永録五年(1562年)十一月信長様からお城の普請のご下知が下された。やはり、本宮山になるそうじゃ。じゃが、ご家老衆からの反発も大変な事になっとるそうじゃ。前田様や山内様は、皆で、嘆願書を出そうなどと息巻いておられたが。だのに、兄者だけは呑気にほうか、ほうか とまるで気にもかけとらん様子じゃった。。