先日、「セイサン(十三、セイシャン、半月)研究への期待」と題して紹介した、無想会 新垣師範のセイサン解明。

セイサンの「技」の解明に関するブログ投稿(読む人が読めばわかるレベルで書かれています)が続いた後、今度は「セイサンは鍛練形である」という命題の検証が、主テーマとなっています。

門下ながら、
「うわぁ、こんなこと書いちゃって大丈夫なんですか!」
と不安になってしまう(反発を招くのでは?という観点で)ほど、踏み込んだ内容です。

新垣師範と言えば、かつて1990年代に、「空手に逆突きは無い」と発表して世間(空手界)を驚かせたことで有名です。

あの「逆突き無し」理論は、伝統派の組手技術やその方法論として、21世紀の2017年の今、当たり前のものになった感があります。

すでに常識となった“2軸”身体操作の組手技術や“高速上段突き”は、「逆突き無し」の空手本来の身体操作が、組手ルール内という制約条件の下で、部分的ながら、しかし実証的に再現されたもの、と私は理解しています。

(どちらが先か云々を論じるつもりは、ありません。不毛ですし、私に論じる力量はありません。重要なのは「そんなバカな?!」と当初受け止められた「空手に逆突き無し」が、いまや組手競技の世界では当たり前になっている点です。また、両者が完全に同じものだと論じるものでもありません。両者が一致するのは「足を止めて中心軸回転で腰を回して突く逆突きでは、全く使えない」という点です)


さて、今回、新垣師範が空手界に突きつけたのは、「鍛練形は存在しない」という命題です。

「空手に逆突き無し」に比べ、地味な指摘かもしれませんが、ある意味では、それ以上にショッキングな内容だと私は思います。

反発する方は、少なく無いと思います。
いや、はぁ?ふざけるな!と感じる方が多いと思います。

しかし、まずは読んでから。

セイサン(十三)は鍛練形?
鍛練形は存在しない
サンチン(三戦)は鍛練形?


個人的には、形稽古には“鍛練”の効能があると思っています。

殺傷力の高い使える技法。
それを真に効果的に放つための理想的な身体操作。
これらを己に強いることは鍛練になるはずです。

新垣師範の「鍛練形は無い」も、(私の理解の範囲ですが)上記のような形の鍛練効果を否定するものでは無いと読めます。

新垣師範が批判しているのは、「そのままでは使えないが、鍛練にはなる」という位置付けの“鍛練専業の形”。

そんなものは無い。
鍛練形として名高いサンチン(三戦)も、本来は殺傷力全開の相手をボコボコにする形だった。

皆さんは、どう受け止めますか?

新垣師範の言う、サンチンに様式として残る「相手の首を折る」技。どれだと思いますか?

(多分、アレですよね。受けで終わる形は無いはず)