ふと思い浮かんだ妄想です。
(今回の妄想は、世間さまに全く共感してもらえないであろう、需要の無い“激”妄想です)

空手のピンアン型、初段~五段には、それぞれ特徴があります。

その特徴は、新約聖書の4つの福音書(イエスの行いと言葉を記録した文書)の特徴に重なっているように思えるぞ、とふと思ったのです。

※ 私はクリスチャンではありません。新約聖書を読むのが好きな(と言っても福音書だけですが)ただの神道者です。

もう、突き抜けた妄想なので、笑ってください。


(1)
ピンアン初段は、マタイの福音書。

ピンアン初段は、ピンアンシリーズの一番最初に登場し、同シリーズに共通する基本構成(左→右→左(前方)三歩→右→左→左(後方)三歩→右→左)をほぼ完全な形で伝える型。

そして、やや異形の型であるピンアン二段に対し、その技法を包含し、更に高度化しているようにも見える型。
即ち、ピンアン初段を修得すれば、その簡易版に見えるピンアン二段は不要と見ることも可能な関係性。

また、多様な技法を詰め込んだピンアン初段は、ややゴツゴツした雰囲気があります。

福音書シリーズの入り口となるマタイの福音書も、イエスの言葉と生涯をしっかり伝え、他の福音書に進む前に、骨組みなるイエス理解を提供するバランスの取れた文書です。

そして、後に続くやや短いマルコの福音書(実は最古の福音書で、マタイより遥かに前衛的で尖った内容)に対して、その内容を全て包含し、神学的により整備しているようにも見える書。
マタイを読めば、マルコは不要とも思える関係です。

マタイのもうひとつの特徴は、旧約聖書のユダヤ教世界とイエスの言動を繋げて捉えようとしている点。旧約聖書への言及が多く、内容てんこ盛りで、やや学術的、教条的な印象を読み手に与えます。


(2)
ピンアン二段は異色。
ピンアン初段から複雑な技法を除いたプロトタイプの形のように見えて、実は初段はじめ他のピンアンとは異なる要素(初手の左→右が技として繋がる)を持つ不思議な形です。
決して、簡易版ピンアン初段ではありません。

福音書で言うなら、マルコの福音書。
マタイの福音書と共通要素が多く、しかも記述分量が少ないため、マタイの福音書の小型版ととられることの多い福音書ですが、実はラジカルでエッジのかかった記述の多い文書です。

マタイの福音書が、ユダヤ教の教えとイエスの教えを整合させようと努力し、伝統に対して一定の敬意を払っているのに対して、マルコの福音書に出てくるイエスは、伝統を切り捨てる革命家です。

福音書研究者の中には、マルコの過激な技術の印象を埋めるため、穏和なトーンのマタイの福音書(構成的には拡張版マルコに見える)を先頭に持ってきたのだとする説もあるほど。


(3)
ピンアン四段は、ピンアン初段と共通フレームを採用する型。
ピンアン型の原型(の一つ)と言われる「クーサンクー」(クーシャンクー、観空)に一番近く、ピンアンから古典形に進む際の起点となります。
ゴツゴツしたピンアン初段と異なり、速くて華麗な技法が続く型でもあります。

新約聖書で言うなら、ルカの福音書。
ルカの福音書は、マタイと共通の枠組みを採用した上で、美しい逸話(処女受胎はルカにのみ伝わります)をちりばめ、エレガントで華やかな内容の文書。

しかも、イエス死後の使徒たちの物語でもある使徒行伝と直接繋がっている点で、他の福音書とは一線を画しています。


(4)
ピンアン三段と五段は、異質です。
基本構成が、ピンアン初段を踏まえながらも展開が異なり、異質の印象を与えます。

「打って投げて打つ」型であるピンアン初段、二段、四段と異なり、三段と五段は「捕まれて外して打つ」型。技法が異なります。

新約聖書で言えば、ヨハネの福音書。
マタイ、マルコ、ルカが、共観福音書と呼ばれ、共通の物語構成を取り、同じ内容のイエスの言葉を記している文書であるのに対し、ヨハネは違います。

構成が違います。
共観福音書ではイエスのエルサレム入りは、十字架の受難物語の始まりとして登場そますが、ヨハネの福音書では受難とは関係の無い初期段階でのエルサレム入りが描かれます。
また、ヨハネにしか現れないイエスの言葉が多く存在します。

ヨハネは、その依って立つイエス伝承が、共観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)と、全くの別系統であったと類推されています。

「初めにロゴスありき」
で始まるその物語思想は、人間イエスの誕生を重視する共観福音書とは、質において大きく異なります。



基本構成を示し、内容豊富(やや詰め込み過ぎ)な優等生のピンアン初段、マタイの福音書。

そんな優等生の陰に隠れた存在ながら、実はラジカルな内容を含む、ピンアン二段、マルコの福音書。

優等生の基本構成に乗りながらも、より優雅に洗練され、更に先の展開(空手なら古典型、福音書ならイエス死後の使徒行伝)とも結び付いた、ピンアン四段、ルカの福音書。

とにかく異質で、思想・系統が異なる、ピンアン三段・五段、ヨハネの福音書。

無理やり感が溢れていますが、私は、似た関係性を見てしまいます。

まぁ、シリーズものを作ると、
・お堅い優等生キャラ
・優等生の劣化版に見えて実は秘めた奴キャラ
・優秀だが、それ以上に優雅さを求める美形キャラ
・とにかく異質なキャラ
が出てくるのは、当たり前と言えば、当たり前ではありますよね。



以上、全く需要の無い妄想を、吐き出させていただきました。