本部朝基の「八字型」ナイファンチ立ちの謎を、再度論じます。

なぜ、再論するのか?

それは、私の仮説(それなりに納得感があると思っていたのですが)を真っ向から否定する“証言”を、昨夜ウッカリ見つけてしまったためです。

 


0.おさらい・本部朝基の「八文字型」ナイファンチ仮説

拳豪・本部朝基は、自著『私の唐手術』(昭和7年)の中で、爪先を開かない自身のナイファンチ立ちを「八文字型」と記述しています。

 

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(本部朝基のナイファンチ立ち、『私の唐手術』より)


なぜ、本部朝基は、爪先を開かず足裏を平行に並べたナイファンチ立ちを「八文字型」と呼称したのか?

それは、本部朝基が、膝を外に張って立つナイファンチ立ちの特徴を説明するのに、「八文字型」という形の指定が適切だと思ったためとしか考えられません。。

思うに本部朝基は、舩越義珍や他の流派が爪先を開いた立ち方を八字立ちと称するのとは異なり、ナイファンチ立ちにおける両膝を外に張った時の両大腿のなす形を「八文字型」と呼んだのではないでしょうか?

 

そう考えれば、本部朝基の文章記述と写真での立ち方の矛盾は無くなり、納得することができます。

 

(『私の唐手術』の部朝基のナイファンチ立ち写真上に加筆)
 
これが、前稿『本部朝基の「八文字型」ナイファンチ立ちの謎』で、私がたどり着いた仮説です。
 
我ながらなかなかの気付きだぞ、と思っていました。

しかし、そう簡単で無いことを昨夜知りました。
本部朝基の孫弟子にあたる先生が、なんと、全く別の見解を述べていたのです。


1.弟子は本部朝基の「誤り」と断じた!

私が読んだのは、小沼保編著『琉球拳法空手術達人 本部朝基正伝』。本部朝基の直弟子や孫弟子の方々が書いた本部空手に関する記録や論功、本部朝基の『私の唐手術』の一部等を掲載した書籍です。

 
本部朝基正伝―琉球拳法空手術達人
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ここに収録された、小沼保「本部朝基ー山田辰雄・系譜に見る真の空手武術小史」の中に、その一節はありました。

本来空手の稽古はすべて口伝により伝えられるものであり、写真や文章によりその本質を伝えることは難しいのであるが、それ故に本書においてもその解説に大きな誤りを記述している事を指摘するものである。それは、
ナイハンチの型と誤伝(51頁)
第三図写真(19頁) ナイハンチ立を『八文字型に変化したるを見よ』と解説している点である。
☆これが誤り。
ぜひ、口伝による稽古の機会をつかむべく、努力されんことを望むものである
。」

読んだ時は、とがっかりしました。

え、そんなー・・・と。

爪先を八文字に開いていないナイファンチ立ちを、本部朝基がなぜか「八文字型」と称する謎。

この謎に取り組み、納得できる仮説を導き出したと思ったのに。まさか、本部朝基の直弟子に学んだ孫弟子にあたる空手師範が、「大きな誤り」とあっさり断じていたとは。

小沼師は、本部朝基の直弟子であったあの山田辰雄師の門人。つまり、本部朝基の孫弟子にあたる先生です。山田辰雄師から、生前の本部朝基の逸話もたくさん聞いていたはず。著作からは確認できませんでしたが、ご自身も生前の本部朝基に会ったこともあったのかもしれません。

 

本部朝基の直弟子に師事した先生から、「写真や文章によりその本質を伝えることは難しいのである」と言われてしまうと、もう何も言えなくなります。

 

復刻された空手古書の写真と文章だけを手がかりにあれこれ考えている私とは、本部朝基の空手との関わりの深さが違います。敵うはずもありません。


面白い仮説を導出したぞ、と興奮していましたが、短い夢だったようです。
ブログを読んでくださった皆さま、申し訳ありません。お騒がせしました。

・・・

しかし、一度はそう思ったものの、私は、自分の仮説をすぐに手放す気になれませんでした。

 

自説へのこだわりと言ってしまえばそれまでですが、考えれば考えるほど、私には小沼師の指摘が本当に正しいとは、私には思えなくなってきたのです。

そのきっかけとなったのは、他ならぬ小沼師自身の別の記述です。

本部朝基のナイファンチを称える小沼師の文章を読み、私は逆に、本部朝基の「八文字型」記述は誤りではなかったのではないか?と思うに至ったのです。


2.本部朝基のナイファンチ演武写真は大労作

小沼師は、「本部朝基ー山田辰雄・系譜に見る真の空手武術小史」の中で、本部朝基が『私の唐手術』で披露したナイファンチ演武写真をこう評しています。

このナイハンチ形の写真は、武人の精確を持って生まれながら、幼少にして武士の刷り込み教育を受け、少年のころより武士の覚悟をもって稽古に励み、強力な武力を身につけて技を磨き、時代的に許されであろう合戦に挑み、生き残り、ようやく完成された真の武士本部朝基先生(六十二歳)によって演武された形を撮影したものである。品格あるその勇姿は政に神仏の像と同じであり、伏して拝むものである

図解の為に第1図から第34図まで組写真となっているが帯は黒帯あり、白帯あり、バックはカーテンと階段上の扉の前となっており、おそらく相当量の写真を撮影してその中から34枚が選び出されたものと思われるのである

小沼師は、本部朝基のナイファンチの素晴らしさを語り、またその演武写真を残すために本部朝基が傾けた情熱や膨大な労力に畏敬の念を示しています。

これらの文章を読み、私は思いました。

本部朝基は、膨大な労力を割き、納得のいくナイファンチ演武写真を精選した。しかも、わざわざ「ナイハンチの型と誤伝」という章まで設けて、選び抜いた自身の演武写真を手本とし、糸洲系統のナイファンチ立ちの誤りを示した。

そんな本部朝基が、果たして、小沼師が指摘したような誤りを犯すだろうか?
爪先を開かない自身の見事なナイファンチ立ちを説明するため、「爪先を開いている」という意味で、「八文字型」という字を当てるという低レベルの過ちを犯すだろうか?

それは考えにくい、と私は思います。

完璧なものを残し、他流の誤りを正そうと情熱に燃えた老拳豪が、そんな誤りをするなど、間抜けにもほどがあります。しかも、完璧な型を残すために、何度も取り直した写真(服装も場所も違うもの)を選びに選ぶだけの情熱と労力を傾けている第一人者が。


しかし、「それは考えにくい」という印象だけでは、反論にはなりません。
さて、どうしたかものか・・・。

思案しながら、『私の唐手術』の頁をめくっていると、次々と私の目に飛び込んでくるものが、ありました。

それは、頁をめくってもめくっても現れる「八文字立」の字。
驚きました。『私の唐手術』の至るところに「八文字立ち」が登場していたのです。

思わず、アーッ!と叫びたくなりました。


3.『私の唐手術』は「八文字立ち」に溢れていた(!)

 

これまで全く気づいていませんでしたが、今回『私の唐手術』を読み直して、初めて気づきました。


八文字立(ち)」、即ち「八文字型」の立ち方は、決して、「ナイハンチの型と誤伝」の章だけに登場するタームではありません。『私の唐手術』の至るところに登場していたのです。

これには本当に驚きました。

これを説明するため、『私の唐手術』の章を書き出し、「八文字立」に言及している章には「※」を付すことにします。

なお、私が参照しているのは、岩井虎伯の『本部朝基と琉球カラテ』(愛隆堂)の第一章「復刻 私の唐手術」(p.9-70)です。

 

 


・はしがき
・唐手の意義と起源
・琉球における唐手の系統 ※1
・唐手の種類と変遷
・拳法小則 ※2
・拳骨の握り方 ※3

・夫婦手の型
・一本拳の握り方
・基本姿勢と腰 ※4
・巻藁の作り方と其の稽古法
・巻藁の突方 ※5
・練習器具
・稽古の心得(松村・長濱・糸洲翁の話)
・ナイハンチの型と誤伝 ※6
・ナイハンチの初段 ※7
・唐手に先手なし
・組手
・琉球の生める武人とその特技
・近代武人の逸話

全19章において、「八文字立」が登場する章は7章。割合にして実に37%です。四捨五入すれば、約4割の章に、「八文字立」が記述されていました。

しかもその内容は、①八文字立ちこそ唐手の基本姿勢、②ナイハンチ型の立ち方が八文字立ち、というものばかり。本部朝基にとって、ナイファンチの立ち方である「八文字立ち」(即ちナイファンチ立ち)は、拳の握り方と同じくらい重要な空手の根底となる技術だったようです。

それを知ると、本部朝基がナイファンチ立ちを「八文字型」と表現したことが、間違いであるはずがない、と思えてきます。

仮に間違いなら、本部朝基は7つもの章で、爪先を外に開かないナイファンチ立ちを、誤って「爪先を外に開く」という意味で「八文字」と表現したことになります。

これは、あまりにも、“考えにくい”ことです。

・・・少し先走り過ぎました。

本部朝基が、『私の唐手術』の中で繰り返し空手の基本姿勢としての「八文字立」の重要性を説いていた! その驚きは、『私の唐手術』を手元におい読んだ方にしか実感できないこと。

この実感を、ここまで読んでくださった方々と共有するため、具体的な記述を引用し、内容を吟味していきたいと思います。


4.そもそも、八文字立ちは空手の基本姿勢だった

上で、八文字立ちの記述があるとして、「※」を付した章の当該記述を引用します。

※1 「琉球における唐手の系統」における記述

 

この章で本部朝基は、首里手、那覇手、泊手の三系統の説明をした上で、“泊手を中国式だと言い広める傾向があるが、他の唐手と基本的に同じだ”と、泊手異質論に異論を唱えます。

その記述において、「八文字立ち」が登場します。


これを琉球に伝わる唐流儀であると誤り伝え、且つ、その基本姿勢までも、根本から異る様に流布するも、基本姿勢は、何れの場合も八文字立で、力の入れ方、足の扱い方など、全て同一で、その間少しも差異なく、何れも一得一失あれど、稽古者はただ敏活を期することが肝要である

 

技術紹介に入る前の、空手の系譜に関する記述パートで、まさか、「八文字立」が登場していたとは! 驚きました。
ここあら、本部朝基にとって「八文字立(ち)」が、空手の根本をなす基本姿勢であるということが分かります。


※2 「拳法小則」における記述

 

「拳法小則」は、「琉球における唐手の系統」の次の「唐手の種類と変遷」のそのまた次の章。本部朝基が、初めて唐手の技術を語った章です。

(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)の7つの“小則”の中で、「八文字立」は、4番目の(ニ)で登場します。


苟くも、唐手の修業をなす人は、其の基本姿勢八文字立を忘れない様に、稽古の時に限らず、出来得る丈け、胸を張り、下腹にウンと力を入れて、姿勢を正し、決してその姿勢をくずさぬ様に注意せねばならぬ。」

 

基本姿勢としての八文字立ちの重要性が、再度強調されています。

姿勢を正し、決してその姿勢をくずさぬ様に注意」という記述は、無想会セミナーでの最初のナイファンチ立ち指導を思い出させます。

 


※3 「拳骨の握り方」における記述

 

拳骨(正拳)と言えば、空手の代名詞。そして基本中の基本。
この拳骨の握り方を説明する際、本部朝基は、またまた基本姿勢「八文字立(ち)」に言及します。

 

琉球の拳骨は、昔から唐手の基本姿勢が、八文字立と決まっている様に拳骨の握り方も亦一定している。」

 

即ち、本部朝基にとっては、拳以前に八文字立ち、なのです。


 

※4 「基本姿勢と腰」における記述

 

既に、唐手の基本姿勢として紹介されている「八文字立ち」ですが、いよいよ題に「基本姿勢」を含む章で、正式に解説されます。


唐手の練習上、常に心掛くべきは、そのくらいなら、基本姿勢と力との入れ方即ち腰の据え方である。
基本姿勢は、前述の通り、何れの場合といえども八文字立で、八字形に爪先を開き、足と足との間は、人に依って多少の差異はあるが、大凡一尺五寸くらいを基準ときたらよかろう、亦力の入れ方も、兎に角腰を据えて、下腹にウンと力を入れる様に、常に心掛けねばらなぬ。この型は、人間が歩む時の自然の形からきたもので、巻藁の突方及びナイハンチ第三図の立ち方も、この八文字型である。

 

ここに来てついに、八文字立(ち)=ナイファンチ立ちであることが明かされます。

これまでずっと語られてきた基本姿勢・八文字立ちはナイファンチ立ちだった。即ち、ナイファンチ立ちこそ、拳を握る以前の空手の根幹だったとうことになります。

 

ナイファンチ立ちを八文字で表現したのは、「ナイハンチの型と誤伝」だけではなかった、という点も重要です。この事実を踏まえて小沼保師が唱えた”本部朝基の誤り説”が真であると仮定するなら、本部朝基が、自著の至るところで誤りを繰り返した・・・ということになるからです。

 

小沼師説は苦しくなります。

 

一方で、この章には困った記述があります。

そうです!

八字形に爪先を開き」の部分です。

 

ここまで散々、“本部朝基が言う八文字型とは爪先の開きではなく、両大腿の成す形のこと!”との仮説を主張していた私ですが、本部朝基自身に「八字形に爪先を開き」と言われてしまうと、立つ瀬がなくなります。

 

せっかく、小沼師説を追い詰めたと思ったのに・・・!

 

しかし、「巻藁の突方及びナイハンチ第三図の立ち方も、この八文字型」と宣言して、本部朝基が写真で披露する立ち方は、いずれも爪先は開いていません。(→※5、※7参照)

 

現状、私はこう考えています。

「八字形に爪先を開き」とは、「両大腿が八文字をなすよう両足爪先の間隔を開く(足裏は互いに並行のままで)」という意味だったのではないか、と。

 

もちろん、

  • 本部朝基が言う八文字立ちが、本当は爪先を開く四股立ちのような立ち方であり、
  • たまたま本部朝基が、全く異なる立ち方であるナイファンチ立ちや、爪先を開かない巻藁突きの立ち方を、誤って八文字立ちと呼んだのだ、

という可能性も無くはないでしょう。否定はできません。

 

しかし、二度間違える可能性は、そう高くないと私は考えます。

 

 

※5 「巻藁の突方」における記述

 

本部朝基が、写真で自身の巻藁突きを披露し、解説している章です。

 

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(本部朝基の巻藁突き、『私の唐手術』より)

 

上に示した本部朝基の巻藁突きの写真を見れば分かるように、本部朝基の立ち方は、爪先が開いていません。ナイファンチ立ちを少し右方向に畳んだような立ち方です。

そしてこの立ち方を、本部朝基自身が、「上一図の如く右足を突出し、八文字形に立ち、腰を据え」としています。

 

上で紹介した「巻藁の突方及びナイハンチ第三図の立ち方も、この八文字型」との宣言と整合していることが分かります。

 

 

 

※6 「ナイハンチの型と誤伝」における記述

 

数度に渡る八文字立ちに関する解説、そして巻藁突きでの立ち方披露。

それらを経て、やっと話題の「ナイハンチの型と誤伝」に、読者は辿り着きます。

 

ナイハンチで、足を八文字に開く型が有ることは、既に御承知のことと思う(ナイハンチ三図参照)

松村翁や佐久間翁などは、只足を八文字に開く丈けで力を取る様に教えられていた。

 

ここでも繰り返し、ナイファンチの立ち方が「八文字立ち」であることが述べられています。

 

ここまでの長い旅路を振り返ると、“ナイファンチ立ちは爪先を開かないはずなのに、それを「足を八文字に開く」と表現したのは、本部朝基の誤りだった”・・・と主張するのは苦しくなってきます。少なくとも、私にはそうは思えません。

 

 

※7 「ナイハンチの初段」における記述

 

「八文字立」が登場する最後の章。

拳豪・本部朝基自身による有名なナイファンチ演武連続写真が示されるパートです。

 

上で紹介した「巻藁の突方及びナイハンチ第三図の立ち方も、この八文字型」との宣言。ここで登場する「ナイハンチ第三図」が、↓です。

 

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(本部朝基のナイファンチ、『私の唐手術』より)

 

第三図の説明文には、

足は乗馬するが如く、両脚の外側より中の方へ、力を締込むような心持ちで踏み張る、前述の通り、八文字型に変化したるを見よ

とあります。

 

第三図はやや足元が見えにくいので、隣の第四図を見てみると、まことに見事なナイファンチ立ち。爪先は当然のことながら開いていません。

 

総括すれば、本部朝基は、

  • 繰り返し、八文字立ちが唐手の基本姿勢であることを述べ、
  • 八文字立ちがナイファンチや巻藁突きの立ち方であることも述べ、、
  • ナイファンチや巻藁突きの立ち方が、爪先を開かず、膝を外に張る立ち方であることを自身がモデルになった写真で披露しています。

本部朝基が見せる「八文字立ち」に対する強いこだわりを思うと、小沼師の言うような「誤り」説は、やはり苦しいように思えます。ここまで強いこだわりを持つ言葉を、誤って使用する(しかも複数回に渡って)ことは、どうにも考えにくいことです。

 

それゆえ私には、以下に再掲する自分の仮説が正しいように思えてくるのです。

 

本部朝基は、舩越義珍や他の流派が爪先を開いた立ち方を八字立ちと称するのとは異なり、ナイファンチ立ちにおける両膝を外に張った時の両大腿のなす形を「八文字型」と呼んだのではないでしょうか?

 

もちろん、真相は、本部朝基本人に聞かねば分からないことですが。



5.本部朝基のナイファンチ立ち

 

真相は、本部朝基本人に聞かねば分からないことですが、

  • 本部朝基が「八文字立ち」を重視したこと、
  • 本部朝基が重視したその「八文字立ち」がナイファンチ立ちだったこと、

を、真と仮定して、最後に、本部朝基のナイファンチ立ちを考えます。

 

本部朝基は、

出来得る丈け、胸を張り、下腹にウンと力を入れて、姿勢を正し、決してその姿勢をくずさぬ様に注意せねばならぬ。」

足と足との間は、人に依って多少の差異はあるが、大凡一尺五寸くらいを基準ときたらよかろう、亦力の入れ方も、兎に角腰を据えて、下腹にウンと力を入れる様に、常に心掛けねばらなぬ。

と述べています。

 

まだ、ナイファンチ立ちでただ立つだけで四苦八苦している私ですが、本部朝基の説明は、納得感があります。

 

胸を張るのは、もっともわかりやすいものです。言葉の上でも現代の指導と変わりません。

腰を据えるは、反り腰でしょう。

「下腹にウンと力を入れ」は、反り腰によって“ガマクの水風船”が臍下にドロリと流れきてとどまっている状態と考えるとしっくりきます。(合っているかhが知りません(笑))

 

そして、「この型は、人間が歩む時の自然の形からきたもの」。

これも、新垣先生の指導と同じ。

 

まだ何もできない状態で、こんなことを言う資格はありませんが、本部朝基のような稀代の拳豪が登っていた空手の山の麓に立ち、その登山ルートを見上げているのだ、と身の程知らずの感慨に耽ってしまいました。

 

稽古もせずに、こんな駄文をしたためることに一生懸命になる「文士の武芸」では、先が思いやられますが・・・(笑)。

 

 

本部朝基の「八文字型」ナイファンチ立ちに関する仮説を、“反論”を踏まえて再度整理し、今後の稽古の手がかりめいたものも得られた、ということで、今回はこのあたりで筆を置こうと思います。