人類による地球文明の歴史は、「月」の存在や地球との距離関係によって、大きな影響を受けたと、私は考えています。

「月」の存在が、私たちの地球にとってのそれと異なっていたら、地球文明史は、全く異なるものとなっていただろう、と思うのです。


<もしも月が・・・その1>

地球とほぼ同じ条件で、知的生命が誕生した惑星が誕生したとします。

その惑星に、もしも月が無かったら、暦が生まれるまでの歴史は、地球と大きく変わっていたことでしょう。

地球上のあらゆる文化圏で、太陰暦(月の満ち欠けベースの暦)が太陽暦(太陽と地球の公転関係ベースの暦)に先駆けて存在したのは、月の満ち欠けが、人類にとって太陽との位置関係に比べはるかに捉えやすく、文明の未熟な段階でもそれを暦化することができたため。

月の満ち欠け周期と、地球と太陽の公転関係との間には、ほぼ何の関係はありません。しかし、たまたま、地球と太陽の公転周期が、視覚的に捉えやすい月の満ち欠け周期のほぼ12倍だったことで、人類は未熟な文明の段階においても暦を生むことができました。

月の無い惑星に生まれた知的生命体は、暦を作るのに苦労するはず。それは、農耕文明の誕生や成熟をおくらせ、文明そのものの進歩のスピードも、大きく左右したはずです。


<もしも月が・・・その2>

もしも、地球よりも月との距離が近い惑星に知的生命が誕生したなら、その惑星の文明は、地球文明より数段早いタイミングで、「地球球体説」や「地動説」にたどり着くことができたことでしょう。

地球と月の距離は絶妙です。
地球からは、月の満ち欠けは容易く把握できる(故に暦を作りやすい)ものの、月の地表の凹凸を肉眼で捉えるには、距離が遠すぎます。

月が、表面に凹凸地形のある球体であることを認識するのに、地球人類は長い時を必要としました。

もしも、月との距離がもっと近ければ、人類は肉眼で表面の凹凸地形をもっと早い段階で認識することができたはす。
そして、月が球体の天体であることを理解し、自分達が乗るこの地表も、もしや球体なのでは?と気づいたはずです。地球文明よりも数段早い時点で。

そして、地球と月との間に、天体としての本質的な差異が無いと実感することで、地球を特別視するところから生まれた「天動説」を、地球文明よりはるかに早い段階で捨てることもできたはずです。



人類が誕生した地球には、月がありました。
そして、満ち欠けは容易に捉えられるものの、表面の凹凸地形を肉眼で認識するには、その距離は遠すぎました。

月が無かったら。
あるいは、もっと距離が近かったら。

人類による地球文明の歴史は、いま私たちが知るものと、ずいぶん異なるものになったはずだと、私は思います。