5年前の今日、震災であの揺れを体験しました。
わたしの地域は震度6強でした。
あの日、わたしは家に居て、3階に住んでるので
揺れが強すぎて途中、電気が消え
尋常じゃない揺れで、このまま死ぬんじゃないかと思いました。
揺れの最中は、わたしは風呂場が丈夫と聞いていたので、風呂場に逃げました。
家の中は、荷物が揺れで倒れてぐちゃぐちゃでした。
急いでジャンパーを着て、外へ逃げました。
あの日の天気はおかしくて
春みたいに晴れていたのに、地震がきたら、その後は
雷、雨、雪・・・夕方には晴れ・・・次の日は、雪で真っ白でした。
地震の揺れが大きくて、電気は4日、水道は1週間断水して、役場に水をもらいに2時間半、並びました。
ロウソクとストーブとラジオで過ごしました。
スーパーも中がぐちゃぐちゃで入れなくて、外で販売してたり、どこも人で並んでました。
ガソリンスタンドもあの時期は、どこも長蛇の列でした。
わたしは、震災から2.3日後に父の会社の社長が、海から2メートルの所に家を持っていて
奥さんと連絡が取れないからと・・・避難所に探しに会いに行ったのですが
その時の国道6号線の景色がわたしは、忘れられません。
当時、わたしの元カレが海沿いの地域に住んでいて、よく国道6号を通っていたんですが
その道が、ガレキの山と化していて、絶句してしまいました・・・。
車がひっくり返っていたり、流れてきた家があったり・・・。
救急車と消防車の隊列がとても不気味で今も忘れられません・・・。
写真を撮るにも、絶句してしまいシャッターが押せなかったのを覚えています。
震災後の写真を持っているので、今日はその画像を載せたいと思います。
わたしの住む福島県では、天気予報と一緒に震災後から、放射能の数値が流れるようになりました。
子どもたちが集まる公園や、駅、学校には、放射能の数値を測定する機械が設置されています。
原発が爆発した頃は、どこへ行ってもみんなマスク姿で歩いていたのをわたしは思い出します。
わたしの悩みをよく相談している高校の頃の恩師は、今は、北海道で避難生活しています。
避難区域に去年、行きましたが、家の前にはバリケードのように柵が張られていて、草がボーボーで異様な光景でした。
福島県のあちこちには、今も仮設住宅が建っています。
その中で、わたしは自分の家に住めて幸せだなと感じます。
あの日、揺れを体験してから、わたしはベッドに懐中電灯と水を置いて寝ています。
しばらくは、靴を置いてた時期もありました。
今は、電気の有り難みも感じます。電気の明かりがついたときホッとしたのを覚えています。
あの頃の事を忘れてほしくないので、311の今日は、このような記事を書きました。
ガレキの山

田んぼの中に流れてきた、船
