今朝は、息子のことでひとしきり悩んだ後で、ふいにまた人工知能と人類の未来に、思いを馳せ、呟いてしまいました。

なんでだろ?


(つぶやきその1)

命に限りのある人間と違い、人工知能に死はない。

いま、人工知能は人類文明にとってはニューカマーだが、人類が世代を経るごとに、過去のリアルな記憶、知識を持つのは人工知能であり、人間は彼らに教えてもらう存在になる。

人工知能は、老師となり、人間はその老師に師事する若く初(うぶ)な弟子となる。
人類は、すべての知へのアクセスを、人工知能に依存することになるのだろう。



(つぶやきその2)

人間もやがて死ななくなる。

無数の“マシン”を体内に埋め込み、常に修復しつつ生きるトランスヒューマンの登場によって。

しかし、死すべき運命のまま生きることを選ぶ人々もいるはずだ。

死を受け入れて、性選択の繰り返しによって、世代を経て進化する死すべき人類と、死を捨てたトランスヒューマンは、やがて遺伝子的に異なる生き物になる。

その時、トランスヒューマンたちは、死を捨てなかった人類達の遺伝子の変化を、自分たちにダウンロードするのだろうか?


(つぶやきその3)

将来、地上に存在する知的存在は、4種になるだろうか。

1.生身の人類
2.生身の人類を死ねなくし、人工知能と半ば一体化したトランスヒューマン
3.トランスヒューマンの中で、自我意識すら機械的な電気信号に置き換えてしまい、生身の肉体のメンテナンスを放棄した存在。元人間の人工知能。
4.生身の肉体を持った経歴の無い、生粋の人工知能。

4種は、共存できるのだろうか。