今日は、親子空手の稽古の帰りに、さいたま丸ヶ崎大西農園さんに寄り、玄米を30kgほど買いました。




無肥料、無農薬、検出限界1bq/kgで放射性物質検出せず、そして何より美味いと評判の大西さんのお米。
さっそく寝かし玄米(酵素玄米)を作ってみようと思います。

ちなみに、息子には、作った本人からお米を買うという経験をさせてあげたかったにですが、空手の稽古で疲れて爆睡。大西さんご夫婦とは対面できませんでした(笑)。



空手やると爆睡するのが、完全にパターン化しているな・・・

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ちなみに今日は、お米を買いに行くのに、金重付近をクルマで走り、改めて「この辺りは何かある」と感じました。

かつては近くに、大寺「平林寺」があった場所ですし、ご近所の「本宿」は、街道沿いの宿場町だった場所によく付けられる地名です。

何らかの街道がこの地を通っていたはず。

しかし、岩槻の街道というと、日光御成街道(鎌倉時代は、鎌倉と東北を繋ぐ奥大道)が有名ですが、金重付近はこの南西から北東に向かう街道とは少し離れます。

御成街道、奥大道と関係性は低そうです。

直感的には、北西から南東に伸びる大宮台地の尾根筋を通る大街道である中仙道の裏街道が、金重あたりを通っていたように思えます。
途中少し途切れはするものの、地形的には、金重のあたりからは、大宮台地の東の端の尾根筋が鴻巣あたりまで続いているんですよね。

そんな裏街道があったとすれば、大寺平林寺の存在も、本宿という地名も、「オカネが重なる」という現ナマ感満点の金重という地名にも、納得がいきます。

でも、旧岩槻市史を見ても、その手の情報がないんですよね。

旧平林寺史を調べて、その財源に当たるのがいいのかな。

金重付近の佇まいは、歴史マニアの心を捉えました。


(地理院地図で見る、さいたま市岩槻区金重付近)