1990年にP嫁と娘を日本へ呼び寄せる為に
日本行きビザの発給を求めて
マニラで手続きを始めるのでした・・・
だがその前に・・・
下記のどちらかをクリックすると
ワイに良い事が起こる鴨!?
おはようございますHamreyです
前年に送られて来た嫁の手紙に記せられた住所は
ナガ市トゥヤンとなっていた・・・
何度かレンタルしたバイクでナガ市の
市庁舎前を通っているのが
トゥヤンと云う地名は初めて聞く・・・
今でこそGoogle Mapで簡単に探せるが
当時は地図を買うのも一苦労・・・
損そんな事でなんちゃってガイドLtの車を使うのも
ありではあっただろうが腹違いの弟Dwドライバーの
運転技量と日本語能力は未知数であった・・・
CSCR(湾岸道路)など無かった時代である
セブ市からトゥヤン・ナガまでの道のりは
苦痛の連続であろうと予想・・・!
それでも朝の通勤時間を過ぎているせいか
数ヶ所の工事渋滞を除いて
比較的スムーズに進行した・・・
やがてナガ市のウエルカムゲートを
通過した辺りで誰かに聞いてみるというDw
まっ賢明な判断であっただろう・・・!
やはりP男のDwはジプニー待ちの
Gwapaの横に停車してキキ聞き出した・・・
それによると
トゥヤンであるのは確かであったが
嫁の名前は知らないと云うGwapa・・・!
住所と名前を記したメモを見せるが
やはり知らない・・・
Gwapaはおもむろにメモを裏返して観ると
「M子・・・!」と我が娘の名前を言う・・・!
嫁から送られてきた娘の写真の裏に
嫁の住所・名前を書いていた為であります・・・
Gwapaは「追いて来て」云ったのだろう
Dwはその辺に車を駐車してから
彼女の後を追う云う・・・
素晴らしいタイミングであったと言うしかない!
こういった出会いにGwapaを誘いたい気持ちもあるが
ただ感謝だけにしておこう・・・!
あれっ濡れた髪の毛に着ている制服からして
どこかのデパートガールでこれから通勤と思われるが
仕事時間は大丈夫・・・!?
複数の空き地と家の軒を抜けると一軒の家の前で止まり
中に声を掛けているGwapa・・・
どうやらここが嫁と娘の住む家の様でありました
だが出てきたのは嫁とは似つかぬ20歳くらいの
一般的P民女性・・・!
メイドかなぐらいと思ったが
Dwの通訳?だと嫁の妹Uと云う・・・
嫁の妹で娘のベビーシッター役のU
当時21歳と云う事でありました・・・
Uの話では娘は学校に行っているとの事で
近いのでこれから行こうと云う・・・
授業時間であろうがお構いなしのフィリピン・・・
優先順位が違うのが起因であろうが
全体的な事など考えない国民性・・・
と云って娘に会いたいと云うワイの願望も
その事に従う事とする
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Please click the picture below. It will be erect encouragement. ⤴
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そこから徒歩で娘の通う学校へ行く・・・