やがて、脳は直接ネットに繋がる。
モニター画面を通して、一度、目という器官を通して得た視覚情報を脳が“意味”として再整理する。今のネットとの接し方には無駄が多すぎる。
もう、脳を直接ネットに繋ごうよ、と必ずなるはず。(研究もかなり進んでいる)
その次に起こるのは、カーツワイルが以前から言っている“脳のアップロード”。自分の脳内回路のすべてをネットに“アップロード”し、生身の体を捨てて、ネットの中で生きる道だ。
人が、自分という存在のコアの部分を、最も少エネ少資源で、サステナブルな形で維持していくには、これしかない。
この世には、生身の体に残り最後には死を選ぶ者と、途中から“脳のアップロード”を行い、ネットで永遠に生きる者とに別れる。
生身の人間世界は、次の世代を生む生殖のためにもある時点までは必須だが、やがてその状況も変わる。
ネットで永遠に生きるアップロードされた者達は、ネットの中で仮想交配し、次世代の人格を生み出すことができるようになるからだ。
ネットにアップロードされた“脳”達は、初めの内はは自我を保つために、他の“脳”との直接リンクは避けるだろう。
しかし、やがて脳と脳を直接リンクさせることが進み、ネット内の脳達は、自我から解放され、スピリチュアル等で言うところの“ワンネス”に至るのかもしれない。
生身の世界は、圧倒的なマイノリティになっていく。そしていつしか消える。
しかし、ネットの世界で永遠に生きる、“ワンネス”と化した脳達の中には、かつての、“自我を持ち他者との関わりに悩みながら死すべき運命の人生を生きた”かつての生身の時代を懐かしむものも出てくる。
ネットの中の“ワンネス”の世界では得られない“精神の高み”を得るために、“ワンネス”の中からある自我が強引に切り出され、ネットと“ワンネス”の記憶を人工的に消し去ってから、「死すべき定めの自我人生ゲーム」を楽しむ状況も、出てくるのではないか。
ネットの中には、すべてを知る自我の無い集合知能の“ワンネス”世界と、そこから敢えて切り離されて運営させる「死すべき定めの自我人生」世界が存在することに。
ふと、思います。
いま、私達が生きている世界って、もう一度そこまで行ってしまってから作られた、「死すべき定めの自我人生ゲーム」の世界だったりして・・・