※ 会議準備に飽きたので、気分転換に

さきたま古墳群の中にある丸墓山古墳。
病封じ祈願で行田に行った際に、もう一ヶ所酔ったら場所です。

豊臣秀吉の“北条征伐”の際、石田三成が北条方の忍城を攻めるためこの古墳の上に本陣を置いたと言います。




日本最大の円墳ということで、高さはかなりのものです。
当時この一帯を支配した豪族の権力の大きさを思わずにはいられません。




なぜ行田の地に関東最大級の古墳が多く築かれたのか。その理由に関する考察はいずれ火口と思います。


遠くに、忍城の復元天守閣が見えます。




石田三成が、秀吉にあやかって忍城に水攻めを試みたものの失敗した逸話は有名です。

実は忍城は、我らが太田資正が岩付城(岩槻城)を追われた際に著しい逃げ込んだ城でもあります。
その時、北条氏康が忍城を攻めたそうですが、忍城は落ちなかったようです。

氏康も、この古墳に本陣を置いたのでしょうか。