朝日によって七変化するARを見ようと、待ち構える人たちですでに一杯だった。元旦の初日の出を一目見ようと、待ちわびる人たちとリンクする。
時間が経つにつれ、益々多くなるギャラリーに少々引き気味のボク。
騒ぐのもいいけど、こう、もっと流暢に味わえないものか。(`⌒´)
行動は同じでも、その見届ける意思は同調したくはない。そんな思いだった。
ARと真反対の光が発する方向を、睨むように眺めている。
じわじわと上り詰める朝日。大地から光は漏れるも、ストレートな光はまだ届いていない。この瞬間もたまらなく好きだ。躍動感を感じる。
そして…
一筋の真っ直ぐな光が届き始めたと同時に、ゆっくりとARの右サイドから変色し始めた。ざわめくギャラリーと色めくAR。ボクの耳には、クラッシックで言う重低音のバスなどがスローテンポで奏でている。
朝日に照らされ、次第に本来の色に染まりつつあるAR。彼にとっては、数万年の間同じことの繰り返しであり、また一瞬の出来事に過ぎないが、何万年にこの光景を目にした人と同じものを見ているのだと思うと、時を越えた財産の共有ができたようで何だか嬉しい。
あんな大きな岩を、全て照らし出すのに約30秒。
普段気がつかない時の流れを形にすると、一瞬であり、また容赦のないことなのだと改めて実感する。時間の使い方、生き方など抽象的ではあるが示してくれているのではないだろうか。
サンセットが終わると、一気に人気はなくなり、ボクらを乗せたバスもARの麓まで移動した。1周約2時間のウォーキングコース。形や色は変われども、似たような風合いに、次第につまらなくなる。
絵画と一緒で、近くで見てはいけないものなのかもしれない。
随所で撮影禁止もあり、念のためカメラはオフのまま。
ところが、無視をして撮影する人もチラホラいる。デリカシーのない奴らだ。
1周歩き終わったところで、今度はドライバーがガイドとなって、今も残るアボリジニの壁画跡や、聖地などの見学に入る。
言ってることは、さっぱり解らないのだが、壁画の意味や儀式が行われた場所など、神聖なる地であることには変わりはないようだ。
ところで登頂は今日もできなかった。ボクは志願者の一人だったが、アボリジニ原住民の聖地であること、が故に登ってほしくないとのこと で諦めた。
日本でもそうだが、各国にだって超えてほしくないガイドラインがある。
確かに登れば、景色もいいし、感動も一際かもしれない。
が、侵されたアボリジニの人たちにとっては気持ちのいいものではない。
登れなかった悔しさよりも、登らなかった自分を褒めてあげたい。



時間が経つにつれ、益々多くなるギャラリーに少々引き気味のボク。
騒ぐのもいいけど、こう、もっと流暢に味わえないものか。(`⌒´)
行動は同じでも、その見届ける意思は同調したくはない。そんな思いだった。
ARと真反対の光が発する方向を、睨むように眺めている。
じわじわと上り詰める朝日。大地から光は漏れるも、ストレートな光はまだ届いていない。この瞬間もたまらなく好きだ。躍動感を感じる。
そして…
一筋の真っ直ぐな光が届き始めたと同時に、ゆっくりとARの右サイドから変色し始めた。ざわめくギャラリーと色めくAR。ボクの耳には、クラッシックで言う重低音のバスなどがスローテンポで奏でている。
朝日に照らされ、次第に本来の色に染まりつつあるAR。彼にとっては、数万年の間同じことの繰り返しであり、また一瞬の出来事に過ぎないが、何万年にこの光景を目にした人と同じものを見ているのだと思うと、時を越えた財産の共有ができたようで何だか嬉しい。
あんな大きな岩を、全て照らし出すのに約30秒。
普段気がつかない時の流れを形にすると、一瞬であり、また容赦のないことなのだと改めて実感する。時間の使い方、生き方など抽象的ではあるが示してくれているのではないだろうか。
サンセットが終わると、一気に人気はなくなり、ボクらを乗せたバスもARの麓まで移動した。1周約2時間のウォーキングコース。形や色は変われども、似たような風合いに、次第につまらなくなる。
絵画と一緒で、近くで見てはいけないものなのかもしれない。
随所で撮影禁止もあり、念のためカメラはオフのまま。
ところが、無視をして撮影する人もチラホラいる。デリカシーのない奴らだ。
1周歩き終わったところで、今度はドライバーがガイドとなって、今も残るアボリジニの壁画跡や、聖地などの見学に入る。
言ってることは、さっぱり解らないのだが、壁画の意味や儀式が行われた場所など、神聖なる地であることには変わりはないようだ。
ところで登頂は今日もできなかった。ボクは志願者の一人だったが、アボリジニ原住民の聖地であること、が故に登ってほしくないとのこと で諦めた。
日本でもそうだが、各国にだって超えてほしくないガイドラインがある。
確かに登れば、景色もいいし、感動も一際かもしれない。
が、侵されたアボリジニの人たちにとっては気持ちのいいものではない。
登れなかった悔しさよりも、登らなかった自分を褒めてあげたい。


