心理、宗教、娯楽、何をどう学んでも、その教えを心に持ち続けても、自分の気質が自虐的であり続ける人間も居ます。
甘える対象の選り好みをする、母性を憎む、父性に支配と暴力性を求める。
心を楽にするのは、ある程度の情操教育過程に充足的な自我を育んでいなければ成立しません。
自分の中に親を取り入れて自分を導いて来ても、その親は姿形もないぼやついた影でしかなく、攻撃的な自己が心を占める間は手繰り寄せることすら出来ません。
幸か不幸かという感覚に支配されるのではなく、優劣もない各々の生きる在り方があるのだと、それは生活をしていく上でとても大切なことです。
自身が成熟してもいないことすら気付かず、家庭に自身の居場所と自身の幸せを求めて子を産んだ全ての父母を嫌悪します。
そういう人間の物の見方はとても恐ろしく、子供の生きていく考え方に破滅的な軸を植え付けます。
他人の在り方、職業、あらゆうものに優劣を付けてでしか子供に教えることが出来ません。
否、そんなのは教えではなく個人の歪んだ価値観を押し付け、可哀想な自分の味方を作りたいだけの気色の悪い女の顔色を伺うように子供を洗脳させる母親とも呼べない化物です。
私の母は私の心を安寧に導いてくれた血の繋がらない多くの人達です。
血の繋がりがあるから健やかな愛を与えられるなんて、現実こそ反吐が出る同調圧力にまみれた肥溜めです。
私は寂しさを何をしても抑えられない未成熟なブラコン、若しくはファザコン気質があるのかもしれません。嗜好がストレートだからこそ。
子供が自身の親だと知ったとき、私はあらゆる人間があらゆる相手に甘える行為を憎みました。
甘えられる親がいること、助けてくれる存在がいる人間が妬ましくて仕方なかった。
でも私はその気持ちを認めてしまうと、寂しさに狂わされてしまうので代替物的な思考になるよう自然と変わっていきました。
強くなれたと思っていましたが、心は常に憎い母性を上回る愛に溢れた父性を求めていました。
甘えたい、けど単に甘えるという行為が私には受け付けられません。
支配欲と暴力性のないたおやかな心の人間の慈しみある包容は吐瀉物以下です。
慈しみと同時に畏怖すら感じる支配的な父性さをもって私を恐怖に陥れてください。
私が殴って、そのあと単に殴り返して来るような単細胞に膣は収縮しません。
賢いお父様か賢いお兄様が欲しい。
それ以外は関わってくれば無視か、見下して言葉で踏みつける、心にも視界にも入れたくない。
物質を越えた精神の安住を求めることが、最も俗物に浸らせた生活を送る人間に顕れる病相なのかもしれません。
畏怖を持てる相手に支配されることで、寂しさから逃れたいのかも。
あなたが自分の魂を手玉に取ってなければ、虫の方が遥かに恐怖を感じます。
お父様お兄様の深淵を教えて。
高飛車な被害者気取りの惨めな人間がお父様お兄様に差し出せるのは、一定期間捜索届けが出ない交遊関係が無に等しい人間です。
同じような環境で育った知人達も、自身の葛藤と苦しみと生育環境で培った歪んだものを楽にしようと学んで精神の安住を求めました。
子を生んで葛藤から解き放たれたように見える人も居ましたが、心の安住を求め続ける脅迫的な生き方と、憎むべき在り方を消せない執着は骨身に染み込み取り出すことは出来ません。
私は人生を楽しめるような心の在り方なんて求めていません。
安心する畏怖を父性に織り交ぜて、額縁を完成させたいだけです。
お父様役の方には、私が認める限りの畏怖以外は何も求めない。
そのハードルが高いんですよね、下半身だけで生きる屍共の多いこの世では。
私は永遠の草原で生きたいだけです。
お父様の魂の元風景はどこ?
zikyazofa@instmail.uk