1990年に嫁と娘の来日に際してのビザ申請は
二ケ月余りの準備期間を経て漸く申請が終わった
そして”ビザ発給”が決まりそうとの連絡に
喜び勇んでいた我々であった・・・
下記のいずれかのクリックにて
応援のほどを宜しくお願い致します・・・
おはようございますHamreyです
「決まりそう」と云う事は”決定”では無いのだが
仮にも”日本政府”の窓口である総領事館が
そんな”アヤフヤな連絡”はしては来ない・・・
実は嫁や周りの者を欺く鎮静化する為の事なのだが
”熱し易い”P民にはその効果は薄い・・・
連絡を受けた時は2ケ月余りの”労をねぎらう”為に
つい嬉しくなり周りの者も招いて祝っていたが
それは”後の祭り”だった・・・
と云うのも翌日(土曜日)には外で(-。-)y-゜゜゜していると
ご近所さんや道行く者がわざわざやって来て
”Congratulations”の雨あられ・・・
そしてそれダケで済まないのが
フィリピンの所謂”あるある話”・・・
”お祝い”のパーティーはいつ開くのか?・・・
”感謝”の意味でチャペルに”寄付”をして・・・
”さよならパーティー”もやるべきだ!・・・
”Give me chocolate”🍫・・・
”置き土産”を忘れるな!・・・
その他 等々 ETC・・・
”云うのは無料”とのフィリピン原則に従って
好き勝手に云ってくる・・・
”義務的”にとかの云い方もあれば
”脅迫じみた”云い回しもあり
ジョークともマジとも判別出来無くなってくる・・・
まっこんな経験をされた方は多いと思います
御同輩・・・
流石に類人猿最強の口撃力を持つ
”ビサヤ女”の嫁も
この厚かましい要求には閉口していた・・・
(2ヶ月滞在ではこの地区の嫁の地位は低い)
その翌日(日曜日)には
これらを回避する為に皆で夕食に出掛ける・・・
(Tatay家とで総勢8名)
その席でビザ発給されたらチケットを買うが
日本行きの日迄はセブ島に行くと伝える・・・
日本へ行く時もPR便で
ネットで拾ったPR便写真
セブ→マニラ→成田とその日の内に日本へ行くので
マニラはトランジットだけ!
と云っても”今生の別れ”となる事では無いので
気楽な我々と寂し気なTatay家とでは
多少の差があった様にも思えた・・・
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
今まで”お世話”になったお礼として
5千P(約2万5千円)を進呈しますがお約束事の様に
遠慮するNanayに受け取るTatay・・・
”吉本新喜劇”の様なドタバタ感も無かったが
ネットで拾ったイラスト
現金なP民気質の一面も観られた・・・
尚、この居候期間中に買った
フォールディングベッド×3やカラーボックス×2は
中古になりますがTatay家に寄贈します
・
・
・
Please click the picture below.
It will be erect encouragement. ⤴
↓↓↓↓↓
この後皆は忍び足でTatay家に帰り就寝して
翌日に備えます・・・