昨晩、会社の部長のお父様が亡くなられた。

くわしくは、わからないのだが

最近調子が悪く、入退院を繰り返していたようだ。



毎日のようにメディアで報道される

事故や事件の中で

「死」のつかない日はない。

メディアだと「他人事」に見えてしまうことも

身近で起こると真実味が増し、

そしてボクはいつも考える。

「自分の人生と仲間との係わり合い」を。




なぜ人が亡くなると、皆喚き悲しむのか。

四川大地震など天災などは別にして、

それは亡くなった人に対して

「常日頃から、精一杯接していないのではないか」と。

思ってたわけです。

その考えを根付かせた

ナショナルの創設者・松下幸之助の自伝本で

忘れられないフレーズが、ボクにはある。



「母が亡くなった時に、私は泣かなかった。
なぜなら、私は常日頃から母に全力で接してきた。
母にしてあげたいことも、すべてやってきて
もうなにもしてあげることはない。
だから後悔も全くない。
皆が泣くのは、母に対して何もしてあげられなかった。
また、しなかったことに後悔があるからだ。」

↑完全分ではないので、ニュアンス的には
こんな感じ。




「いつかは行こうね」とか「今度にしよう」という

曖昧な表現があるけれど、

これってほとんど実現しませんよね。

中には実現するものもあるんですが、ほとんどが

言葉の「あや」。

ボクはこの言葉がキライなんです。

使うのは使いますが、

「いつかっていつ?」「今度って、いつ?」と

なってしまうんです。

「何が何でも実現したい!」というキモチの

現れなんでしょうね。



なので、

仲間に「今度」とか「いつか」って言ってないかどか

確認して、よほど非現実的でない限りは

実現する方向へ話を進め、実現します。

手抜きなしで全力で実現させるので、

大人概がない!とも言われます。

でもです、その後には後悔はないんだから

すがすがしいものです。




人それぞれ、価値観が違うので

あてはまるとは思わないが、

すべてのことにあてはまるのは、

何事にも「後悔のないように行動する」。

これひとつにつきるのではないだろうか。