正月は父と妹と3人でのんびり過ごした。
妹が持ってきてくれた自家米のお餅がとても美味しく、
ダイエットを気にしていつもはあまり食べないようにしているのだが、
足りなくなるこくらい好評だった。
洗濯や料理の片付けをしてくれるので、こちらもゆっくりできた。
年末年始は平和に過ごせた。

妹とは年が近いので、子供の頃は良く喧嘩もしたが、
中学くらいになるとさすがにそれはなくなった。
4人の娘をりっぱに育ててようやく仕事に専念できる環境になっていた。
1月は生活のリズムも出来てきて、週末は父と過ごす生活も板についてきた。

新しい施設の方から父が起き上がるのが楽になるようにと既に使ってにない
ベッドをタダで譲って頂いた。今までは、敷布団から起き上がるのに
手助けが必要だったが、腰掛けた状態からなら多少楽に移動できる。
その他に布団や下着類もよければと無料で大量に譲ってくれた。
併せて転落防止の枠をレンタルすることになった。

新しい施設の方も空きがでればショートステイで泊まれる日があるので、
父のことはほとんど手がかからなくなってきた。
あとは、我々が知らないところで保険をかけていた母の保険の
手続きだけだった。

母がリハビリのために転院した地元の病院は土曜でも手続き可能
だったので年明けすぐに、入院証明書(7350円)を申し込んだ。
出来上がったら電話してくれるということだった。

骨折手術した中央病院は平日でないと事務処理は受け付けられないと
拒否された。日曜に帰るのをやめ月曜まで滞在を伸ばして手続きしようか
迷ったが、貴重な有給を消化するのはためらわれた。
5年くらいなら記録は残っているらしいので、後で余裕がある時に
手続きしようと思い先延ばしにした。

しかし、この判断が後々尾を引くことになるとはこの時は思いもしなかった。
父にまさかの事態が起こったのである。