昨日もイオンへ出向いてしまった。もはや日課。もはや庭。もはやショッピングモールの達人。
最近のモールの中にはペットショップ混在する店も少なくない。くしくも、人だかりがあると見に行ってしまう、悲しい性がある。ケージの中では、子犬が跳ねたり跳んだり眠ったり、さまざまな表情をして、ギャラリーをにぎわしている。一通り聞こえてくるのは「カワイイ」「買いたい」のコトバ。
わかるよ、わかる。確かに、こんな純真な眼差しとしぐさを見せられたら、そばに置いておきたくなる。イチコロという言葉がふさわしいかも。でも、昨日の他サイトでのseijiさんのコメントの『処分という名の元に殺されていく動物たちの叫び』を読んでから見る目が変わった。


以下seijiさんのコメントより抜粋(本人より承諾を得ています)
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殺し方は安楽死なんかではなくガス室に入れて二酸化炭素で窒息させる。

どんな殺し方か説明すると犬はケージに入れられて窒息させられた後そのまま焼却で焼かれ、
猫は素早いから袋にぎゅうぎゅうに詰められてガス室に送られる。
猫なんかは袋に詰められた時点で圧迫死する子もいる。
更に犬と違って子猫は呼吸が浅いから窒息しきれずにそのまま焼却されてしまう。

生きたまま焼かれる、地獄やろうな…
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一報ケージの中で「カワイイ」と、もてはやされるペットたち。この違いは何?人間にもある格差社会がペットにもある。そして下級のペットたちは人間の手によって処分されている。年間30万頭以上の処分。処分って殺してるんじゃない。都合のいいように表現を変えないでほしいわ。今、この瞬間にも君らの仲間を殺してるんだよ、って思うとペットたちを優しい眼差しでみることができなかった。「スマン」

全部が全部じゃないだろうけど、このウインドウに群がる人たちには知る余地もない世界だろうな。と考えてしまった。
ペット捨てる人が減らない限り、人間にはペットの命を救う義務がある。ペット住民票とまではいかなくても、それに類似した証明書などの発行などで減らせないのだろうか。法律があるとか、人間の安全のためだとか、わかるけど、殺してしまう前に減らす方法を考えるべきなのではないか。身勝手さ極まりない行為に何も出来ない己に腹立たしくもあり、その法律に守られていることに情けないなぁと感じる。
seijiさんに言われた、人へ伝えること。これが今のボクにできる精一杯。

ケージの中の君たちよ、君たちに指名権はないけれど、殺されていく仲間たちのためにも、幸せに暮らしてほしいと願うのみであった。