昨日、森林公園から帰る際に、ジャワさんとある交差点のコンビニでコーヒーを飲んで一休みしました。

ふと、交差点の名前を見てみると、「上八ツ林」。

我らがさいたま市の戦国武将・太田資正の家臣、道祖土図書助が治めた「八林郷」です。

この場所のコンビニを選ぶとは、さすがジャワさん、気が利いているぜ。(偶然だったそうですが(笑))


(コンビニの駐車場から「上八ツ林」信号を眺める。「山田うどん」があるのが埼玉的です)

道祖土図書助は、史料の上で、少なくとも太田資正の父・資頼の代から岩槻太田氏に従っていたことが明らかな土豪。

太田資正が、北条氏を相手にして大抗争を演じた永禄年間には、秩父盆地の入り口にあたる赤浜原(寄居町)の合戦で、北条方の山田伊賀守を討ち取り、資正から感状をもらったこともありました。

しかし、資正が岩槻(岩付)を追放されてからは、資正と共に片野に行くことはなく、八林郷の土豪としてこの地に残り、北条方に付いています。

(天正年間、北条氏房(太田氏房)が岩付領の当主だった時代の道祖土図書助宛の史料がたくさん残されています。戦国時代の土豪支配のあり方を今日に伝えています。)



ジャワさんと、この「上八ツ林」信号付近の、ただひたすら平坦な地形を眺めながら、
「こんな広い平野、遮るものが何も無い場所で、領国の国境を守るなんて、土台無理な話だね」
「小さい平野・盆地に別れてた甲斐・信濃では、 峠を守れれば国境は安泰だった。この辺りじゃ、そうはいかない」
そんな話をしました。


【参考】
以前書いた、道祖土図書助関係の地図を再掲します。

・八林郷の位置


・道祖土図書助活躍の地、赤浜原