晴れました。
柱の左、霞の向こうに筑波山。
今朝は何故か、彼の地から太田三楽斎(資正)がこちらを見ているような気がしました。


妄想が湧きます。
射るようにこちらを見つめる三楽斎のその“気”は、天正18年4月のもの。秀吉の“北条征伐”に参陣するため、片野城(茨城県石岡市)を後にする時のものです。

秀吉の力を借り、遂に宿敵・北条氏を倒す時が来た。故郷・岩槻に帰還する日も近い・・・
 
旧・岩槻市史が史料番号790を付した高野山清浄院文書から浮かび上がる(と私には感じられる)三楽斎の高陽感が、筑波山からのその眼差しに感じられました。

しかし、その三十年来の宿願・悲願は、叶うことなく、翌天正19年に、太田三楽斎はこの世を去ります。

その歴史の結末を、筑波山からこちらを射る眼差しに伝えるべきか否か。

今朝の私は迷いを感じました。

・・・この後、今朝の駐車場稽古の稽古録を続けようと思いましたが、生涯最後の勝負に臨む三楽斎の想いを受けてしまったこの稿は、稽古録を書くには相応しくありません。

稿を改めることにします。