「のらんほんじゃのり」
無期限休止した時に

理由を
母の介護
思ってくださった方が
ほとんどのようでした

それぞれそのおうちで
違うとおもうけれど…

結論…
ブログの無期限休止は
介護生活のため
ではなかったこと

それは
言っておきたいと思って…


実際
歩けない
手指が不自由
極端に背中が曲がってる
終始痛みがある
以外
認知症は全くない母を
自宅介護するのは

夜中に何度か起こされる
とか
莫大な量の飲み薬、目薬、軟膏の管理
とか
入浴させてもらうためデイサービスに週3回通う支度
とか
日常の移動
とか
食事とか

私1人で
やってはいたけれど
ケアマネジャーさん
訪問診療のお医者さん
介護補助具(車椅子、スロープ、ベッドなどのレンタル)の業者さん
デイサービスやショートステイの受け入れ先
など
我が家専用の介護の体制が整って
慣れて
ルーティンになってしまえば
それは
「私と母の日常」だった。

目標は現状維持…

手足ぶらんぶらんな母の移動方法
ベッドで体を起こす
とか
ベッドに座った状態から
椅子に移乗させる
とか
全てYouTubeで学んだ。
(私のお得意のYouTube!だけど
視聴チャンネルが激変した)

楽とは言えないけれど
私は黙々とやっていたわけだ。

一方で

私と母が
最大に大変だったのは

本格的な介護の始まり
2022年の夏
頸部・腰部脊柱管狭窄症の再発
救急搬送
1週間入院(手術不可)
退院はしたものの
一切まだ
介護体制が整わない時期だった。

ちょうど
介護度認定の端境期と重なってしまい
介護度の見直しが必要になり
再認定申請をして
要支援から要介護5
ケアマネジャーさんも変更になる

母は母で
自分でトイレに行くこともできなく
思うようにならない我が身…
私にかかる負担を思い
長生きし過ぎたと
嘆くばかり…

内線呼び出しで
母に呼ばれるたびに
2階リビングから1階の母の部屋へ降りて行く。
頭脳がはっきりしている母は
断固として
オムツを拒否していたため
介護は24時間体制になっていたから
私は
自分の誕生日を忘れたし
食事中にお箸を持ったまま
寝ていた事もあった。

でも
当時
私がなんとかやれていたのは
日常を忘れる好きな事があったから…

コロナ明け間近
韓国🇰🇷ビザの発給が6月1日から
韓国東京領事館で開始。
6月15日付けでビザがおりたが
'6月11日の
COUNTDOWN 3 seconds left'
には
間に合わず

7月16日の
COUNTDOWN 2 seconds left
に参加すべく
準備していた矢先
母が救急搬送され入院する事になったのが
7月12日だった。

「ソウルに行のは不可能」
そう思ったのだが

検査を進めで行く段階で
高齢のため手術はしない事
命に別状ない事
点滴と投薬で痛みを抑える事
コロナ体制のため
退院日まで面会不可能である事
を病院🏥側に言われ
私のソウル行きは
可能になったのです。

つづく