ネットがどれだけ大容量化され、動画のやり取りが簡単になっても、コミュニケーション手段としての文字、テキストの重要性は、下がる気配がないと感じます。

この文字・テキストの偉大さは、時間軸上の自由度にあるのだと、私は感じています。

動画は、誰が見ても同じ時間をそこに費やすことになります。

対して、文字・テキストは、読むスピードも、読む際の深さも味わい方も、読み手が完全にコントロールすることができます。

情報消費に費やす時間を自由にコントロールできる点で、文字・テキストは、動画等のメディアを大きく引き離しているのです。

もちろん、動画も、早送りや飛ばし見は可能ですが、これらは文字・テキストの早読みや斜め読みに比べて、コンテンツに対する入り込みの度合いが、極端に落ちます。

時間という全員に等しく有限な資源の活用方法で、競争を生きねばならない現代の人類にとって、未だに文字こそがコミュニケーション手段のキング・オブ・キングス。

数千年前のシュメール人の発明の偉大さが、高度に情報化した現代においても変わらないことに驚きます。