同盟国とは聞いてあきれる。日本はずっと攻撃(略奪)対象だった。その戦死(自殺)者が毎年3万人 阿修羅からです。
この国がどんな風に管理されているのか知って欲しいですね。それから、将来どうしたいのかも考えられる様になるかも知れません。
<転載開始>
同盟国とは聞いてあきれる。日本はずっと攻撃(略奪)対象だった。その戦死(自殺)者が毎年3万人
http://www.asyura2.com/09/senkyo71/msg/549.html
投稿者 グローバルスタンダードに騙されるな 日時 2009 年 9 月 19 日 12:41:30: BTG3FeGfCO1VM
関岡英之氏が「拒否できない国日本」のエピローグで次のように締めくくっている。
以下抜粋
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あとがき
いまの日本はどこかが異常である。自分たちの国をどうするか、自分の頭で自律的に考えよ うとする意欲を衰えさせる病がどこかで深く潜行している。私が偶然、アメリカ政府の日本政府に対する『年次改革要望書」なるものの存在を知ったとき、それが病巣のひとつだということはすぐにはわからなかった。
だがこの病は、定例的な外交交渉や、日常的なビジネス折衝という一見正常な容態をとりながら、わたしたちの祖国を徐々に衰滅に向かって蝕んでいるということに、私はほどなくして気づかされた。まるで癌細胞があちこちに転移しながら、自覚症状の無いまま秘かに進行していくように、わたしたちの病はすでに膏盲に入りつつある。
アメリカがこれまで日本にしてきたことは、一貫してアメリカ自身の国益の追求、すなわち アメリカの選挙民や圧力団体にとっての利益の拡大、ということに尽きる。そのこと自体に文句を言ってみてもはじまらない。自国の納税者の利益を最大化するために知恵を絞るのはその国の政府の当然の責務である。アメリカ政府は当たり前のことをしているに過ぎないのだ。
問題は、アメリカの要求に従ってきた結果どうなったのか、その利害得失を、自国の国益に照らしてきちんと検証するシステムが日本にないことだ。そしてそれ以上に問題なのは、もしわたしたち日本人にはアメリカの要求に従う以外に選択肢が無いならば、なぜそのような構造になっているのか、という点である。わたしたち国民全体が、その構造に向き合わざるを得ない時期がいままさに到来しているのではないか。
すべてアメリカ政府が公文書で発表していることただ、この本では日米安保体制や在日米軍基地などの安全保障問題には一切踏み込めなかった。なぜなら国防に関しては一般に公開されている資料があまりにも少ないからだ。今回私が使った資料はすべてインターネットの公式サイトで公開されている公式文書や、国公立図書館などで一般市民でも閲覧可能なものである。安全保障問題は特殊な情報源を誇る専門家にゆだねることとし、わたしはそれ以外の分野に専念することにした。
しかし非軍事分野に限定してもなお、懐然とするほど広い範囲にわたって、わたしたちの国に対するアメリカの内政干渉がいかに以前から、いかに根深く構造化されているか、語るべき言葉を失うほどである。安全保障政策を国家の最優先課題と位置づけているアメリカが、非軍事的分野でさえこれだけ大掛かりなことを行っている一方で、軍事部門でなんの手も打っていないなどとは考えにくい、とだけいっておこう。
アメリカを批判すると、「それは日本の自己責任をアメリカのせいに転嫁する陰謀史観だ-という人がすぐ現れる。だがその指摘にどんな積極的な意味があるのだろう。「それは陰謀史観だ」とレッテルを貼って思考を停止してしまう。そしてパンやサーカスに注意をそらし、現実に起きていることへの国民の関心を封印しようとする。
だが本書で私が指摘したことは、ほかでもないアメリカ政府自身が「年次改革要望書」や「外国貿易障壁報告書」などの公式文書で公表していることなのだ。これは陰謀でも何でもなく、アメリカ政府によっておおやけの対日政策として決定され、毎年定例的に議会へ文書で報
告されてきたことなのだ。必要なのは、疑問の声を封じることではなく、日本とアメリカの関係が、実際のところはどのようなものだったのか、日本人自らきちんと検証することではないだろうか。
「年次改革要望書」には実にさまざまなテーマが網羅されている。私の能力的な限界でそのごく一部しか採り上げることができなかった。しかし本書は、法や制度、つまり目にはみえないが、現代社会の根幹を支えている「無形のインフラ」のあり方を考えるうえで、ひとつの切り口を提示できたのではないかと秘かに自負している。
なかでもとりわけ「法」というものが、文化とわかちがたく結びついているばかりか、民族のアイデンティティにもかかわる固有の価値観や原理を反映していることに注意を喚起した。
「継受法」と「固有法」という視点でみると
もし「この国のかたち」を、「法」という観点からあらためて眺めてみたらどうなるだろう
か。その場合、「継受法と固有法」という法制史の考え方が参考になる。そのヒントを与えてくれたのは、山本七平の『日本的革命の哲学」(PHP研究所)という本である。
ちなみに継受法とは外国から継承接受した法体系であるのに対し、固有法とは自国独自の倫理や慣習に則って編み出されたものをいう。
これを日本の歴史にあてはめてみると、古代の飛鳥・奈良・平安約六百年間は、主として当時のグローバル・スタンダードであった中国の律令制度を導入した継受法の時代であった。
一方、明治維新から現在に至るまでの百数十年間は連続して「欧米継受法の時代」とみることができる。
そしてこのふたつの継受法の時代のはざまに、約七百年間に及ぶ「固有法の時代」があった。
西暦一二三二年に鎌倉幕府の執権北条泰時は貞永式目(関東御成敗式亘 を制定した。
その頃、京の公家社会は中国から継一費した律令体系で運営されていたが、貞永式目はそれをことさら参照することもなく、当時辺境だった東国の武家社会の慣習を成文化したものだ。
いわば日本固有の価値観に基づいて自律的に創られたものであった。そしてその後、鎌倉・室町から安土・桃山まで実に約四百年間この国の基本法となった。
江戸幕府は新たな国法として「武家諸法度」を制定したが、貞永式目はその後も徳川三百年を通じて寺子屋の教本として命脈を保ち、庶民の心の秘奥に深く沈潜した。
一方、貞永式目の制定とほぼ同じ頃、日本の仏教界では大陸から招来した旧仏教に飽きたらない想いを抱いていた法然、親憾、道元などが独自の思想を模索して、やがて日本固有の鎌倉新仏教を誕生させた。
当時の日本は決して世界から孤立していたわけではなかった。
北条一族には、元に圧迫された宋の禅僧を三顧の礼をもって迎え入れる見識と開明性があった。
しかしこの時代の日本人は当時のグローバル・スタンダードを鵜呑みにせず、法にせよ、思想にせよ、自らにふさわしいものはなんなのかと、おのれの頭で必死に悩み考え抜いて、ついには他国に例のない独自の境地を切り開いたのだ。この精神革命は日本人全体の創意にも大いなる刺激を与えた。
自己の内面世界をひたすら凝視し続け、精神的探求を深め続けていった結果、やがて日本的個性が充溢した、まどうかたなき固有の文化が開花した。
世阿弥の能、利休や織部の茶、待庵や桂離宮などの建築、夢窓疎石や小堀遠州の庭、光悦や光琳の書画工芸……|》
中世から近世にかけての武家文化の時代は、左翼的進歩史観からも右翼的皇室史観かうも否定的に評価されてきた。
しかしこんにち海外の人々がその独創性に驚情し、かけがえのない世界の至宝として賛嘆を惜しまない「日本的なるもの」がうみだされたのは、なべてこの固有法
の時代に集中している。
ひるがえって、近代以降に日本人が生み出したもので、世界遺産に匹敵しうるものを果たして幾つ数え挙げることができよう。
現代に生きるわたしたちは、明治以降今日まで百数十年も続く欧米継受法の時代によって、かの輝ける時代から切り離されているのだ。
かかる歴史の断層は、なにがゆえに生じたのだろうか。
固有法時代の日本的なるもの
欧米継受法の時代は近代化の方便として確かに一時期必要だった。
しかしいまや右肩上がりの成長は終わり、わたしたちに富をもたらした近代産業は、生産コストの安いアジアの国々に次々ととってかわられている。
経済神話が色槌せてもなお、わたしたちが国際社会で生き残り、なおかつ敬意を払われる存在であるには、日本人にしか生み出せないものとは何か、日本のオ
リジナリティとユニークネスとは何なのかがますます問われるだろう。
これからのわたしたちに必要なのは、真の個性と創造力だ。そのために「内にこもれ」ということではない。「日本的なるもの」を開花せしめる士壌となった日本固有の「法」を復興せよ、あるいは武家文化の原理に回帰せよ、などと短絡するつもりもない。
だがかってわたしたちを真の創造性に開眼せしめた源泉が、固有法の時代の日本人の精神、すなわち他者にとらわれず、徹底的に自己と向き合い、内発的な価値に導かれながら、おのれの頭で悩み考え続ける精神の営みだったという、わたしたち自身の歴史経験をもっと思い出そうではないか。
日本人自身の未来のために、日本人自身の頭で考え、日本人同士で意見をぶつけ合う。その千載一遇の機会が、ついにいまめぐってきているのだから。
本書の出版にあたっては、文春新書編集局の浅見雅男局長と田部知恵人編集委員に、言葉に
尽くせぬほどのお世話になった。機会を与えて下さった両氏に対し心からお礼申し上げたい。
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氏は、私達が意識しない間に、ガン細胞に蝕まれるように、国富を奪われ
衰退してきているのではないかとプロローグで述べている。
その文章を読んで私は、いままで全く自然に受け入れていたものがとんでもない「ガン細胞」であることに気づいた。
侵略者達は、まず「マスゴミ」を「ガン細胞」として日本に埋め込んだ。
侵略者達は、ガン細胞(売国者)達を増殖させるために、「マスゴミ(ガン細胞)」に指示して、侵略者の価値観を、戦後日本の理想の価値観だと賞賛させ、個人主義を賛美し、日本的譲り合いの精神や、共同体の和に重きを置き、事前の話し合いでできるだけ紛争は解決する価値観、お年寄りを敬い年長者を立てるといった価値観を、「戦争をもたらした悪しき価値観」だと徹底的に貶めた。また原爆での虐殺は棚に上げて、日本の戦争行為のみを犯罪として徹底的に非難し、日本人が自国の価値観を重視し保持することを徹底的に阻害した。
ガン細胞(売国者)の増殖の結果が、国家としては、国を守る気概の喪失、国益を考えた政治家、官僚の消失、売国経済人、評論家の跋扈、究極は、竹中・小泉元首相のように、日本の最高権力者が売国奴だったという悲劇を日本にもたらしたのではないか。
また地域社会では、親子殺人、家庭内暴力、校内暴力、弱いものいじめの蔓延で、地域社会の崩壊を来してしまった。
しかし、何故ガン細胞(売国者)が、体(国家)の中に、こうもはびこってしまったのであろうか?
通常、ガン細胞(売国者)が体(国家)の中にできても、免疫反応により、ガン細胞(売国者)は駆逐される。
しかし、何らかの原因で、免疫反応が弱まれば、ガン細胞(売国者)はどどめもなく増殖し、ついには体(国家)を死に至らしめることになる。
では、国家において、免疫反応とは何にあたるのであろうか。
関岡氏が述べているように、「グローバル・スタンダードを鵜呑みにせず、法にせよ、思想にせよ、自らにふさわしいものはなんなのかと、おのれの頭で必死に悩み考え抜いた日本固有の価値観」こそ国家における免疫反応であろう。
日本は、その免疫反応が極端に低下して、「マスゴミ」をはじめとしたガン細胞(売国者)がはびこりもはや瀕死の重傷である。
今回の選挙で、自公売国政権が続いておれば間違いなく死に至らしめられたであろう。
私達は、この国家存亡の危機を間一髪逃れるチャンスを与えられた。
今こそ、日本を、日本人を愛する、独自の価値観を取り戻し、侵略者から日本を守り真の平和を取り戻すべきではないでしょうか?
追補:
侵略者から国をまもる、「民間防衛」サイト
スイス政府が発行した民間防衛
http://nokan2000.nobody.jp/switz/
より抜粋
■メインコンテンツ
「民間防衛」からの引用とその解説です。時間がなければ「重要」の部分だけでも目をとおしてください。
・はじめに
・敵は同調者を求めている1 / 眼を開いて真実を見よう
・敵は同調者を求めている2 / 社会進歩党は国を裏切るだろうか
・外国の宣伝の力 / 不意を打たれぬようにしよう
・重要敵はわれわれの抵抗意志を挫こうとする / 警戒しよう
・敵は意外なやり方で攻めてくる / 自由と責任
・敵はわれわれを眠らそうとする / われわれは眠ってはいない
・スポーツも宣伝の道具 / 真のスポーツ精神を守ろう
・われわれは威嚇される / 小鳥を捕らえる罠
・経済的戦争 / 経済も武器である
・重要革命闘争の組織図
・中まとめ
・敵はわれわれの弱点をつく / スイスは、威嚇されるままにはならない
・混乱のメモ / 健全な労働者階級はだまされない
・重要危機に瀕しているスイスに、人を惑わす女神の甘い誘いの声が届く/ 心理戦に対する抵抗
・重要政府の権威を失墜させようとする策謀1 / 政府と国民は一致団結している
・重要政府の権威を失墜させようとする策謀2 / それにもかかわらず、国民と政府は一致団結している
・重要政府の権威を失墜させるための策謀 / 国民と政府は動揺しない
・内部分裂への道 / 自らを守る決意をもっていれば
・重要滅亡への道……… / 法と秩序が保たれれば
・スイスが分裂していたら / スイスが団結していたら
・首に縄をつけられるか / われわれは他国に追随しない
・終局 / スイスにはまだ自由がある
・おわりに
<転載終了>