個人が作った城の縄張り図は、“私料”なのだから、公開する/しないは作成した者の自由。

西股総生氏のこの主張は、まことに、ごもっとも。

ただ、※※城を武田の城と考える自分の書いた縄張り図をもとに、その城を徳川の城と論じるのはマナー違反云々の下りは、ハッキリ言って、理解不能です。

ファクトを共有し合い、そのファクトに基づき、自由に意見・議論を交わし合うのが研究のというもの。
主義主張が異なる者には、自分が整理したファクトを使わせたくない、と読めてしまう西股氏のこの意見は、私には到底、研究者のものとは思えません。

「縄張り図ってのは、ファクトではないのだ!」」想いががっつり入った主観図なのだ!」ということなのかもしれませんが。

西股総生氏の本は、どれも魅力的でおもしろいけれど、独特のルサンチマンなテイストが漂っていて、閉口することも少なくありません。

『真田丸』の大ヒットで、“考証”を担当した西股氏ら研究者らは一気に知名度を上げましたが、黒田基樹、平山優、丸島和洋らの著作にはそうしたルサンチマンテイストは感じません。
また、ファクトと考察を切り分け、掘り起こしたファクトは隠すことなく世に提供する、という研究者の当たり前のマナーも保たれています。

これらと比べると、西股氏の縄張り図に関するスタンス(※※城を武田の城と考える自分が書いた縄張り図に基づいて、※※城を徳川の城と論じるような使い方は許せない)は、異質だなぁと思います。

フェアな議論ができる方なのか、そんな疑問すら、浮かんでしまいました。

私料なんだから公開しない、で終わる論理だったら、このなんとも言えない違和感は感じなかったのだろうなぁ・・・