1990年に嫁と娘の来日に向けたビザ発給まで
マニラに長期居候滞在します・・・
LRTで当時終点のモニュメント駅に着いたが
ここからはジプニーに乗り換えてブラカンまで行きます
下記のいずれかのクリックにて
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おはようございますHamreyです
終点モニュメント駅から階段を降りて道路に出ると
そこには様々な人で溢れていた・・・
歩道も露店やら屋台と云った諸々の出店に
首から箱を提げたタバコやお菓子類に雑誌や新聞等の
売子も居るのでその間を縫って歩いて行きます・・・
ジプニーも路上に停車しているが先頭の車両が
早く出発するハズだが満席にならないと出発はしない
しかしその車両では嫁のお気に入りの席は望めないので
2台後ろの車両に乗り込む・・・
相変わらずカルタ取りの要領で座席をポンと叩く
ほぼ嫁のルーティンとなっている・・・
乗る前にドライバーに行き先を確認して
娘M子の分も含めて料金は先払いしました・・・
(金額は忘れましたが一人5P程?)
20分くらい待ったであろうか漸く出発したジプニーは
マニラ郊外の国道?を北の方へ進行します・・・
狭い車窓から観えて来るのは木造の黒い建物ばかり・・・
だが偶に不釣り合いなオサレなビルも観えるが
そこにはお決まりのタンクトップのタンバイが屯する・・・
(現代も変わりないだろうが)
4~50分もしただろうかジプニードライバーが
我々が下車する所に着いたと教えてくれた・・・
その事は乗車時に頼んでおいたのでありましたが
この様な事もこのフィリピンでは男の役目であります・・・
この国では男がP~ナの為に尽くすのが常識とされ
それを怠る様な男は”最低”とされている・・・
無論外国人とて例外なく要求される・・・
だが何の事情も知らない者にとっては
何を如何して良いのやら解からないので
”理不尽”でしかない!
(この時は偶々ワイがドライバーに言ったダケ)
何よりもその”事情”を説明するP~ナ等は少ないので
こんな事も”自分が知っている事は皆知っている”と
思い込んでいる”Gianism”に似た事から来てそうです
ワイ的な勝手な統計では1/20人が説明出来ますネ・・・
その中でももう少しフォローしてくれるのは
更に1/20人・・・
つまり1/400人しか日本人が安心して任せられる
P~ナは居ないと思っています・・・
(あくまでワイの勝手な考えで根拠は有りません・・・)
話しを戻します
さてジプニーを下車した我々は
狭い商店街のような所を抜けて行きます・・・
そこかしこで音楽が流れていますがワイの耳には
キキ聞き覚えのあるイントロが入って来ました
だが歌が始まったら・・・となっちゃった
五輪真弓の『恋人よ』をタガログ語でカバーした
シャローン・コネータ(Sharon Cuneta)が歌ってました
この事をAmeba記事で観たので思い出しました
書いた人は股の いるか。さん
その”Itanggi mo”をキキ聞きながら
川沿いに建つマーケットへ向かいます
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It will be erect encouragement. ⤴
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マーケットには知り合いP~ナの母親の店が有ります