がっつり愛知県第7弾、

覚王山日泰寺で日本とタイ王国の友好を感じ取った一行は

日泰寺のすぐ側にある「揚輝荘」と呼ばれる庭園を訪れたビックリマーク

 

ハモさん、着いたよおーっ!

はもたろう「ホントに日泰寺のすぐ側じゃんハッそれで管理人、

 俺たち勝手にお邪魔しちまってるが、この立派な庭園の

 持ち主は、一体誰なんだはてなマーク

 

 

名古屋市に寄贈された為、今は違うんだけど、元々は

㈱松坂屋の初代社長、伊藤次郎左衛門祐民さんに

よって建築された別邸なんだよにやり

はもたろう「松坂屋ってデパートの松坂屋だよな?

 そんなに昔からあったのか??」

 

遡ると、伊藤次郎左衛門祐民さんのご先祖は織田信長の家臣で、

信長の没後「いとう呉服店」を創業したことから始まり、

紆余曲折の末、1910年(明治43年)に百貨店を

開業したんだってクラッカー

※店舗の商号を『松坂屋』に統一したのは1925年だそうです。

↓は伊藤次郎左衛門祐民さんの胸像。

はもたろう「信長の家臣かぁ!結構、ふるいよな~ポーン

 

 

ちなみに「揚輝荘」の歴史は1918年(大正7年)からだけどね。

では、揚輝荘の中にある『伴華楼』に行ってみますかほっこり

はもたろう「ここは、建物の中に入ることはできないんだな真顔↓」

 

あ、ハモさんゴメンあせる入場出来る日時が決まっていて、

今日は入れないんだショック

 

当時(大正12年頃から昭和初期)、『伴華楼』は皇族、華族、

文化人など、ハイソな人々が訪れたそうです。

はもたろう「ほ~う、なるほどひらめき電球なかなか造りじゃないか、

 俺にはわかるゼちゅー

 

ガイドには、

『建物の特徴は、和風(二階)と洋風(一階)の調和した意匠で

あり、一階玄関の外側と内側のアールデコ様式、玉突き場室内

節目板の腰壁、応接室梁の兎の餅つきレリーフなど凝った意匠が

施されています。』って書いてあるよ。

はもたろう「(アールデコだと!?)ん、あ、ああ、

 たしかにあの辺りがデコってるな…う、うん真顔

 

えっあせるそっ、そうだねキラキラ汗汗(ハモさん、わかってるの!?)

 

 

「揚輝荘」の園内には、『伴華楼』以外に『白雲橋』と呼ばれる

橋なんかもあります。

はもたろう「ちょっとここからじゃ分かりにくいけど、天井には

 龍の絵が施されているんだよなウインク

 

 

そして『豊彦稲荷』も祀られています。

はもたろう「なんでもありですな、もはやテニスコートとかも

 あったりしちゃうんじゃないの?」

 

そうなんだよ、今は残っていないけど当時はテニスコートテニス

弓道場もあったみたい。

はもたろう「昼はテニス、夜はワインを飲みながらビリヤードと

 何ともゴージャスな感じがするな~キラキラデレデレキラキラ

 

なんとなく当時のハイカラで華やかな社交場の雰囲気が

伝わってくるよねふたご座

 

明日は揚輝荘の南庭園に行って来ます自転車