読んでみました、『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』。

グローバル化が限界に達した今、これから生き残るのは「閉じた帝国」である、と論じる、水野和夫の最新作。

ところどころ、とても面白いのですが、全体を通し振り返ると、“断片的なデータを使った雰囲気論”が多すぎる、という印象です。

データに基づき、超巨視的なシステム論を仮説として提示する水野節はいいのですが、その仮説はその後検証されることなくドグマと化し、後は仮説に整合するファクトやファクトを見る切り口をがーっと集めて、神の視点から次々斬っていく、という展開。

その斬っていく段が、時々面白いのですが、検証しながら話を進めようという姿勢が皆無なので、読み進めるほどついて行けなくなっていきます。

水野和夫の著作に対する評価は、

・細かな検証はひとまず置いて、彼が示す仮説の独創性や魅力(現状の混迷する世界をある意味で分かりやすく説明する力があるので魅力はあります)を評価するか、

・仮説のドグマ化と、ドグマ化した仮説から、神の立場で乱暴に論を展開する非論理性、非科学的姿勢に辟易するか、
で変わってきます。

水野和夫に初めて出会った10年前の私は前者でしたが、今は後者です。

アベノミスクを、「しかし目標である物価はあがらない」「消費者心理は物価上昇を嫌っている」という理由だけから全否定していることには、愕然とせざるを得ません。

金融緩和が目指した本丸である雇用の改善、倒産率の劇的な減少に触れようともせず、方便としての物価だけを取り上げ、それを庶民感覚の物価忌避感から悪と論じる姿勢には、金融緩和の効用と限界を公平に議論しようとする気配が微塵もなく、結果ありきでありすぎます。

水野和夫が論じる長期的の展望において、足元の雇用を改善させる金融緩和が“下らない”ものであるのはわかります。

しかし、足元での効用すら語らないで、ないものとして金融緩和を全否定するのは、いかがなものか。

大胆で魅力的な仮説提示で十分世間から称賛され、権威となり、神となった水野和夫は、傲慢になりすぎたと感じる、元ファンです。