川嶋祐『カラテKOアーティストになる絶対理論』からの気づき。

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川嶋師は、同書p.100での右逆突き(オーソドックススタンスからの右ストレート)の解説で、“左肩の空間的な位置を変えてはいけない”としています。これは、新垣清先生の“正中線に激突させる突き”と同じ(と、私は理解しました)。
(おそらく、ボクシングの野木丈司トレーナーが『まったく新しいボクシングの教科書』で解説していた右ストレートの打ち方とも同じです)

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型と沖縄式の身体感覚をベースにしている新垣理論は、フルコンタクト空手しか経験していない者にはやや理解しにくいところがあります。
その点、フルコン出身者の川嶋師の説明は、フルコン者の身体意識に沿っているため実に端的にわかりやすいと感じます。フルコン界から、伝統武術の身体操作を換骨奪胎してくれる先生が現れたのは、本当にありがたいことです。
・・・と、ここで終われば、本稿は、川嶋理論と新垣理論の対応比較で終わってしまうのですが、違うのです。
今回、私が語りたいと思ったのは、“その先”なのです。

実は、私が、川嶋理論を「凄い!」と思ったのは、この解説の次の一文でした。
川嶋師は、補足します。
・遠い距離から飛び込んで強打を狙う競技であれば、左肩を引いても問題ない。
・なぜなら身体全体が全身しているため、左肩の空間的位置は変わっていないからだ。

この解説には、度肝抜かれました。

なぜなら、この視点を持つことで、伝統空手の月井先生の二軸身体操作の突きと、新垣理論の“正中線に激突させる突き”が、より包括的な“大統一理論”の中で、体系的に整理されてしまうから。別個の理論と思っていたものが、より包括的な統一理論の中で位置づけられると、“理屈好き”人間は興奮を押さえることができなくなるのです(笑)。
しかし、この川嶋師式の“大統一理論”の衝撃はそれだけではありません。
“理屈好き”人間を喜ばせる以上の実用的な効能があると、私は直感し、ある仮説の下に、少し体を動かしてみました。
そして、その直感に確信を持ちました。
それが、本稿のタイトルである、前屈立移動稽古の再設計、です。

フルコンタクト空手では(一部の伝統空手でも?)、下半身鍛錬の稽古に成り下がっている前屈立ち移動稽古。
よっこらしょと前進し、たっぷり居着いてから腰を大きく捻転させて逆突きを放つ前屈立ち移動稽古は、足腰の鍛錬にこそなれ、試合で求められるスピーディな攻防にはまったく役に立たず、むしろ悪癖を作る稽古として敬遠する選手・指導者も存在します。
しかし、そんな前屈立ち移動稽古も、「左肩の空間的位置を変えずに身体全身を前進させれば左肩を引いても強い突きが出せる」理論の通りに動こうと思えば、動きの質が変わります。
とても自然に。
“膝の抜き”や“二軸意識”等のキーワードを意識せずとも。

ちょっと、やってみてください。

前屈立ち逆突き移動稽古の開始姿勢、即ち、左足前の前屈立ちで左下段払いを決め、右拳を引手に取った姿勢では、左肩がやや前に出ています。
通常は最初の逆突きは、このスタンスのまま(=移動せず)、左引手を取り、左肩を引きながら右逆突きを決めます。
典型的な居着いた突きです。

しかし、威力のある右逆突きを出す絶対条件である「左肩の空間的位置を変えず」を我が身に課すと、動きが変わります。
左足前の前屈立ちで、左下段払いを決めたことでやや前に出ていた左肩。これを「空間的位置を変えず」に右逆突きを放とうとすると、後ろ足(右足)を前に引き込みつつ前進し、正中線が左肩と同じ位置まで来てからでないと、右逆突きが放てません。

後ろ足を呼び込みつつ(後ろ足で踏ん張ることなく)、前進しながら(止まって居着くことなく)、その途中動作の中で右逆突きを出すことが強いられるのです。即ち、居着かぬ突きです。

しかも、それだけでは終わりません。

右足を後ろから前に引き込みつつ、前進移動しつつ、右逆突きを放っても、慣性の法則故に、右足はまだ止まっていません。依然として、前方に移動しているのです。
この動作の終わりは、引き寄せた右足を前方に放り出し、右足前の前屈立ちとなっての着地です。
即ち、左逆突きを放つ時の下半身のあり方です。
左逆突きを放つ時の下半身が、(左逆突きを突こうとして始まった動作ではなく、その前の)右逆突きを突こうとして始まった動作の終結として見えてくるのです。

右逆突きと左逆突きは、通常の前屈立ち移動稽古では互いに分断された独立の突きです。
しかし、「左肩の空間的位置を変えずに身体全身を前進させれば左肩を引いても強い突きが出せる」理論の通りに動こうとすると、右逆突きと左逆突きは、“右足(後ろ足)を引き寄せて前に放り出す”という一つの動作に乗せて、シームレスに放つことが可能になります。

しかもこの時、“落下の突き”や“膝抜きの突き”と云った概念と、どれほど無縁に生きてきた人間でも、気づきます。
「この前に放り出した右足が着地する時の前進運動に、左逆突きをそのまま合わせたら、落ちながら体当たりする突きになるじゃないか」と。

右足を前方に着地させて、体を安定させてから左逆突きを放つのが「あまりに勿体無い!」と自然に感じる、そんな前進感が、右足前方着地直前に体を包んでいるのです、そこで、本能のまま左手を突き出して、つっかえ棒のようにして前進の力積を想定する障害物にぶつければ、見事な体重の乗った体当たりの突きになります。

“右足(後ろ足)を引き寄せて前に放り出す”という一つの動作に乗せて、シームレスに放つことが可能になった右逆突きと左逆突きは、
・前半の右逆突きが、起こりが読みにくく、予想以上に伸びる突きに、
・後半の左逆突きが、体重の乗った強烈な体当たりの突きになってくれます。

よっこらしょ移動→足を決めて→腰を回して居着いて突く、という従来の前屈立ち逆突き移動が、まったく別種の身体操作に転化したことになります。

(この後は、更に前進して右逆突きに繋いでもよいですし、右膝を抜いて作る前傾しながら作る動きで後ろ足(左足)を引き寄せながら、反時計回りに30°くらい転体しながら右前手突きを入れる、という繋ぎ方もしっくり来る感じがします。)

 ※

正直なところ、この程度の前屈立ち移動稽古の“居着かない動き”への転化は、試合を意識した伝統空手の道場であれば今やどこでもやっているものではないかと思います。フルコンタクト空手だけが、その流れから取り残され、どっこらしょ→足を止めて→腰を回して逆突き、をやっています。

この悲しい差を埋めるには、フルコン空手が伝統派に学べばよいのですが、“伝統派の伝統派による伝統派のための”身体操作解説は、フルコン者には独特の取っ付きにくさがあります。(おそらく、読み手の前提のスピードや求めるスピードがフルコン者には速すぎることと、フルコン者には威力の議論を置き去りにした理論と映る(実際にはそうでもないと思いますが)ことが、この取っ付きにくさの原因だろうと思います)

しかし、川嶋師の、「左肩の空間的位置を変えずに身体全身を前進させれば左肩を引いても強い突きが出せる」という解説は、フルコン者にも、簡単に理解できる、非常に端的で原理的なもの。ゆっくりとした動きから試して、居着かず動きの中で突きを放つ(放てる)感を体感できる点が、いいと思います。

従来通り前屈立ち移動稽古をフルコン空手の基礎に位置づけたまま、中上級者向けには相対軸を導入して前屈立ち移動稽古を再設計して稽古させれば、フルコン空手は変わるのではないでしょうか。

互いに当てるダメージ制のルールの中で、居着かぬ歩法と、歩法の最中に放つ突きを突き詰めていけば、その果実は、現在の伝統空手のそれとは異なったものになるはず。当然、キックとも違ってくるはず。

“空手衣を着て実施する顔面パンチ無しキック”ではなく、あくまでも空手として。
フルコン空手が空手本来の身体操作を、沖縄空手や本土伝統空手とは別趣の進化を遂げさせた空手となるには、川嶋理論の『相対軸』を使った、移動稽古の再設計が有効なはず。

今夜は、そんなことを思いました。