早実に進学。輝かしい物語が誕生した。

昨年12月に入院したこともあったが、退院後は元気に過ごしていたという。近年は神宮外苑の軟式打撃練習場に姿を見せては、子供たちを教えた。無料奉仕だった。日本ティーボール協会の副会長を務め、野球の底辺拡大にも尽力した。同協会の大会やイベントには顔を出すのが恒例だったが、今夏以降は体調が優れず、不参加だった。神宮で行われる東京6大学リーグで、母校早大の応援をするのが楽しみだった。春のリーグ戦は観戦したものの、秋は応援を見合わせていたという。

関係者によると、荒川氏は亡くなった4日も、女子ゴルフの上田桃子選手を指導する予定だった。その後は巨人のOB会に出席する予定だったという。まさに、名伯楽を貫く人生だった。

◆荒川博(あらかわ・ひろし)1930年(昭5)8月6日、東京都出身。早実時代にエースとして48年春の甲子園に出場。早大を経て53年から61年まで毎日-大毎(現ロッテ)で外野手としてプレー。引退後、62年から70年まで巨人コーチ。73年にヤクルト打撃コーチになり、74~76年途中まで監督。現役時代は9年間通算803試合、2005打数503安打、16本塁打、172打点、打率2割5分1厘。53年オールスター出場。監督通算127勝142敗20分け。左投げ左打ち。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161205-01747489-nksports-base

 

 荒川さんもご高齢だったので仕方ないのですが、この訃報を受けて、また伝説のプロ野球人が一人亡くなった事を寂しく思います。

 

 記事の9割は王さんを育てた名伯楽としての評価ですが、私的には一つだけ取り上げていた”榎本喜八”さんを育てたコーチとしても忘れられないエピソードです。勿論、”世界の王”を育てた事が荒川さんの一番の功績。特に私が昔から好きなエピソードは、中学時代の王少年が河川敷で右打席で試合をしていたのを、当時プロ野球選手だった荒川さんが左で打たせてヒットを打った話です。その少年がその後、甲子園で優勝し、巨人に入団し、荒川さんも巨人のコーチに招聘されて運命の再会。そして世界の王へ。

 

 

 その王さんを育てる前に、もう一人の偉大な打者・榎本喜八を育てたのも荒川さんでした。榎本喜八と言っても知っている人は”それなり野球ファン”。史上3人目の2000本安打達成、1000本安打達成も史上最速、2000本安打もイチローが現れるまでは史上最速だった、元祖「安打製造機」と呼ばれた打者。当時、巨人の監督だった川上氏が荒川さんに王さんを「榎本みたいない打者を作ってくれ」と言われたほど榎本喜八。

 

 榎本さんの事は書きはじめるときりがないので、この辺で。球史に残る二人の偉大な打者を生み出した荒川さん、その後、主だった教え子が出てこなかったのが非常に残念でした。

 

 それでも今現在、日ハムで活躍しているソフトボール出身の大嶋が、早大ソフトボール監督に連れられて、荒川さんに打撃を観てもらい、太鼓判を押してもらった事も要因の一つになり、プロ野球選手になったとの事。

 

 天国で榎本氏と再会したかな。ご冥福をお祈りいたします。