ネット社会におけり、メール・チャット・ブログなど
活字でのコミュニケーションが当たり前となった現代。
コミュニケーションを通して気が合えば○○友とか、
SNS限定での友人関係などを築ける時代となった。
ボクもそのうちの一人だ。
話すのが、どちらかというと苦手で、人見知りの激しい
性格のボクにとっては、少々ありがたいツール。
だからといって、無差別に友達を作っているわけではない。
相手の顔が見えない声もわからない、ネットの世界では
それなりに言葉を選び、失礼のないように心がけている。
タイムリーに即答できないのも、そのせいである。
少し親しくなると、その硬さも溶けて初めてフレンドリーな
対応をしているのだが、これが相手の取り方次第で様々な
展開に転がるのだ。
「もっと砕けて話そうよ」とよりフレンドリーを求める人もいれば、
相手の返答を見て「気分を悪くしたのなら、ごめんなさい」と
あやまると「ネットとは、砕けて遊ぶとこだから、
気にしなくていいよ」と助け舟を出してくれる人もいる。
全く音信不通・返信なしやコメントの拒否をされることもある。
ボクが一番ツライのは音信不通・返信なしやコメントの拒否。
突然の事態に戸惑うのと、相手に失礼なコメントを送ったのでは
ないか?と不安に襲われる。
突然の事態には何らかの理由があるはずだが、それを聞きたくても、
誤りたくても、相手の反応次第なので何の対処方法がない。
これほど、辛く悲しいものはない。
せめて理由だけでもわかれば、ココロの曇りも透き通るのだが。
だがしかし、その理由はカンタンで「言葉が気に入らなかった」
「この人とは合わないと思った」にすぎないものなのだと
理解済みなのだ。
わかっているはずなのに、そこに真の友情を求めてしまったり
いつも砕けた話ができずにネット世界でも「堅苦しい人だ」と
思われ、なかなかフレンドリーになれないのは、ネット世界が
悪いのかボクの性か。
そう考えると、改めて言葉の難しさを知り、今日もいつ曇るか
わからないネット世界でキーボードをたたき続ける。
何いってんだんだろう。
活字でのコミュニケーションが当たり前となった現代。
コミュニケーションを通して気が合えば○○友とか、
SNS限定での友人関係などを築ける時代となった。
ボクもそのうちの一人だ。
話すのが、どちらかというと苦手で、人見知りの激しい
性格のボクにとっては、少々ありがたいツール。
だからといって、無差別に友達を作っているわけではない。
相手の顔が見えない声もわからない、ネットの世界では
それなりに言葉を選び、失礼のないように心がけている。
タイムリーに即答できないのも、そのせいである。
少し親しくなると、その硬さも溶けて初めてフレンドリーな
対応をしているのだが、これが相手の取り方次第で様々な
展開に転がるのだ。
「もっと砕けて話そうよ」とよりフレンドリーを求める人もいれば、
相手の返答を見て「気分を悪くしたのなら、ごめんなさい」と
あやまると「ネットとは、砕けて遊ぶとこだから、
気にしなくていいよ」と助け舟を出してくれる人もいる。
全く音信不通・返信なしやコメントの拒否をされることもある。
ボクが一番ツライのは音信不通・返信なしやコメントの拒否。
突然の事態に戸惑うのと、相手に失礼なコメントを送ったのでは
ないか?と不安に襲われる。
突然の事態には何らかの理由があるはずだが、それを聞きたくても、
誤りたくても、相手の反応次第なので何の対処方法がない。
これほど、辛く悲しいものはない。
せめて理由だけでもわかれば、ココロの曇りも透き通るのだが。
だがしかし、その理由はカンタンで「言葉が気に入らなかった」
「この人とは合わないと思った」にすぎないものなのだと
理解済みなのだ。
わかっているはずなのに、そこに真の友情を求めてしまったり
いつも砕けた話ができずにネット世界でも「堅苦しい人だ」と
思われ、なかなかフレンドリーになれないのは、ネット世界が
悪いのかボクの性か。
そう考えると、改めて言葉の難しさを知り、今日もいつ曇るか
わからないネット世界でキーボードをたたき続ける。
何いってんだんだろう。