船越義珍や本部朝基は、腰を切ることを語っていないインフルエンザ強制休暇で閑をもて余したので、久しぶりに船越義珍の『琉球拳法唐手』と本部朝基の『私の唐手術』を読んでみました。改めて気づくのは、今日の空手界で当たり前のように行われている「腰を切る」動作について、二師が一切語っていないこと。むしろ、「突きの極まる時は力を丹田に入れる」との船越師の記述からは、腰を水平方向に動かす身体操作が一切取られていないことすら窺えます。本部朝基も、突きにおいて腰に関して強調しているのは「腰を据える」こと。腰を細やかに小刻みに動かすことではありません。仮に腰を切ることが空手の要諦であったならば、二師は、それについて何らかの記述をしていたはず。二師の書籍からは、二師の時代の空手が、腰を切る動作をしていなかった。そう考えるのが自然に思えます。